IOT(Internet of Things)は、「モノのインターネット」
「インターネットのように」会社や組織やビルや住宅や所有者の枠を超えてモノが繋がる、まさにオープンなインフラを目指す言葉と捉えるべきである。
そして、今のインターネットが、主にウェブやメールなど人間のコミュニケーションを助けるものであるのに対して、その連携により、社会や生活を支援するーーそれが、IOTだと、坂村教授は言う。
ドイツの「インダストリー4.0」やアメリカの「インダストリアル・インターネット・コンソーシャム」と言ったIOTの到来で、黒船来襲のように日本中が驚いているが、しかし、日本では既にTRONプロジェクトの成果によって早くから組み込み用OSの事実上の標準化が実現しており、それが、自動車や家電が「マイコン式」になる時期の大きなアドヴァンテージになっていて、IOTは日本の得意な組み込み機器のネットワーク化の流れの先にある未来であって、日本がこの分野で地道に研究開発と実用を続けてきた。
しかし、トヨタのカンバン・システムもIOTだが、これは、系列に閉じたIOTであって、インダストリアル4.0が大きく違っているのは、ドイツ、更に世界中の製造業すべてが繋がる、系列に閉じないIOTだと言うことである。
インダストリー4.0は、蒸気機関の第1次産業革命が1.0、モーター等の電気化を2.0、コンピューターによる電子化で3.0、正に、このIOT化は第4次産業革命の4.0だが、サービス4.0、IOG(Internet of Guest)を展開して、「おもてなし」の課題を解決して、2020オリンピック・パラリンピックを成功に導こうと、詳細に論じているのが面白い。
いずれにしろ、IOT化は、一頃流行ったユビキタス。
モノを全部インターネットに繋ぐのがIOTであるから、須らく、あらゆる機器のAPIが、オープンシステムでなければならない。
現実世界をプログラム可能にすることであるから、プログラミングの力こそが、この環境を生かす鍵であり、国家レベルのプログラミング教育が必須で、「プログラミングできるその分野の専門家」を育成するために、初等中等からスタートすべきだと言う。
スマホさえ使っていない私なので、技術的なことはともかく、坂村教授のTRONのセミナーを聴講したり著書を読んできているので、IOTなど、その応用だと思っていたし、IOTより、IOE(Internet of everything)だと言うことも、なるほどと思っている。
坂村教授は、IOTへの展開について、技術的にも詳細に論じているのだが、私には、その方面に疎い所為もあるのだが、日本の閉鎖的な政治経済社会システムが、時代の潮流や新しい革新について行けないと言う方に興味があるので、最先端を行くIOTの実現とその未来に関心が向く。
さて、境界が明確なシステムは、特定のシステム管理主体が全体機能について保証(ギャランティー)するのだが、インターネットのようなオープンなシステムは、特定の管理主体がないので、その全体についての保証は不可能で、ベストエフォートによって成り立たざるを得ない。
予測できない革新こそがイノベーションであることを考えれば、このベストエフォートで境界が不明確であるからこそ、オープンなシステムは社会のイノベーションに大きな力を発揮する。
ところが、日本の組織や個人は、一般に責任感が強く失敗を恐れる保証志向なので、ベストエフォートによるオープン・システムに親和性が悪く、このことによって、インターネットをはじめとする現在主流のオープンな情報システムを構築する上で、日本が後手に回っている。
IOTが研究段階が終わって社会への出口を見付ける段階になった今、日本のIOTは、技術以外の要素が問題となって、日本の政治経済社会が内包するオープンな情報システム構築に不向きなギャランティ志向が、大きな足かせとなっていると言うのである。
i・modeで先行していた日本の「ケイタイ」が、キャリアがガバナンスを持つクローズドなシステムであったがゆえに、OSメーカーに主導権が移って一気にオープン化したスマートホンへの移行について行けなかった、正に、ガバナンスの欠陥の最たる例であると言う。
自由な発想を育む英米法の社会と違って、イノベーションの芽を生み出すことに不向きな大陸法体系の日本社会が、スティーブ・ジョブズの誕生を阻むビジネスシステムを醸成しているとの持論も展開していて興味深い。
江戸末期には、英米との接触によって、文明開化を目指し、明治維新では、英米より多くの学者や専門家を招聘して日本の近代化を目指した筈だったが、法体系では、ドイツなどから大陸法を導入して、政治経済社会システムを作り上げた。
成文法を法体系の中心におく大陸法が、日本社会に馴染む法体系かどうかは、不勉強で分からないが、坂村教授のイノベーション論に関する限り、何でも成文法にしてしまう法体系は、時代の潮流に呼応できずに、制度疲労を起こして、革新を阻害する要因になると言うことであろうか。
改憲論争もそうだが、益々、グローバル化して、科学技術の進歩発展によって、世界全体がオープン化して行く時代に、法体系がどうあるべきか、真剣に考えるべきかもしれない。
