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曽野さんが、日本財団の会長として、福祉関係の活動に力を入れ、経済援助などでアフリカとの関係が深くて、アフリカの話が随所で語られており、非常に興味深いのだが、やはり、大統領追放後のフジモリ大統領の105日間自宅に滞在の話同様、別世界の話である。
最終章 これからの日本、そして旅のかたち で、最近の動向について触れているので、少し、考えてみたい。
まず、日本は本当に貧しいのか、という問題。
ここでは、発展途上国、特に貧しい1日1ドル生活のボリビアの家族のことを語っているので、今なお、この地球上には、このような最貧困層が何十億人と存在しており、比較にならないのだが、お二人が言うように、日本人の生活は、十分に豊かであると思う。
これは私見だが、失われた20年で、この間、GDPは500兆円どまりで鳴かず飛ばずが続いているのだが、技術革新によるのだが、この経済指標では表現できない経済社会の質量の向上は、計り知れないものがあり、随分、豊かになっている。
これは、例えば、我々が日常使っているテレビやパソコンを取ってみれば、20年前の20万円のものと、今の20万円のものと比べれば、その途轍もない質の向上に気づく筈で、この現象が、すべての日本の経済社会生活に反映されており、まして、デフレであり人口減少の時代であるから、GDPの成長はゼロでも、日本人は、世界最先端の文明文化生活を営んでいることには間違いないと思う。
それとは逆に、最近、若者は、「海外に行け」と言っても行きたがらないと言う内向き現象、例えば、医者は、もう、アメリカからは学ぶものはない、と言う。
兼高さんは、海外の大学で得る一番大きなものは、人脈で、ハーバードなら留学で築くネットワークだ。と言っている。
語学留学と言うケースは兎も角、海外の高等教育機関への日本人留学生は極端に減っているようで、深刻な問題となっており、この人脈、ネットワークの構築と言うことは、正に、正論であり、中国人の欧米トップ大学への留学ラッシュを考えれば、末恐ろしくなる。
しかし、私のケースで、もう少し、どろどろした俗っぽいことを言うと、貴族制度がなくなったフランスを例にとれば、完全に学歴社会であり、ポリテクやENAを筆頭にグランゼコール出身者が支配していると言っても過言ではなく、
ビジネスにしてもその相手のアイデンティティを確認するのに最も重要なのは、学歴であり、ポリテクを出たトップエクゼクティブが、私の場合には、ウォートン・スクールのMBAだと言うことで、対等だと言って付き合ってくれた。
イギリスでも、貴族制度は残っていても、少数なので、やはり、資格や学歴優先で値踏みされて、とにかく、肩書に何かないと、Mrだけでは話にならず、私は、英人に勧められて、仕方なく、名刺にMBAを付けたのだが、送られてくる手紙や書類は、すべて、そのMBAがついていた。
以前に、ブラジルの記事で書いたが、会社の社長などトップは、当然、PhD、すなわち、ドクター(博士)である筈だと言う前提で、その資格を持っていても持っていなくても、ドートールと呼ばれているように、発展途上国でも先進国でも、資格が独り歩きしているのである。
もう一つ、嫌味になるのを覚悟で書けば、業界紙にインタビュー記事で紹介されたこともあるのだが、京大経済卒では、通用せず、グローバル水準のウォートンスクールのMBAが、私にとっては、ロンドンでのビジネスのパスポートとなった。
欧米では、まともにビジネスをやろうとすれば、世界でもトップクラスの大学のドクター、少なくとも、MBAや法科大学院などの修士号以上を持っていなければ、まず、スタートで引けを取る。
良いか悪いかは別として、また、アメリカンドリームだと言われても、欧米は、日本以上に、学歴と資格社会であって、これらに伍して行く最も簡単な方法は、欧米のトップ大学を目指して卒業することである。
尤も、日本は、「出る釘は叩く」社会であり、エリートを寄って集って引き下ろす社会であるから、海外留学が良いか悪いかは別次元の話で、海外へ羽ばたけ、と言うのは、海外での話である。と言うことにしておこう。
兼高さんが言っているのだが、
朝から晩まで日本に閉じこもって、多くは似たような顔ぶれで生活していれば、新しいアイデアなど浮かぶ筈がない。海外に出て、日常から切り離されて、初めて見るもの、面白いものに触れれば脳が活性化する。海外へ出ると言う体験は、自分を成長させる近道である。
可愛い子には旅をさせよ、イギリス貴族が、子息をイタリアへ、「グランドツアー」に送り出した、これ総て、子を思う親が心すべき教訓である。
まして、海外留学すれば、これに加えて、将来の財産となるグローバルベースの人脈を得て、かつ、グローバルに活躍できるパスポートを得ることになる。
ハーバード大学への日本の留学生は、たったの5人だと、アメリカの著名人が嘆いていたが、日本のノーベル賞受賞者の大半が、アメリカ帰りの学者である現実を観れば、如何に、欧米への海外留学が大切かが分かるであろう。
日本の若い音楽家やバレエダンサー、それに、スポーツ分野での若い人々の海外での活躍が脚光を浴びているが、やはり、学問芸術など海外での高等教育機関での勉強も大切であり、明治維新の頃や戦後の復興期に、若者たちが、雲霞のごとく海外に雄飛した、あの時代を再現しない限り、日本の将来は、このまま、鳴かず飛ばずであろうと思う。
さて、「富」が文化をつくる と言う項で、
突出したお金持ちの存在は、歓迎すべきで、そもそも、お金がなければ、文化や芸術は育たない。お金持ちから富裕税を取ってはいけません。豪邸でも庭でも最高水準のものを作れば、後に残って観光資源になる。
と、お二人は、ピラミッドやタージ・マハルやフィレンツェなどの例を挙げて、威勢のいいことを仰る。
富と文化とは相関関係なのは、事実としても、格差拡大の深刻な現代社会においては、そのやり方如何では、資本主義のみならず、民主主義まで窮地に追い込む。
文化文明論やルネサンス、はたまた、資本主義の将来などのついては、このブログで、随分論じて来たので、蛇足は避けたい。
他にも、この本では、色々と問題提起されていて、興味は尽きない。
最終章 これからの日本、そして旅のかたち で、最近の動向について触れているので、少し、考えてみたい。
まず、日本は本当に貧しいのか、という問題。
ここでは、発展途上国、特に貧しい1日1ドル生活のボリビアの家族のことを語っているので、今なお、この地球上には、このような最貧困層が何十億人と存在しており、比較にならないのだが、お二人が言うように、日本人の生活は、十分に豊かであると思う。
これは私見だが、失われた20年で、この間、GDPは500兆円どまりで鳴かず飛ばずが続いているのだが、技術革新によるのだが、この経済指標では表現できない経済社会の質量の向上は、計り知れないものがあり、随分、豊かになっている。
これは、例えば、我々が日常使っているテレビやパソコンを取ってみれば、20年前の20万円のものと、今の20万円のものと比べれば、その途轍もない質の向上に気づく筈で、この現象が、すべての日本の経済社会生活に反映されており、まして、デフレであり人口減少の時代であるから、GDPの成長はゼロでも、日本人は、世界最先端の文明文化生活を営んでいることには間違いないと思う。
それとは逆に、最近、若者は、「海外に行け」と言っても行きたがらないと言う内向き現象、例えば、医者は、もう、アメリカからは学ぶものはない、と言う。
兼高さんは、海外の大学で得る一番大きなものは、人脈で、ハーバードなら留学で築くネットワークだ。と言っている。
語学留学と言うケースは兎も角、海外の高等教育機関への日本人留学生は極端に減っているようで、深刻な問題となっており、この人脈、ネットワークの構築と言うことは、正に、正論であり、中国人の欧米トップ大学への留学ラッシュを考えれば、末恐ろしくなる。
しかし、私のケースで、もう少し、どろどろした俗っぽいことを言うと、貴族制度がなくなったフランスを例にとれば、完全に学歴社会であり、ポリテクやENAを筆頭にグランゼコール出身者が支配していると言っても過言ではなく、
ビジネスにしてもその相手のアイデンティティを確認するのに最も重要なのは、学歴であり、ポリテクを出たトップエクゼクティブが、私の場合には、ウォートン・スクールのMBAだと言うことで、対等だと言って付き合ってくれた。
イギリスでも、貴族制度は残っていても、少数なので、やはり、資格や学歴優先で値踏みされて、とにかく、肩書に何かないと、Mrだけでは話にならず、私は、英人に勧められて、仕方なく、名刺にMBAを付けたのだが、送られてくる手紙や書類は、すべて、そのMBAがついていた。
以前に、ブラジルの記事で書いたが、会社の社長などトップは、当然、PhD、すなわち、ドクター(博士)である筈だと言う前提で、その資格を持っていても持っていなくても、ドートールと呼ばれているように、発展途上国でも先進国でも、資格が独り歩きしているのである。
もう一つ、嫌味になるのを覚悟で書けば、業界紙にインタビュー記事で紹介されたこともあるのだが、京大経済卒では、通用せず、グローバル水準のウォートンスクールのMBAが、私にとっては、ロンドンでのビジネスのパスポートとなった。
