15日午後2時から、能楽協会東京支部主催の「納涼能」が催されたので出かけた。
能楽五流の家元ないしトップ能楽師による能舞台と言うことで、いつも、素晴らしいプログラムが催される。
今回のプログラムは、次の通り。
能 観世流 「羽衣 和合之舞」 シテ 観世喜之 ワキ 宝生欣哉
狂言 大蔵流 「鬼瓦」 シテ 山本東次郎 アド 山本凜太郎
仕舞 喜多流 「実盛 キリ」友枝昭世
金春流 「蝉丸」 金春安明
宝生流 「野守」 宝生和英
能 金剛流 「小鍛冶 白頭」 シテ 金剛永謹 ワキ 福王和幸
羽衣は、何度か、それも、各流派の舞台を観ている。
それ程、記憶は定かではないが、一番覚えているのは、天女の羽衣・長絹が置かれる位置で、正先に置かれた松の立木に掛けられるのだが、今回は、一ノ松の勾欄に掛けられていた。
この口絵写真の羽衣は、宝生能楽堂のロビーに掛かっていた額のコピーだが、松の立木が描かれているので、前者の演出であろう。
私の天女のイメージは、どうしても、子供の頃の羽衣伝説からで、精々、法隆寺の壁画や宇治の平等院の飛天の舞姿なのだが、その意味からでは、能の華麗で豪華なシテ/天人の舞姿は、スピリチュアルで荘厳でさえある。
今回の羽衣は、小書「和合之舞」なので、「序ノ舞」の終わりが「破ノ舞」の位になって、「序ノ舞」のあとの「ワカ」から「破ノ舞」までが省略されると言うのだが、そのあたりは、私には知識を越えていて分かり辛い。
仕舞は、人間国宝の友枝昭和世、金春安明宗家、宝生和英宗家、
仕舞は能の一部を、面・装束をつけず、紋服・袴のまま素で舞う演出なので、能楽師のあたかも面をつけたような無表情の、非常に精悍な素晴らしい舞姿を鑑賞でき、私は好きである。
それに、地謡が4人と少なくて、謡が増幅して籠らずに聴こえるので、分かりよいのが良い。
狂言の「鬼瓦」は、これまで、3回、万作の素晴らしい舞台を観ていて、その表情と声音が鮮烈に残っているので、一寸、印象が違った東次郎のシテ/大名も面白かった。
この狂言は、地方の大名が、訴訟で勝訴して長らく滞在していた京都から故郷へ帰る前に、因幡堂へお礼参りに出かけて、その堂の屋根の鬼瓦が、妻の顔に似ているので、懐かしくなって、オイオイ泣くと言う、一寸、意表を突いたストーリーである。
能「小鍛冶」は、小鍛冶宗近が、天皇の霊夢で、剣を打つことになるのだが、同等の技を持った相槌がいないと断るも、稲荷明神が、狐の姿となって現れて、相槌を勤めて剣を打ち上げると言う話。
今回は、「白頭」と言う特殊演出で、シテ/稲荷明神の金剛永謹宗家が素晴らしく勇壮な姿で登場して、緩急自在の囃子に乗って華麗な舞を披露した。
舞台正先に、壇の作りものが出されて、その台上に、鉄床、鉄槌、刀身、幣が置かれて、この上で、剣が打たれるのだが、この日は、脇正面前方中央の席であったので、斜め後方から見上げる感じであった。
昨年11月に、国立能楽堂主催の観世流「小鍛冶」で、シテ/上田貴弘の同じく「白頭」の舞台を観たのだが、牙飛出の面の表情など凄い迫力であった。
この能は、かなり、リアルや表現なので、分かり易い。
能楽五流の家元ないしトップ能楽師による能舞台と言うことで、いつも、素晴らしいプログラムが催される。
今回のプログラムは、次の通り。
能 観世流 「羽衣 和合之舞」 シテ 観世喜之 ワキ 宝生欣哉
狂言 大蔵流 「鬼瓦」 シテ 山本東次郎 アド 山本凜太郎
仕舞 喜多流 「実盛 キリ」友枝昭世
金春流 「蝉丸」 金春安明
宝生流 「野守」 宝生和英
能 金剛流 「小鍛冶 白頭」 シテ 金剛永謹 ワキ 福王和幸
羽衣は、何度か、それも、各流派の舞台を観ている。
それ程、記憶は定かではないが、一番覚えているのは、天女の羽衣・長絹が置かれる位置で、正先に置かれた松の立木に掛けられるのだが、今回は、一ノ松の勾欄に掛けられていた。
この口絵写真の羽衣は、宝生能楽堂のロビーに掛かっていた額のコピーだが、松の立木が描かれているので、前者の演出であろう。
私の天女のイメージは、どうしても、子供の頃の羽衣伝説からで、精々、法隆寺の壁画や宇治の平等院の飛天の舞姿なのだが、その意味からでは、能の華麗で豪華なシテ/天人の舞姿は、スピリチュアルで荘厳でさえある。
今回の羽衣は、小書「和合之舞」なので、「序ノ舞」の終わりが「破ノ舞」の位になって、「序ノ舞」のあとの「ワカ」から「破ノ舞」までが省略されると言うのだが、そのあたりは、私には知識を越えていて分かり辛い。
仕舞は、人間国宝の友枝昭和世、金春安明宗家、宝生和英宗家、
仕舞は能の一部を、面・装束をつけず、紋服・袴のまま素で舞う演出なので、能楽師のあたかも面をつけたような無表情の、非常に精悍な素晴らしい舞姿を鑑賞でき、私は好きである。
それに、地謡が4人と少なくて、謡が増幅して籠らずに聴こえるので、分かりよいのが良い。
狂言の「鬼瓦」は、これまで、3回、万作の素晴らしい舞台を観ていて、その表情と声音が鮮烈に残っているので、一寸、印象が違った東次郎のシテ/大名も面白かった。
この狂言は、地方の大名が、訴訟で勝訴して長らく滞在していた京都から故郷へ帰る前に、因幡堂へお礼参りに出かけて、その堂の屋根の鬼瓦が、妻の顔に似ているので、懐かしくなって、オイオイ泣くと言う、一寸、意表を突いたストーリーである。
能「小鍛冶」は、小鍛冶宗近が、天皇の霊夢で、剣を打つことになるのだが、同等の技を持った相槌がいないと断るも、稲荷明神が、狐の姿となって現れて、相槌を勤めて剣を打ち上げると言う話。
今回は、「白頭」と言う特殊演出で、シテ/稲荷明神の金剛永謹宗家が素晴らしく勇壮な姿で登場して、緩急自在の囃子に乗って華麗な舞を披露した。
舞台正先に、壇の作りものが出されて、その台上に、鉄床、鉄槌、刀身、幣が置かれて、この上で、剣が打たれるのだが、この日は、脇正面前方中央の席であったので、斜め後方から見上げる感じであった。
昨年11月に、国立能楽堂主催の観世流「小鍛冶」で、シテ/上田貴弘の同じく「白頭」の舞台を観たのだが、牙飛出の面の表情など凄い迫力であった。
この能は、かなり、リアルや表現なので、分かり易い。
