私は殆ど小説は読まないのだが、鎧姿の女将の描かれた表紙に、「ともえ」と言う題字。それに、帯には、芭蕉と尼との運命的な恋 と大書されているので、いずれにしろ、あの義仲との数奇な運命で名を馳せた巴が登場して、それに、芭蕉と言うことなので、文句なく、本を買った。
大学生の頃、伊賀上野には、芭蕉の故郷を訪ねて何度か訪れており、東北に行った時には、奥の細道の故地に出かけたり、俳句は出来ないが、芭蕉には興味があるし、能の「巴」を思って、読んでみる気持ちになったのである。
芭蕉が、長く住んでいた江戸でもなく、故郷の伊賀上野でもなく、何故、大津の義仲寺で義仲と並んで永眠したのか、疑問であるのだが、
芭蕉が、大津で滞在していた幻住庵での思いを綴った「幻住庵記」を、大津の芭蕉門下で女流俳人・河合智月に形見として贈っていることから、この二人の交流した人間関係を、晩年の無償の愛に仕立てて、これを、義仲と巴の愛と絡ませて創作したのが、この小説。
興味深いのは、この物語を、尼でもあった智月尼の視点からストーリーを展開していることで、そのために、智を公家の娘で少女の時に宮中へあがり、20歳の時に帝の身のまわりをお世話する内侍の一人で、上臈と言う位につき、閨を共にして身籠ったために宿下がりをすると言う設定にするなど、智月の人生に彩りを添えている。
帝が反江戸であったので暗殺を匂わせていているのだが、智は、後に、大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門に嫁いで、死別後尼となり、帝との子を、弟乙州として河合家の養嗣子としており、このあたりは、かなり、史実に近いものの、前の宮中での恋や、後の芭蕉との恋など、愛情物語は、作者の創作のようである.
智月が、年上の老尼であることを良いことに、姉弟を装ってカモフラージュしながら、芭蕉に何くれと面倒を見ながら愛情を表現しているのが面白い。
京都と大津、そして、鎌倉を舞台にして、義仲と巴、帝と智、芭蕉と智月尼などの人間模様を、時空を越えて錯綜させながら、綾織のように紡いだ物語の展開が秀逸で、楽しませてくれる。
史実かどうかは別にして、真っ先に入京して平家追討に功を立てて朝日将軍として勇名を馳せながら、京都治安維持に失敗し皇位継承問題に口出しして後白河法皇と対立するなど、田舎将軍の悲しさか、同族の源頼朝に追われて近江国粟津で討死した源義仲の評判は悪いのだが、
この粟津まで同行して、追ってきた敵将を返り討ちにしながら、死地を見つけた義仲に、落ちて後世を弔うのが最後の奉公と諭されて、泣く泣く東に向かって駆け去っって行く女将軍の巴。
平家物語のこのくだりに感じてか、能の名曲「巴」が生まれている。
何故、芭蕉が、義仲に心をうつしたのかは分からないが、この小説は、巴の生きざまに共感した智月が、巴の墓前で合掌しているのを見て、義仲寺を訪れた芭蕉が、あまりにも美しく、巴の再来かとびっくりするところから、二人の愛情物語が始まる。
智月と巴の生き様を交錯させながら女心を描いていているのだが、現か幻か、夢幻能のように、巴の墓前に、智月に良く似た尼僧として巴を登場させていて、語らせているのが面白い。
河合智月は、作品も残っていて、かなり、優秀な蕉門の俳人だったようだが、この小説では、専ら、年上の尼である大津宿の人馬継問屋の女将として、姉弟としての情でもあり恋情でもあり同志愛でもある、所謂、無償の愛の昇華と言う形での芭蕉との愛情物語の主人公として描かれている。
これは、取りも直さず、義仲と巴御前を結びつけていた情愛の姿であり、老年期に差し掛かった芭蕉と智月にとっては、肉体の結びつきを欠いた無償の愛と言う形で、甦らせたと言えないこともなかろう。
ところで、恋情と言うか異性への恋心と言うか、この思いは、能の時分の花ではないが、人生の歩みによって現われ方は色々違って来るかも知れないが、淡く激しく、長く短く、そして、燃えるように幸せであったり儚く消えて行ったり、本質的な人を想う気持ち、愛する心は、老年に達しても、少しも違いはないし変わりはないと思う。