欧米では、まともにビジネスをやろうとすれば、世界でもトップクラスの大学のドクター、少なくとも、MBAや法科大学院などの修士号以上を持っていなければ、まず、スタートで引けを取る。
良いか悪いかは別として、また、アメリカンドリームだと言われても、欧米は、日本以上に、学歴と資格社会であって、これらに伍して行く最も簡単な方法は、欧米のトップ大学を目指して卒業することである。
尤も、日本は、「出る釘は叩く」社会であり、エリートを寄って集って引き下ろす社会であるから、海外留学が良いか悪いかは別次元の話で、海外へ羽ばたけ、と言うのは、海外での話である。と言うことにしておこう。
兼高さんが言っているのだが、
朝から晩まで日本に閉じこもって、多くは似たような顔ぶれで生活していれば、新しいアイデアなど浮かぶ筈がない。海外に出て、日常から切り離されて、初めて見るもの、面白いものに触れれば脳が活性化する。海外へ出ると言う体験は、自分を成長させる近道である。
可愛い子には旅をさせよ、イギリス貴族が、子息をイタリアへ、「グランドツアー」に送り出した、これ総て、子を思う親が心すべき教訓である。
まして、海外留学すれば、これに加えて、将来の財産となるグローバルベースの人脈を得て、かつ、グローバルに活躍できるパスポートを得ることになる。
ハーバード大学への日本の留学生は、たったの5人だと、アメリカの著名人が嘆いていたが、日本のノーベル賞受賞者の大半が、アメリカ帰りの学者である現実を観れば、如何に、欧米への海外留学が大切かが分かるであろう。
日本の若い音楽家やバレエダンサー、それに、スポーツ分野での若い人々の海外での活躍が脚光を浴びているが、やはり、学問芸術など海外での高等教育機関での勉強も大切であり、明治維新の頃や戦後の復興期に、若者たちが、雲霞のごとく海外に雄飛した、あの時代を再現しない限り、日本の将来は、このまま、鳴かず飛ばずであろうと思う。
さて、「富」が文化をつくる と言う項で、
突出したお金持ちの存在は、歓迎すべきで、そもそも、お金がなければ、文化や芸術は育たない。お金持ちから富裕税を取ってはいけません。豪邸でも庭でも最高水準のものを作れば、後に残って観光資源になる。
と、お二人は、ピラミッドやタージ・マハルやフィレンツェなどの例を挙げて、威勢のいいことを仰る。
富と文化とは相関関係なのは、事実としても、格差拡大の深刻な現代社会においては、そのやり方如何では、資本主義のみならず、民主主義まで窮地に追い込む。
文化文明論やルネサンス、はたまた、資本主義の将来などのついては、このブログで、随分論じて来たので、蛇足は避けたい。
他にも、この本では、色々と問題提起されていて、興味は尽きない。
→2017年2月(88才)・・・本書で曽野(85才)と対談。曽野「(ドイツでベルリン・フィルの演奏会を聴くツァーに)今度、ご一緒しましょう」に対し、兼高「ぜひ! わたくしたちの『世界の旅』は、まだまだ続きますわね」(第五章「これからの日本、そして旅のかたち」)と締めくくる。
→同月・・・本書刊行(2月)を記念し、テレビ番組「徹子の部屋」で黒柳徹子(83才)と対談。
→同月・・・本書刊行(2月)を記念し、ラジオ番組で脳科学者/茂木健一郎(54才)と対談。
→同月・・・90才(2018年2月)を迎える前に、「淡路ワールドパークONOKORO」旅の資料館で特別展開催。
→2018年2月(90才)・・・体調悪化?
→2019年1月(90才)・・・死去。 新聞報道「追想録/海外への夢、日本に伝える/兼高かおるさん(旅行作家)」曰く、≪番組「兼高かおる世界の旅」は・・・遠い異国の風景や暮らしを伝える貴重な窓だった。未踏の辺境にも挑む果敢さと・・・上品で柔らかい語り口が視聴者を魅了した。・・・2017年に関西看護医療大学に来校した兼高さんは・・・「来年一緒にモンゴルを訪ねましょう」と江川隆子学長と約束を交わしたが、まもなく体調が悪化し果たせなかった。≫
「横浜中華街・横浜山手異人館・華僑」の関係と同様、関西には「神戸南京町中華街・神戸北野異人館・印僑」の存在あり。印僑とは、在日インド人貿易商=インド商のこと。彼らは、神戸市北野辺りで白亜の豪邸に住み、ベンツで大阪市内(自分の会社)へ通勤し、メイド・イン・ジャパンの繊維製品や電気製品を香港やシンガポール・インド・中近東へ輸出して富を築いていた。商売に長けた彼らは、日本人女性を「現地妻」とすることもあったようだが、母国インドの女性と結婚するのが普通。仕事で交流のあったインド商青年に「新婚の夫人」を披露してもらったが、彫が深くて映画女優のような美女でした。兼高さんの若い頃の写真を見て、その美女を思い出しました。神戸出身で日印ハーフの彼女、生家は北野の裕福なインド人貿易商だったのでは?