「インターネットのように」会社や組織やビルや住宅や所有者の枠を超えてモノが繋がる、まさにオープンなインフラを目指す言葉と捉えるべきである。
そして、今のインターネットが、主にウェブやメールなど人間のコミュニケーションを助けるものであるのに対して、その連携により、社会や生活を支援するーーそれが、IOTだと、坂村教授は言う。
ドイツの「インダストリー4.0」やアメリカの「インダストリアル・インターネット・コンソーシャム」と言ったIOTの到来で、黒船来襲のように日本中が驚いているが、しかし、日本では既にTRONプロジェクトの成果によって早くから組み込み用OSの事実上の標準化が実現しており、それが、自動車や家電が「マイコン式」になる時期の大きなアドヴァンテージになっていて、IOTは日本の得意な組み込み機器のネットワーク化の流れの先にある未来であって、日本がこの分野で地道に研究開発と実用を続けてきた。
しかし、トヨタのカンバン・システムもIOTだが、これは、系列に閉じたIOTであって、インダストリアル4.0が大きく違っているのは、ドイツ、更に世界中の製造業すべてが繋がる、系列に閉じないIOTだと言うことである。
インダストリー4.0は、蒸気機関の第1次産業革命が1.0、モーター等の電気化を2.0、コンピューターによる電子化で3.0、正に、このIOT化は第4次産業革命の4.0だが、サービス4.0、IOG(Internet of Guest)を展開して、「おもてなし」の課題を解決して、2020オリンピック・パラリンピックを成功に導こうと、詳細に論じているのが面白い。
いずれにしろ、IOT化は、一頃流行ったユビキタス。
モノを全部インターネットに繋ぐのがIOTであるから、須らく、あらゆる機器のAPIが、オープンシステムでなければならない。
現実世界をプログラム可能にすることであるから、プログラミングの力こそが、この環境を生かす鍵であり、国家レベルのプログラミング教育が必須で、「プログラミングできるその分野の専門家」を育成するために、初等中等からスタートすべきだと言う。
スマホさえ使っていない私なので、技術的なことはともかく、坂村教授のTRONのセミナーを聴講したり著書を読んできているので、IOTなど、その応用だと思っていたし、IOTより、IOE(Internet of everything)だと言うことも、なるほどと思っている。
坂村教授は、IOTへの展開について、技術的にも詳細に論じているのだが、私には、その方面に疎い所為もあるのだが、日本の閉鎖的な政治経済社会システムが、時代の潮流や新しい革新について行けないと言う方に興味があるので、最先端を行くIOTの実現とその未来に関心が向く。
さて、境界が明確なシステムは、特定のシステム管理主体が全体機能について保証(ギャランティー)するのだが、インターネットのようなオープンなシステムは、特定の管理主体がないので、その全体についての保証は不可能で、ベストエフォートによって成り立たざるを得ない。
予測できない革新こそがイノベーションであることを考えれば、このベストエフォートで境界が不明確であるからこそ、オープンなシステムは社会のイノベーションに大きな力を発揮する。
ところが、日本の組織や個人は、一般に責任感が強く失敗を恐れる保証志向なので、ベストエフォートによるオープン・システムに親和性が悪く、このことによって、インターネットをはじめとする現在主流のオープンな情報システムを構築する上で、日本が後手に回っている。
IOTが研究段階が終わって社会への出口を見付ける段階になった今、日本のIOTは、技術以外の要素が問題となって、日本の政治経済社会が内包するオープンな情報システム構築に不向きなギャランティ志向が、大きな足かせとなっていると言うのである。
i・modeで先行していた日本の「ケイタイ」が、キャリアがガバナンスを持つクローズドなシステムであったがゆえに、OSメーカーに主導権が移って一気にオープン化したスマートホンへの移行について行けなかった、正に、ガバナンスの欠陥の最たる例であると言う。
自由な発想を育む英米法の社会と違って、イノベーションの芽を生み出すことに不向きな大陸法体系の日本社会が、スティーブ・ジョブズの誕生を阻むビジネスシステムを醸成しているとの持論も展開していて興味深い。
江戸末期には、英米との接触によって、文明開化を目指し、明治維新では、英米より多くの学者や専門家を招聘して日本の近代化を目指した筈だったが、法体系では、ドイツなどから大陸法を導入して、政治経済社会システムを作り上げた。
成文法を法体系の中心におく大陸法が、日本社会に馴染む法体系かどうかは、不勉強で分からないが、坂村教授のイノベーション論に関する限り、何でも成文法にしてしまう法体系は、時代の潮流に呼応できずに、制度疲労を起こして、革新を阻害する要因になると言うことであろうか。
改憲論争もそうだが、益々、グローバル化して、科学技術の進歩発展によって、世界全体がオープン化して行く時代に、法体系がどうあるべきか、真剣に考えるべきかもしれない。