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WOWOWで録画していた映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」を見た。
民主党の院内総務と言う超ベテランの上院議員のリンドン・ジョンソンが、ケネディ大統領に副大統領に指名されて閑職を託っていたが、1963年11月22日、ダラスで暗殺されたケネディに代わって大統領に昇格し、ケネディの遺志を尊重して公民権法を成立させると言う劇的なアメリカ史を浮き彫りにした映画である。
ケネディは、南部議員対策のために老練なジョンソンを起用したようなもので、飾り同様に閑職に干され、北部エリートのジョン・F・ケネディの弟ロバート・F・ケネディ司法長官から疎外され続け、人種差別反対の師弟関係にあったリチャード・ラッセル上院議員ほか南部議員から徹底的に公民権法に反発されながら、ケネディ大統領の意思を継いで、公民権法を成立させる。
「スタンド・バイ・ミー」「ア・フュー・グッドメン」のロブ・ライナー監督で、「スリー・ビルボード」のウッディ・ハレルソンが、この第36代米大統領リンドン・ジョンソンを好演した政治ドラマで、副大統領の執務時には典型的な「外交儀礼用の副大統領」に終始し、国政の蚊帳の外に置かれながらも、一たび、大統領になると果敢に反対勢力を説得して、公民権法の成立を熱っぽく説いた上下両院合同議会での感動的な演説を行う。
人種差別に対して否定的になり、公民権運動に理解を示したジョンソンは、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、人種差別的な議員の反対に対して、院内総務を長年務めた経験を生かして粘り強く議会懐柔策を進めたと言うことで、南部の頑なな人種差別意識の染みついた議員たちへの説得シーンが非常に興味深い。
ケネディは言論こそ巧みで、理想論を説いたが、実際には公民権法の成立への行動には躊躇していたようで、老練なジョンソンの意志の強さと行動力によってこそ、成立したようなものであろうか。
タイトルの「LBJ ケネディの意志を継いだ男」と言うことであろう。
1964年7月2日に公民権法に署名し、1965年8月6日に、選挙権登録における差別をなくすための投票権法にも署名し、連邦政府の介入で投票権の保障を強化することなどを定めて、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃に対する積極的な姿勢を示した
ワシントンのリンカーン記念堂から夜光に照り映えて輝くリンカン大統領の像を仰いで、「俺がこの国のケツを拭く」と呟く劇的シーンが印象的だが、この思いが、ジョンソンの最大のドライブ要因であったのであろう。
次の大統領選挙では、共和党のバリー・ゴールドウォーターに大勝し、幸運にも、当時司法・行政・立法の三権がイデオロギー的に民主党系に同調していた時期に、大統領の職にあり、議会と大統領と最高裁判所が、ともに連邦政府の庇護のもとで、国民の権利拡大を図るべきだという思想を共有していたことが幸いして、貧困撲滅や教育振興や福利厚生の強化など「偉大な社会」構想を、どんどん推進したが、ヴェトナム戦争に深入りして泥沼に足を取られて人気が地に落ちて、次の大統領選出馬を断念した。
今回の映画のタイトルは、LBJ、
この呼称にたいして、JFKの向こうを張って、と批判されていたが、あくまで、ケネディの意思を継いでの公民権法の成立に焦点を当てたジョンソンの軌跡なので、自伝風に映画を作れば、また、大分違ったジョンソン像が見えたであろう。
いずれにしろ、アフリカ系アメリカ人への人種差別の凄まじさは、私が、フィラデルフィアで勉強していた、1072年6月から1974年5月の間でも、まだ、その片鱗が色濃く残っていた。
オバマ大統領が出現したことは、この公民権法が大きく貢献していると思うが、また、トランプ体制になって、人種差別的な動きが出てきており、憂慮される。
ホモ・サピエンスの起源は、アフリカ。
人類、悉く、平等、
グローバル時代のコスモポリタンとしての心意気であろうと思うのだが。
民主党の院内総務と言う超ベテランの上院議員のリンドン・ジョンソンが、ケネディ大統領に副大統領に指名されて閑職を託っていたが、1963年11月22日、ダラスで暗殺されたケネディに代わって大統領に昇格し、ケネディの遺志を尊重して公民権法を成立させると言う劇的なアメリカ史を浮き彫りにした映画である。
ケネディは、南部議員対策のために老練なジョンソンを起用したようなもので、飾り同様に閑職に干され、北部エリートのジョン・F・ケネディの弟ロバート・F・ケネディ司法長官から疎外され続け、人種差別反対の師弟関係にあったリチャード・ラッセル上院議員ほか南部議員から徹底的に公民権法に反発されながら、ケネディ大統領の意思を継いで、公民権法を成立させる。
「スタンド・バイ・ミー」「ア・フュー・グッドメン」のロブ・ライナー監督で、「スリー・ビルボード」のウッディ・ハレルソンが、この第36代米大統領リンドン・ジョンソンを好演した政治ドラマで、副大統領の執務時には典型的な「外交儀礼用の副大統領」に終始し、国政の蚊帳の外に置かれながらも、一たび、大統領になると果敢に反対勢力を説得して、公民権法の成立を熱っぽく説いた上下両院合同議会での感動的な演説を行う。
人種差別に対して否定的になり、公民権運動に理解を示したジョンソンは、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、人種差別的な議員の反対に対して、院内総務を長年務めた経験を生かして粘り強く議会懐柔策を進めたと言うことで、南部の頑なな人種差別意識の染みついた議員たちへの説得シーンが非常に興味深い。
ケネディは言論こそ巧みで、理想論を説いたが、実際には公民権法の成立への行動には躊躇していたようで、老練なジョンソンの意志の強さと行動力によってこそ、成立したようなものであろうか。
タイトルの「LBJ ケネディの意志を継いだ男」と言うことであろう。
1964年7月2日に公民権法に署名し、1965年8月6日に、選挙権登録における差別をなくすための投票権法にも署名し、連邦政府の介入で投票権の保障を強化することなどを定めて、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃に対する積極的な姿勢を示した
ワシントンのリンカーン記念堂から夜光に照り映えて輝くリンカン大統領の像を仰いで、「俺がこの国のケツを拭く」と呟く劇的シーンが印象的だが、この思いが、ジョンソンの最大のドライブ要因であったのであろう。
次の大統領選挙では、共和党のバリー・ゴールドウォーターに大勝し、幸運にも、当時司法・行政・立法の三権がイデオロギー的に民主党系に同調していた時期に、大統領の職にあり、議会と大統領と最高裁判所が、ともに連邦政府の庇護のもとで、国民の権利拡大を図るべきだという思想を共有していたことが幸いして、貧困撲滅や教育振興や福利厚生の強化など「偉大な社会」構想を、どんどん推進したが、ヴェトナム戦争に深入りして泥沼に足を取られて人気が地に落ちて、次の大統領選出馬を断念した。
今回の映画のタイトルは、LBJ、
この呼称にたいして、JFKの向こうを張って、と批判されていたが、あくまで、ケネディの意思を継いでの公民権法の成立に焦点を当てたジョンソンの軌跡なので、自伝風に映画を作れば、また、大分違ったジョンソン像が見えたであろう。
いずれにしろ、アフリカ系アメリカ人への人種差別の凄まじさは、私が、フィラデルフィアで勉強していた、1072年6月から1974年5月の間でも、まだ、その片鱗が色濃く残っていた。
オバマ大統領が出現したことは、この公民権法が大きく貢献していると思うが、また、トランプ体制になって、人種差別的な動きが出てきており、憂慮される。
ホモ・サピエンスの起源は、アフリカ。
人類、悉く、平等、
グローバル時代のコスモポリタンとしての心意気であろうと思うのだが。