この小説は、人生の黄昏になって静かに燃え上がった男女の愛情物語を描いているのだが、その満ち足りた幸せを、芭蕉や巴など史上の人物を触媒にして展開しているからこそ、読ませるのである。
大学生の頃、伊賀上野には、芭蕉の故郷を訪ねて何度か訪れており、東北に行った時には、奥の細道の故地に出かけたり、俳句は出来ないが、芭蕉には興味があるし、能の「巴」を思って、読んでみる気持ちになったのである。
芭蕉が、長く住んでいた江戸でもなく、故郷の伊賀上野でもなく、何故、大津の義仲寺で義仲と並んで永眠したのか、疑問であるのだが、
芭蕉が、大津で滞在していた幻住庵での思いを綴った「幻住庵記」を、大津の芭蕉門下で女流俳人・河合智月に形見として贈っていることから、この二人の交流した人間関係を、晩年の無償の愛に仕立てて、これを、義仲と巴の愛と絡ませて創作したのが、この小説。
興味深いのは、この物語を、尼でもあった智月尼の視点からストーリーを展開していることで、そのために、智を公家の娘で少女の時に宮中へあがり、20歳の時に帝の身のまわりをお世話する内侍の一人で、上臈と言う位につき、閨を共にして身籠ったために宿下がりをすると言う設定にするなど、智月の人生に彩りを添えている。
帝が反江戸であったので暗殺を匂わせていているのだが、智は、後に、大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門に嫁いで、死別後尼となり、帝との子を、弟乙州として河合家の養嗣子としており、このあたりは、かなり、史実に近いものの、前の宮中での恋や、後の芭蕉との恋など、愛情物語は、作者の創作のようである.
智月が、年上の老尼であることを良いことに、姉弟を装ってカモフラージュしながら、芭蕉に何くれと面倒を見ながら愛情を表現しているのが面白い。
京都と大津、そして、鎌倉を舞台にして、義仲と巴、帝と智、芭蕉と智月尼などの人間模様を、時空を越えて錯綜させながら、綾織のように紡いだ物語の展開が秀逸で、楽しませてくれる。
史実かどうかは別にして、真っ先に入京して平家追討に功を立てて朝日将軍として勇名を馳せながら、京都治安維持に失敗し皇位継承問題に口出しして後白河法皇と対立するなど、田舎将軍の悲しさか、同族の源頼朝に追われて近江国粟津で討死した源義仲の評判は悪いのだが、
この粟津まで同行して、追ってきた敵将を返り討ちにしながら、死地を見つけた義仲に、落ちて後世を弔うのが最後の奉公と諭されて、泣く泣く東に向かって駆け去っって行く女将軍の巴。
平家物語のこのくだりに感じてか、能の名曲「巴」が生まれている。
何故、芭蕉が、義仲に心をうつしたのかは分からないが、この小説は、巴の生きざまに共感した智月が、巴の墓前で合掌しているのを見て、義仲寺を訪れた芭蕉が、あまりにも美しく、巴の再来かとびっくりするところから、二人の愛情物語が始まる。
智月と巴の生き様を交錯させながら女心を描いていているのだが、現か幻か、夢幻能のように、巴の墓前に、智月に良く似た尼僧として巴を登場させていて、語らせているのが面白い。
河合智月は、作品も残っていて、かなり、優秀な蕉門の俳人だったようだが、この小説では、専ら、年上の尼である大津宿の人馬継問屋の女将として、姉弟としての情でもあり恋情でもあり同志愛でもある、所謂、無償の愛の昇華と言う形での芭蕉との愛情物語の主人公として描かれている。
これは、取りも直さず、義仲と巴御前を結びつけていた情愛の姿であり、老年期に差し掛かった芭蕉と智月にとっては、肉体の結びつきを欠いた無償の愛と言う形で、甦らせたと言えないこともなかろう。
ところで、恋情と言うか異性への恋心と言うか、この思いは、能の時分の花ではないが、人生の歩みによって現われ方は色々違って来るかも知れないが、淡く激しく、長く短く、そして、燃えるように幸せであったり儚く消えて行ったり、本質的な人を想う気持ち、愛する心は、老年に達しても、少しも違いはないし変わりはないと思う。
この小説は、人生の黄昏になって静かに燃え上がった男女の愛情物語を描いているのだが、その満ち足りた幸せを、芭蕉や巴など史上の人物を触媒にして展開しているからこそ、読ませるのである。