熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・小三治「落語・ろくろ首」

2016年07月25日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場の公演は、国立名人会
   プログラムは、次の通り。

   落語「粗忽の釘」 柳家 三三
   落語「たがや」  三遊亭 萬窓            
   落語「悋気の火の玉」  桂 文楽
   落語「ねずみ」    入船亭 扇遊
   紙切り    林家 正楽
   落語「ろくろ首」    柳家 小三治
   萬窓の入場が遅れたので、公演順序は、文楽と入れ替わった。

   トリの小三治は、最近逝去した永六輔との思い出話を中心に、時間がなくなると言いながら、まくらを30分近く語り、落語「ろくろ首」を語り始めたのは、終演予定時間の4時を回ってからで、30分以上オーバーの久々の熱演で、観客の熱い拍手と歓声を受けていた。

   永六輔との思い出話は、「東京やなぎ句会」の宗匠であった9代目入船亭扇橋と3人で、毎夏、岐阜から郡上八幡を経て日本海に抜けて能登へと、途中で落語会を開きながら旅をしていたことから話し始め
   永六輔は、落語はやらないのだが、その前に出てきて紹介したり、途中で登場して喋っていたと言う。
   永六輔は、面倒見が良くて、積極的で、やりたいことをやる男だったと言いながら、
   ”とっても恥ずかしいんですけど”と言いながら、いつも、一番前に出てくる目立ちたがり屋で、”この方が恥ずかしい。引っ込んでろ”と思ったと、永六輔の声音を真似て、客を喜ばせていた。
   小沢昭一の声音も喋っていたが、その上手さは特筆ものだが、よく考えてみれば、人間国宝の噺家であるから、ものまねが上手くて当然なのである。

   それに、興味深かったのは、エノケンの映画の駅前落語シリーズの劇中歌であろうか、早口なのでよく聞き取れなかったのだが、ひとくさりリズミカルに上手く歌って披露し、この歌を旅の途中で歌ったら無名時代に自分が作ったのだと永六輔が言ったと、その文才の凄さを語っていた。

   永六輔の俳句については、こんな素晴らしい文章を書く人だから、俳句も素晴らしいのであろうと思ったが、一回目の句会で、ほっとした。と言う。
   ”蓑虫よ お前自分で 揺らすのか” 一句を披露。
   人間生活にも、こんなことがあるであろう、アイデアが凄いと語っていた。

   旅を続けて5~6年経った頃、旅の途中で、永六輔がやってきて、”ボクのこと 嫌いでしょう”と言った。
   何とも言えなかったが、”それ程でもない”と答えた。
   お世辞も言わなければ黙ってもいるし、恥ずかしいと言いながら前に出てくる人は好きではない。
   自分のことが煙たかったのであろう、それから懐く様になって仲良くなったと言う。
   これとよく似た経験は、永の奥方の記念パーティか何かで来ていたピーコが、側にやってきて、”オカマ嫌いでしょ”と聞いたので、”今はそうではないですよ”と言ったら、肩を摺り寄せてきて親しくなったと言う。
   何故か、この時、「ろくろ首」のサブテーマでもあろう、「バカはモノに動じない」と言う言葉を語っていたが、意味が良く分からなかった。
   
   小沢昭一については、二つ目になって間もなく、TV朝日で、岐阜の御母衣ダムの工事現場の飯場で落語を語る小三治を追うドキュメント番組で、ナレーションを語ったのだが、それまで、ふざけた人だと思っていたのだが、その巧みさに驚いて、憧れてしまった。
   自分の人生は、憧れだけでやって来た。と語って笑わせていた。

   桂米朝は、小三治にとっても、先輩であって、偉い凄い存在であったようだが、上下なしの「東京やなぎ句会」の同人であったので、親しく付き合った、愉快な人だったと言う。
   この句会は、11人同人がいたが、現在、生存しているのは、小三治と矢野誠一だけで、今、これに2人女優が加わって、プロやゲストプラスで、句会を開いていて、コンテストのブービーとビリは、いつも、小三治と矢野だと言う。
   あの寅さんの渥美清も俳句が好きで、句会に、せっせと通っていたと言う。
 
   この落語は、25歳にもなって定職もなく遊び呆けている松公が、叔父さんの家に行って、嫁さんが欲しいと言い出したので、叔父さんは、出入りのお屋敷で、資産家で小町と言われている器量良しのお嬢さんのところへ婿養子に行かないかと誘う。
   ただ、問題があって、真夜中になると、その娘の首が伸びて、行燈の油を舐めるので、これまで、皆破談している。
   真夜中だけなら、熟睡して絶対に起きないので行くと承諾したので、叔父さんは、松公に挨拶言葉を一通り教えて、御屋敷に連れて行き、縁あって、お嬢さんとの婚礼が整う。
   初夜、ご馳走を食べ過ぎて気になった松公が、夜中に目を覚ましたら、嫁の首が、どんどん伸びて行くので、慄いて、叔父さんの家に駆け込む。
   契りを結んだんであろうから帰れと説得するが、家へ帰りたいと言うので、叔父さんは、「おまえの母親も喜んでおり、「孫の顔を早く見たいと、首を長くして待っている」と言うと、松公は「家へも帰れない」。

   このサゲは、師匠小さんを踏襲しているのだが、本来のサゲは、「蚊帳を吊る夏だけ、別居するというのはどうでしょうか」と言って、理由をたずねると、「首の出入りに、蚊が入って困る」と言うもののようだが、「お嬢さんがおまえの帰りを、今か今かと首を長くして待っている」と言うものなどバリエーションがあるらしい。

   インターネットを叩くと、YouTubeで、小三治の『ろくろ首』(1992年) が、見られる。
   20数年前の壮年期の素晴らしい高座を鑑賞出来てハッピーだが、今回の噺や語り口も、殆どこの時と同じで、老成したいぶし銀のような渋さとほのぼのとした人間味が滲み出ていて、感激しながら聴いていた。
   この国立演芸場に行って落語を聞き始めたのは最近で、小三治の高座は、人間国宝になってからの数回だけだが、今回は、円熟期の小三治の落語を聞いた思いで、貴重な経験をさせてもらった。
   
   
   
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