熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「自然居士」狂言「磁石」

2016年07月24日 | 能・狂言
   今回の「能のふるさと・近江」シリーズは、能・狂言とも、面白いことに、人商人、人さらいの話である。

   狂言の「磁石」は、ストーリーからは想像も出来ない様なタイトルで、奇想天外な発想も良いところで、これも、狂言の面白さであろうか。
   すっぱ(茂山七五三)が、見付の者(茂山千三郎・遠江からの旅人)を騙して坂本の宿に誘い入れ、宿の主人(松本薫)に売りつけるのだが、その話を聞いていた見付の者が、先をこして、すっぱを語って長目(穴の開いた銭)200疋をせしめて遁走し、騙されたと気付いたすっぱが後を追いかける。
   途中で寝込んでいる見付の者を見つけたすっぱが、刀で切りつけようとするのを、見付の者は、自分は「磁石の精」だと言って太刀を飲み込もうとし、すっぱが太刀を鞘に収めると気を失って倒れ伏す。
 死んだと勘違いして慌てたすっぱは、太刀を供え神妙に呪文を唱えて蘇生を祈っていると、見付の者は急に起き上がって奪った太刀を振り上げ、すっぱを脅しあげて逃げて行く。
   七五三も千三郎も、先代人間国宝の千作の次男三男で、京都お豆腐狂言 茂山千五郎家の重鎮、とにかく、流石に上手い。

   歌舞伎「毛抜」にも取り上げられているが、磁石は、余程不思議で面白かったのか、他愛もない話だが、それよりも、大の男がかどわかされて売り飛ばされると言う世相が面白い。
   本来、悪賢い筈のすっぱが、この狂言では、少し抜けていて、田舎者の方が、知恵があって賢しいところが、逆転の発想でよい。
   
   一方の能の「自然居士」は、子供を買う人商人の話で、身を売って得た小袖を供養して、亡き両親を追善する少女の話である。

   自然居士が、雲居寺再建の寄進のために説法をしていると、少女が高座に小袖を供え、両親の追善を願う。そこへ東国の人商人が現れ、少女を連れ去る。少女が供えた小袖が、自分の身を売って得たものだと事情を知った居士は、説法を打ち切り、救出すべく人商人を追う。琵琶湖畔から、船出しようとする人商人に追い付き、居士は、船を呼びとめて船に乗り込む。居士は、小袖を返して、船中で、双方少女を返す返さないで押し問答し、人商人は諦めて、少女を返すことにするが、、居士を散々甚振って返そうと、居士に様々な芸能をさせる。居士は、少女を助けたい一心で、曲舞や簓や鞨鼓などの芸能を演じて、少女とともに都へ帰る。

   観世流の舞台で、シテ/自然居士 武田宗和、子方/童女 武田章志、ワキ/人商人 森常好、アイ/門前の者 茂山逸平、
   御大の武田志房師と章志の父・友志師が、後見していたが、武田志房の「能楽師の素顔」を読んでいたので、三代の舞台を感じて興味深かった。
   章志も、これまで、かなりの子方の舞台を熟しており、非常にしっかりした舞台で、祖父の弟・シテの宗和師に華を添えていた。
   NHKドラマで軽妙な芸を見せていた逸平が、至極真面目な熱演を披露していた。

   この能は、観阿弥の劇能の最高傑作だと梅原先生は言っている。
   自然居士は、狂言綺語、すなわち、歌舞音曲をもって人を救う菩薩で、法華経で説かれる観世音菩薩の権化だと言うのである。
   そのために、一度は断りながら、居士は、舟の起源を語る曲舞などかなり長い芸事を舞う。
   人商人の自分たちの理屈「俗の法」と居士の「仏の法」の対決と、俗人が僧を甚振って舞わせると言う発想が、何となく浮世離れして面白いと思った。

   この能は、自ら身を売る少女の話だが、山椒大夫の安寿と厨子王の姉弟のように、さらわれて売り飛ばされるケースが多かったのであろう。
   私は、アメリカとブラジルで生活をしていたので、人身売買で、大規模な歴史を持つこれらの国と日本との差を感じざるを得ない。

   奴隷制度との関連もあるのだろうが、ローマ時代など古代においては、戦争捕虜や被征服民族などが該当するのであろう。
   近世のブラジルやアメリカなどへは、プランテーションや鉱山開発のために、多くのアフリカ人たちが、移送されたと言うが、戦争捕虜などだけではなく、現地のアフリカ人たち自身が、現地人を狩り出して、ヨーロッパやインド商人たちに売り渡していたと言うから、悲惨な話で、新大陸発見の大航海時代の幕開けは、恐ろしい時代の始まりでもあったと言うことであろう。

   いずれにしろ、「磁石」の方は、売られようとした人間が、売ろうとしたすっぱより、一枚上手であったと言うところが面白く、笑い飛ばそうと言うことであり、
   「自然居士」の方は、悪い人買いから、少女を救い出すのが、仏の道だと正義を立てる話であり、同じ、人身売買の話でも、人情噺程度で、収まっているところが、島国日本の良さかも知れない。

   さて、余談だが、この能楽堂のロビーに、滋賀県の地図が掲げてあって、今月の能・狂言の舞台が、その地図上にプロットされていて、興味深い。
   普通には、関が原を越えて米原から彦根に入って、琵琶湖に沿って大津に向かって、逢坂山を京都に抜けるコースを取るので、この印象で滋賀県のイメージを作り上げてしまうのだが、場所によっては、雰囲気が随分違う。
   一度、長浜あたりを散策して、渡岸寺などの湖北の十一面観音巡りをしたことがあり、このあたりは、日本のふるさとを想起させるし、別の機会に、琵琶湖一周ドライブした時には、湖北の琵琶湖畔は、かなり男性的で、湖岸に激しく波が打ち付けているのを見て、驚いたことがある。
   石山寺や三井寺へは、何回か訪れることがあったが、湖東三山や甲賀の里を歩いたこともあり、滋賀の都は、日本の歴史上も古くから開けていたところなので、歌枕や能狂言の舞台に沢山登場しても不思議はないのであろう。
  
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする