この本は、ハーバードの歴史学者ニーアル・ファーガソン教授の、かなり悲観的な「先進国の未来」を展望した警告の書で、BBCのリースレクチャーでの「The Rule of Law and Its Enemies」を底本とした「The Great Degeneration」である。
Degenerationとは、 堕落[退化, 衰退, 退廃]、《生物》退化を意味するので、現在の経済社会が、大きく、退廃に向かって後退していると言うことであろうか。
「大いなる衰退」であるが、「劣化国家」と言うタイトルが面白い。
アダム・スミスが「国富論」で、かって豊かだったが成長が止まった国家の状態を、「定常状態」として、社会の逆行的傾向を論じており、今、西欧先進国が、その定常状態に陥っているとして、何故そうなったのか、その原因から説き起こした現代文明論である。
スミスが意図した定常状態の「劣化国家」は、当時の中国なのだが、その停滞の原因は、「官僚主義を含めた法と制度」の欠陥にあったとしている
このような閉塞状態を克服して、自由貿易を促し、中小事業への支援を増やし、官僚主義や縁故資本主義を脱して、新大陸アメリカ植民地の経済を活性化させた西欧が、進歩発展を享受していたのだが、皮肉にも、今や、逆転現象が起こり、西洋の法と制度の欠陥が、The Great Degenerationの原因となっていると言うのである。
西洋が、何故、斜陽にあるのか、経済のみならず、政治、文化等文明として成功を収める上でカギとなった諸制度が、現在深刻な危機を迎えているからだと説く。
著者は、西洋の制度の衰退現象を、4つのブラックボックスとして、民主主義、資本主義、法の支配、市民社会を上げて分析し、民主主義が政治経済社会を赤字に追い込み、資本主義が金融規制の脆弱さを露呈し、法の風景が法律家による支配の様相を呈し、市民社会が国家支配の度を強めて非市民社会化しつつある等、西洋社会の成長エンジンであった諸制度を台無しにししつつあると指摘する。
西洋の政治が直面する唯一最大の危機である公的債務危機を、将来世代に対する裏切りであり、現世代と将来の世代間の社会契約の侵害である。
民主主義と資本主義の運営に欠かせない法の支配が、法律家の支配に成り下がってしまう恐れがある。
そして、かって活気に満ちていた西洋の市民社会が、科学技術ではなく、国家の過剰なうぬぼれによって危機に瀕している。と言うのである。
全般論としては、かなり、疑問を感じるのだが、著者は、個々の点において、非常に面白い指摘をしている。
例えば、法の支配の敵として指摘している、アメリカで顕著な傾向である法律費用の異常なる増大が、企業の海外流出を促していると言う点である。
複雑すぎる法律、操作された法律、蔓延する不法行為の濫用、「不法行為、損害、障害」に対する損害賠償の異常なる請求等々、法化社会の蹉跌について語っていて興味深い。
もう一つは、地域住民の自発的な能動的な活動が、集権的な国家の活動より優れているとする公序良俗によって維持される市民社会を高く評価していて、公共パワーの増大によって市民社会が空洞化しつつあると言う指摘の中で、特に重要な教育を市民社会に戻すために、公立学校の民主化と私学の教育の推進を主張している。
大きな社会には反対で、アメリカ社会が定常状態にあるのは、「法と制度」が、衰退し、エリートが、スティグリッツが糾弾するレントシーキングによる収奪にうつつをぬかして、経済と政治を支配しているためだと、オバマ大統領の公共政策にも苦言を呈していて面白い。
弱肉強食の市場メカニズム優位の自由主義資本主義には、債務問題の糾弾においては、多少批判的ではあるが、厚生経済的な発想やリベラル派的な思想を一蹴気味で、政治経済的にも、保守色の強い自由放任主義的な見解を展開していて非常に興味深く、私にとっては、新鮮な理論展開で面白かった。
さて、西洋が没落して、中国が上り龍かと言うことについては、同じ制度が、成長と衰退の分岐線だとする、先日論じたアセモグルとロビンソンの包括的制度と収奪的制度理論に基づけば、現在の状況は、あくまで、一時的現象に過ぎず、収奪的制度の中国の成長が止まり、包括的制度を維持する限り、西洋の没落は有り得ないことになる。
法や制度が、政治経済社会の帰趨を制する重要な要因だと言うことには、異論はないが、どのような法システムや制度が、実際の国家の文化文明や成長発展をドライブしたり阻害したりするのかは、必ずしも、一定の法則があるわけではなく、歴史の推移によって、その要件が変わるのではないかと言う気がいている。
ニーアル・ファーガソンには、著作も多いので、少し勉強しようと思っており、次に、「文明 Civilization」に挑戦することにしている。
Degenerationとは、 堕落[退化, 衰退, 退廃]、《生物》退化を意味するので、現在の経済社会が、大きく、退廃に向かって後退していると言うことであろうか。
「大いなる衰退」であるが、「劣化国家」と言うタイトルが面白い。
アダム・スミスが「国富論」で、かって豊かだったが成長が止まった国家の状態を、「定常状態」として、社会の逆行的傾向を論じており、今、西欧先進国が、その定常状態に陥っているとして、何故そうなったのか、その原因から説き起こした現代文明論である。
スミスが意図した定常状態の「劣化国家」は、当時の中国なのだが、その停滞の原因は、「官僚主義を含めた法と制度」の欠陥にあったとしている
このような閉塞状態を克服して、自由貿易を促し、中小事業への支援を増やし、官僚主義や縁故資本主義を脱して、新大陸アメリカ植民地の経済を活性化させた西欧が、進歩発展を享受していたのだが、皮肉にも、今や、逆転現象が起こり、西洋の法と制度の欠陥が、The Great Degenerationの原因となっていると言うのである。
西洋が、何故、斜陽にあるのか、経済のみならず、政治、文化等文明として成功を収める上でカギとなった諸制度が、現在深刻な危機を迎えているからだと説く。
著者は、西洋の制度の衰退現象を、4つのブラックボックスとして、民主主義、資本主義、法の支配、市民社会を上げて分析し、民主主義が政治経済社会を赤字に追い込み、資本主義が金融規制の脆弱さを露呈し、法の風景が法律家による支配の様相を呈し、市民社会が国家支配の度を強めて非市民社会化しつつある等、西洋社会の成長エンジンであった諸制度を台無しにししつつあると指摘する。
西洋の政治が直面する唯一最大の危機である公的債務危機を、将来世代に対する裏切りであり、現世代と将来の世代間の社会契約の侵害である。
民主主義と資本主義の運営に欠かせない法の支配が、法律家の支配に成り下がってしまう恐れがある。
そして、かって活気に満ちていた西洋の市民社会が、科学技術ではなく、国家の過剰なうぬぼれによって危機に瀕している。と言うのである。
全般論としては、かなり、疑問を感じるのだが、著者は、個々の点において、非常に面白い指摘をしている。
例えば、法の支配の敵として指摘している、アメリカで顕著な傾向である法律費用の異常なる増大が、企業の海外流出を促していると言う点である。
複雑すぎる法律、操作された法律、蔓延する不法行為の濫用、「不法行為、損害、障害」に対する損害賠償の異常なる請求等々、法化社会の蹉跌について語っていて興味深い。
もう一つは、地域住民の自発的な能動的な活動が、集権的な国家の活動より優れているとする公序良俗によって維持される市民社会を高く評価していて、公共パワーの増大によって市民社会が空洞化しつつあると言う指摘の中で、特に重要な教育を市民社会に戻すために、公立学校の民主化と私学の教育の推進を主張している。
大きな社会には反対で、アメリカ社会が定常状態にあるのは、「法と制度」が、衰退し、エリートが、スティグリッツが糾弾するレントシーキングによる収奪にうつつをぬかして、経済と政治を支配しているためだと、オバマ大統領の公共政策にも苦言を呈していて面白い。
弱肉強食の市場メカニズム優位の自由主義資本主義には、債務問題の糾弾においては、多少批判的ではあるが、厚生経済的な発想やリベラル派的な思想を一蹴気味で、政治経済的にも、保守色の強い自由放任主義的な見解を展開していて非常に興味深く、私にとっては、新鮮な理論展開で面白かった。
さて、西洋が没落して、中国が上り龍かと言うことについては、同じ制度が、成長と衰退の分岐線だとする、先日論じたアセモグルとロビンソンの包括的制度と収奪的制度理論に基づけば、現在の状況は、あくまで、一時的現象に過ぎず、収奪的制度の中国の成長が止まり、包括的制度を維持する限り、西洋の没落は有り得ないことになる。
法や制度が、政治経済社会の帰趨を制する重要な要因だと言うことには、異論はないが、どのような法システムや制度が、実際の国家の文化文明や成長発展をドライブしたり阻害したりするのかは、必ずしも、一定の法則があるわけではなく、歴史の推移によって、その要件が変わるのではないかと言う気がいている。
ニーアル・ファーガソンには、著作も多いので、少し勉強しようと思っており、次に、「文明 Civilization」に挑戦することにしている。