熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・企画公演:能と筝曲 「竹生島」「源氏供養」

2016年07月30日 | 能・狂言
   七月の国立能楽堂の「能のふるさと・近江」の最後は、2日に亘って催された企画公演「能と筝曲」であった。
   常磐津など浄瑠璃系の音楽様式を積極的に導入して成立したと言う山田流筝曲の「竹生島」と「石山源氏 上下」が、能「竹生島」と能「源氏供養」の詞章をアレンジしたような感じで、夫々の能の舞台の前に、優雅かつ華麗に演奏された。
   すこし前に、日本の能と、それを脚色して創作された沖縄の組踊との競演を見て感激した、あの古典芸術の奥深さに感動を覚えた、同じ思いである。

   プログラムは、次の通り。
   能と箏曲1
箏曲  竹生島  山勢 松韻
能  竹生島 女体  種田 道一(金剛流)
 間狂言  道者   野村 萬斎(和泉流)
   能と箏曲2
箏曲  石山源氏 上・下  山勢 松韻
能  源氏供養 真之舞入   武田 孝史(宝生流)

   当日、会場に、長浜から、ゆるキャラの「三成くん」が来ていて、ロビーで客を喜ばせていた。
   
   

   滋賀と言えば、どうしても、琵琶湖である。
   殆ど京阪神を出たことがなかったので、何十年も前、大学入学直後のコンパで、洗礼を受けて即座に覚えた歌は、”紅萌ゆる丘の花・・”で始まる三高寮歌と、”われは湖(うみ)の子 さすらいの・・”で始まる琵琶湖周航の歌、そして、”向こう通るは女学生・・・ロンドンパリを股にかけ、フィラデルフィアの大学を・・・”の三つであったが、私に強烈な印象を与えたのは、中でも、琵琶湖周航の歌で、次々に展開されて行く滋賀の旅情を感じて強烈であった。

   ・・・行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か 
   瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に 抱かれて 眠れ乙女子 やすらけく
   
   真っ先に出かけたのは、三井寺と石山寺であったが、その少し後、長浜から船で竹生島に渡って、都久夫須麻神社(竹生島神社)を訪れて、国宝の本殿を拝観した。
   主祭神は、市杵島比売命 (弁才天)であると言うことで、この竹生島弁才天は、江島神社と 厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつで、今回の能「竹生島」のシテとなっている。
   今鎌倉に住んでいて、江の島にも直近であり、銭洗い弁財天にも近くて、何となく不思議な気持ちだが、弁財天と言えば、吉祥天女像などとともに、女神としての美しさをイメージしてしまう。

   この「竹生島」も「源氏供養」も、琵琶湖や滋賀の都、京都などの風景や風物を想像豊かに意識の中で描くことによって、鑑賞の楽しさが増幅されるのであろう。
   私のような初歩の鑑賞者にとっては、殆ど動きがなく、舞と謡と囃子で展開されて行く徹底的に切り詰められた能舞台のドラマを少しでも分かろうとすれば、もてる思い出回帰と想像や空想などを総動員することなのである。

   この能の素晴らしさは、前場の春の琵琶湖上からの風景描写とか,
   「月海上に浮かんでは兎も波を走るか」から、波に兎をあしらった図柄を「竹生島文様」と称するようだが、私も、学生時代に、比良の麓の湖畔で数日キャンプをしたことがあり、湖上からもそうだが、とにかく、時の移り変りとともに刻々と変化して行く絵になる風景が魅力的であった。
   金剛流の「女体」であるから、後場は、前場の女が作りものの社に入って、劇中劇風の面白い間狂言の間に、弁財天に華麗に変身して「盤渉楽」を優雅に舞い、早笛に、老人は、龍神になって颯爽と登場して、迫力満点の舞を披露し、魅せてくれる。

   ところで、興味深いのは、萬斎が能力で、石田幸雄たちの道者たちに、弁財天の頭上に翁面邪身の「宇賀神」を頂く竹生島本尊の話をするので、道者たちは、妻が夫を肩車にして揚幕に退場するのだが、シテ弁財天の天冠の頭には、白い蓮の花が乗っていたようであった。

   先の「竹生島」の筝曲も素晴らしかったが、筝曲「石山源氏」も、日本の古典音曲の極致と言うか実に美しい。
   上下続けて40分と言う山田流筝曲でも最長の部類の曲で、演奏される機会は少ないと言うことだが、上は、殆ど、能の詞章を踏襲した感じで、シテを人間国宝山勢松韻が、ワキを山登松和家元が唄う形で演奏されていた。
   琴・三弦・笛の音色の素晴らしさと歌唱の美しさは、他の古典芸能とは、桁外れに華麗で美しく感動的で、詞章の表現の差と同時に、バリエーションの奥深さを感じて、触発源としての能の世界の神秘さをあらためて感じて興味深かった。
   下の方は、今回の宝生流の能「源氏供養」では、小書「真之舞人」で源氏物語54帖すべての巻名が詞章に謡われているのだが、筝曲でも同じように唄われて、その美しさも格別であった。
   いろは歌と同じで、日本の詩歌、文章芸術の卓越した冴えであろうか。

   能「源氏供養」は、
   紫式部が、石山寺に籠って、源氏物語を著したのだが、光源氏を十分に供養しなかったので、妄執の雲が晴れずに苦しんでいるところ、安居院法印が式部の頼みをかなえて供養し亡きあとを弔う。美麗な装束をまとった紫式部の霊が現れて、お布施に何を差し上げようと問うと、法印は代わりに舞を所望したので、式部の霊は、優美華麗な序の舞を舞う。
   源氏物語の巻巻の名を連ねて、美しい物語の世界から仏道に志す道筋を指示し、源氏物語は、人々が悟りに導く方便として書かれたもので、紫式部こそが、石山寺の本尊・観世音菩薩の化身だと言う。こんなストーリーである。

   節木増の面をかけて素晴らしく優美で美しいシテ武田孝史師の弁財天の霊の序ノ舞は、随分長い優雅な舞で、楽しませてもらった。
   紫式部が、才女であったことは確かだが、美女であったかどうか、興味のあるところである。
   もう一度、源氏物語を読み直そうと思っている。

   石山寺に行くと、紫式部が源氏物語を書いた部屋だと言うのがあって、式部の人形が置かれていて興味深い。
   確か、紫式部ゆかりの品々が、保存されている筈である。
   しかし、紫式部が、観世音菩薩の化身だと言う発想が面白い。
コメント
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