アカデミー賞の季節になると、過去の受賞作品が放映されるのだが、WOWOWで、あのスピールバーグの「リンカーン」を見て、アメリカの民主主義の軌跡をあらためて実感して興味深かった。
しかし、問題は、あの映画を見ると、奴隷制が廃止された非常にエポックメイキングな歴史上の出来事だと言う印象を受けるのだが、先日、コメントした「国家はなぜ衰退するのか」で、アセモグルとロビンソンは、実際には、その後、逆転現象が起こって、奴隷制度に近い形の経済社会制度が継続したと、興味深い議論を展開している。
南北戦争の敗北後、武力で経済と政治の抜本的な改革が行われ、奴隷制が廃止され、黒人に投票権が与えられるなど大きな変化があったので、南部の収奪的な制度が包括的な制度へと大々的に変換して経済的繁栄を齎す筈だったが、そうならなかったと言うのである。
収奪的な継続形態として、南部にジム・クロウと言う人種差別的な法律が制定実施される等黒人差別が継続し、大改革となる公民権運動がおこるまで100年程も続いた。
黒人の地位や南部の政治経済が変わらなかったのは、黒人の政治権力と経済的自立が弱かったからで、戦争中に、解放された奴隷は、奴隷制が廃止された暁には、土地40エーカーとラバ一頭が与えられると約束されていたが、ジャックソン大統領が反故にしてしまい、プランテーション制度と奴隷制は一体のものなので、昔からの上流階級の農業の基盤が変わらずに温存されたために、古くからの南部の土地持ちエリートは存続したのである。
南北戦争で60万人以上が死亡したが、所有している奴隷20人につき奴隷所有者一人が兵役を免除されたので、大規模プランテーション所有者と息子たちは徴用されずにのうのうとしてプランテーション経済を確実に存続させたのだと言う。
風と共に去りぬやジャイアンツなどの映画観も、少し、変わって来るかも知れない。
奴隷制が廃止されても、安価な労働力によるプランテーション農業に基づく経済制度が、地元政治の支配や暴力の行使を含めた様々な手段によって維持されて、正に、南部は、黒人を怯えさせるための武装キャンプそのものと化したのだと言う。
奴隷制を廃止し、黒人に選挙権を与えたが、プランテーションを所有するエリートが広大な土地を支配し、結束している限り、奴隷制の代わりに黒人差別法などの別の法律一式を策定するなど、あらゆる抜け道を駆使して、同じ目的を達することが出来た。
この悪循環は、リンカーンを含めた多くの人間が思っていたよりもずっと強力で、20世紀に入っても、収奪的な政治制度が、収奪的な経済制度を維持して、黒人の市民権は剥奪同然で、長い間無視され続けたのである。
さて、民主主義国家の権化のようなアメリカでも、このような状態であるから、歴史を紐解けば、鳴り物入りで実現された大改革や革命的な政治経済変化が起こっても、すぐに、反動勢力によって、過去の制度や伝統が蘇って維持継続されて、元の木阿弥に終わるケースがきわめて多い。
ロシアや中国が、民主主義から程遠く、中近東の革命改革が一向に進まないのも、あるいは、中南米の多くの国が、植民地時代の政治経済体制から脱却できずに、いまだに前近代的な制度に呻吟しているのも、アフリカの国々が、最貧困状態から脱却できないのも、そのような、歴史の皮肉な惰性の成せる業かも知れないと思うと、ある程度納得が行く。
多くの問題を惹起し続けているにしても、イギリスやアメリカの民主主義社会が、人類にとって、如何に、素晴らしいことか、その影響を受けてか日本社会の伝統の成せる業かは別にして、歴史を読んでいると、平穏無事に、日本人として、生活できることを、つくづく、幸せだと思うことが多い。
実際に、長い間海外で生活していてもそう思ったし、世界史を勉強すればするほどその実感が強くなり、時空を越えて、同じ人間に生まれながら、幸不幸がこれ程大きく違うのか、ウクライナに思いを馳せるだけでも、痛い程、実感する。
しかし、問題は、あの映画を見ると、奴隷制が廃止された非常にエポックメイキングな歴史上の出来事だと言う印象を受けるのだが、先日、コメントした「国家はなぜ衰退するのか」で、アセモグルとロビンソンは、実際には、その後、逆転現象が起こって、奴隷制度に近い形の経済社会制度が継続したと、興味深い議論を展開している。
南北戦争の敗北後、武力で経済と政治の抜本的な改革が行われ、奴隷制が廃止され、黒人に投票権が与えられるなど大きな変化があったので、南部の収奪的な制度が包括的な制度へと大々的に変換して経済的繁栄を齎す筈だったが、そうならなかったと言うのである。
収奪的な継続形態として、南部にジム・クロウと言う人種差別的な法律が制定実施される等黒人差別が継続し、大改革となる公民権運動がおこるまで100年程も続いた。
黒人の地位や南部の政治経済が変わらなかったのは、黒人の政治権力と経済的自立が弱かったからで、戦争中に、解放された奴隷は、奴隷制が廃止された暁には、土地40エーカーとラバ一頭が与えられると約束されていたが、ジャックソン大統領が反故にしてしまい、プランテーション制度と奴隷制は一体のものなので、昔からの上流階級の農業の基盤が変わらずに温存されたために、古くからの南部の土地持ちエリートは存続したのである。
南北戦争で60万人以上が死亡したが、所有している奴隷20人につき奴隷所有者一人が兵役を免除されたので、大規模プランテーション所有者と息子たちは徴用されずにのうのうとしてプランテーション経済を確実に存続させたのだと言う。
風と共に去りぬやジャイアンツなどの映画観も、少し、変わって来るかも知れない。
奴隷制が廃止されても、安価な労働力によるプランテーション農業に基づく経済制度が、地元政治の支配や暴力の行使を含めた様々な手段によって維持されて、正に、南部は、黒人を怯えさせるための武装キャンプそのものと化したのだと言う。
奴隷制を廃止し、黒人に選挙権を与えたが、プランテーションを所有するエリートが広大な土地を支配し、結束している限り、奴隷制の代わりに黒人差別法などの別の法律一式を策定するなど、あらゆる抜け道を駆使して、同じ目的を達することが出来た。
この悪循環は、リンカーンを含めた多くの人間が思っていたよりもずっと強力で、20世紀に入っても、収奪的な政治制度が、収奪的な経済制度を維持して、黒人の市民権は剥奪同然で、長い間無視され続けたのである。
さて、民主主義国家の権化のようなアメリカでも、このような状態であるから、歴史を紐解けば、鳴り物入りで実現された大改革や革命的な政治経済変化が起こっても、すぐに、反動勢力によって、過去の制度や伝統が蘇って維持継続されて、元の木阿弥に終わるケースがきわめて多い。
ロシアや中国が、民主主義から程遠く、中近東の革命改革が一向に進まないのも、あるいは、中南米の多くの国が、植民地時代の政治経済体制から脱却できずに、いまだに前近代的な制度に呻吟しているのも、アフリカの国々が、最貧困状態から脱却できないのも、そのような、歴史の皮肉な惰性の成せる業かも知れないと思うと、ある程度納得が行く。
多くの問題を惹起し続けているにしても、イギリスやアメリカの民主主義社会が、人類にとって、如何に、素晴らしいことか、その影響を受けてか日本社会の伝統の成せる業かは別にして、歴史を読んでいると、平穏無事に、日本人として、生活できることを、つくづく、幸せだと思うことが多い。
実際に、長い間海外で生活していてもそう思ったし、世界史を勉強すればするほどその実感が強くなり、時空を越えて、同じ人間に生まれながら、幸不幸がこれ程大きく違うのか、ウクライナに思いを馳せるだけでも、痛い程、実感する。