熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イアン・ブレマー著「スーパーパワー Gゼロ時代のアメリカの選択」

2016年07月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、Superpower: Three Choices for America’s Role in the World
   Gゼロ論者ブレマーのアメリカ論、
   覇権国家ではなくなるのではあるが、依然、スーパーパワーであり続けるアメリカが、どのようなスーパーパワーであるべきなのか。
   ブレマーは、世界におけるアメリカの役割について三つの選択肢を想定して、そのシナリオを克明に分析検討して、自分自身の結論を得て、提言としている。

   その三つの選択肢とは、
   「独立するアメリカ」「マネーボール・アメリカ」「必要不可欠なアメリカ」である。

   まず、「必要不可欠なアメリカ」
   アメリカは、民主主義、法の支配、人権等自由で開かれな世界秩序を守る責任があり、同盟国や友好国を防衛し、軍事、経済、金融、政治、文化等あらゆる手段を活用して、環境問題や貧困・人道危機などグローバルな問題解決においてリーダーであるべきだとする。
   これまで、覇権国家として担ってきた超大国アメリカであるべきだと言う考え方の継続であろうか。
   このシナリオの欠点は、政治リーダーや選挙候補が美辞麗句を並べ立てて論じても、国民がそれを望んでいないし、世界中の多くの人々が、アメリカを相応しいリーダーだと思っていないことである。
   どれだけ、アメリカの価値観が優れていようとも、世界がそのリーダーシップに従うべきだと確信を持っていようとも、アメリカが世界の平和と安全にとって依然として必要不可欠だと主張してみても、イラクやアフガニスタンでの失敗やリーマンショックなどの金融危機、ワシントンにおける政治的泥試合、等々、最早、アメリカの国際的評価は地に落ちてしまっている。ので無理だと言うのである。

   次に、「マネーボール・アメリカ」
   限られた資源を出来るだけ有効に活用するために、思慮分別とコンセンサスを体現して実用主義の観点から、政治的、財政的に実現・維持可能な政策戦略を優先順位をつけて遂行すると言うシナリオである。
   問題は、世界において、特別な超大国ではなくて普通の国らしく振舞うアメリカを歓迎する向きはあろうが、アメリカ国民の殆どは、まだ、アメリカを特別な国だと思っており、たとえ願望であっても、特別な地位を占めていると信じており、そのような冷血な外交政策は支持しない。と言う。

   したがって、ブレマーは、「独立したアメリカ」を選択し、
   アメリカは、世界の中で、特別な役割を果たすことは、この先一層難ししくなって行くので、アメリカ国内そのものを、特別な模範とすべく、世界に対する自分たちの真価を定義しなおすべき時が来ている。国外の課題解決に手を出すのを止めて、アメリカ国内の再建に注力せよ。と言うのである。

   アメリカが、本気で合衆国憲法に忠実であれば、高くつく過ちがずっと減るし、また、国民が強力かつ永続的に支持する外交政策を構築すれば、アメリカは、国民が関心のない国や問題について介入することもなくなるであろう。
   新興国の台頭など、これだけ多くの国の政府がアメリカの圧力を軽く受け流せる世界になってしまった以上、唯一のスーパーパワーだとしても、思う通りにならなくなっており、それ相応に評価されなくなってしまっている。
   アメリカの真の可能性は、国民にとっても世界にとっても、どこまで模範となってリードできるかにかかっている。
   したがって、アメリカのリーダーたちが、議会におけるつまらない党派争いを乗り越えて、アメリカの国内で、今より効果的に民主主義を機能させることである。

   目的も散漫、支離滅裂な、かつ、法外な金のかかるこれまでのようなスーパーヒーロー外交を止めれば、強力でしなやかな経済を構築し、教育、福利厚生に、そして、老朽化したインフラの再建、経済格差の解消等々アメリカの活性化政策の遂行が、いくらでも可能となる。
   ブレマーを一緒にするつもりはないが、何か、ドナルド・トランプの「強いアメリカ」復活論争と、一部相通じているようで、興味深いと思っている。

   私自身は、世界の秩序維持のためにアメリカが世界の警察として公共財を提供し続ける「積極的関与」、すなわち、「必要不可欠なアメリカ」シナリオが、我々日本人にとっては、一番、好都合であるような気がしているのだが、アメリカの現実を見れば、ブレマーの選択する「国内回帰」「独立したアメリカ」への道が当然であろうと思う。

   「独立したアメリカ」の場合、ブレマーも問題にしているように、慎重な対応を要するのは、アメリカと同盟国の関係である。
   先日も、尖閣諸島問題で論じたように、ドイツと日本は、自分自身の安全保障に責任を持てる豊かな国であるから、アメリカの国家安全保障や経済力に殆ど影響のない紛争に介入することは避けるなど負担を軽減するシステムに持って行こうと提案している。
   ブレマーは、ドイツと日本がアメリカに安全保障を依存しているのはアメリカには有益だし、影響力も失いたくない。アメリカの意図を曖昧にしておけば、将来アメリカの方向性が変ることを考慮して両国が軍事支出を増やす一方で、両国に対するアメリカの影響力を維持できるので、一石二鳥である。と言っているが、要するに、ドイツや日本に圧力をかけて義務や負担を軽減して、少しずつ、離れて行こうと言うことであろう。

   尖閣諸島がらみでは、ブレマーはもっと微妙な見解を述べている。
   アメリカが、日本の安全保障について確固たる無制限のコミットメントを維持するのであれば、アメリカ政府としては、それが中国との紛争に繋がらないような方法でやらなければいけない。日本政府および国民に対して、もっと自らの防衛支出を増やし、日本の軍事力の及ぶ範囲を領海のはるか先まで拡大しろと要請するのは当然。ただし、アメリカ政府としては、中国に対する挑発的な日本の態度にはアメリカは無用に支援しないことを双方に対して明示し、この変化が、勢いに乗る中国の影響力を抑える意図ではないことを、中国政府に納得してもらわなければならない。と言っているのである。
   また、アメリカ政府が、自国の安全保障に責任を持つことを日本政府に期待するのであれば、身銭を切って必要な防衛力を身につけ、将来の日中関係を再考する必要があることを、日本の有権者にはっきり理解させるのだ。ほかに道がないと有権者に納得させるのであれば、アメリカの計画が曖昧であってはならない。と言っており、
   安保条約さえあれば、そして、沖縄の基地さえ提供しておけば、日本は、核の傘の下で安泰であり、中国が、尖閣諸島を占領すれば、米軍が助けてくれる。などと能天気に考えている状態ではなくなっていると言うことを、日本国民は理解しておかなければならないと言うことである。
   
   さて、ブレマーの見解はともかく、クリントンもトランプも、どちらかと言えば、「国内回帰」派であり、来年以降、新大統領のもとでは、弱体化したアメリカが、益々、内志向となって、日本への経済的締め付けは勿論、政治的外交的要求も厳しさを増してくる。
   どうするのか。

   激動の潮流が吹き荒れて風雲急を告げているグローバル環境にありながら、殆ど無風状態の静けさの参議院議員選挙と都知事選挙。
   これが、平穏無事、安泰と言うのであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする