熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鳳凰祭三月大歌舞伎・・・「封印切」

2014年03月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎では、やはり、期待は、藤十郎の「封印切」であった。
   もう殆どの歌舞伎役者が東京に本拠を移してしまったので、こてこての上方訛りで、正統派(?)の上方版の近松門左衛門の芝居が演じられるのは、今後期待薄で、文楽だけになってしまうであろう。(尤も、これも時間の問題ではあるが。)
   5年前に、京都南座で行われた藤十郎の「封印切」(残念ながら、NHKの放映しか見られなかった)にいたく感激して、レビューを書いたのだが、今回も、最も得意芸の演じ納めということであろうか、藤十郎が、一世一代の公演と言う意気ごみであるから、期待して余りある舞台であった。

   南座の舞台では、忠兵衛は藤十郎だが、梅川は秀太郎、井筒屋おゑんは玉三郎、丹波屋八右衛門は仁左衛門であったが、今回は、秀太郎がおゑんにまわり、梅川は扇雀、八右衛門は翫雀で、槌屋治右衛門が我當と言うオール上方役者による封印切であった。
   この封印切で重要な役割を演じるのは、治兵衛を封印切りに追い込んで行く八右衛門で、南座の仁左衛門の胸のすく様なハイテンポの畳み掛けるような、藤十郎の治兵衛との丁々発止の対話が面白かったが、今回の翫雀の八右衛門の嫌がらせの限りを尽くしたねちねちした語り口も、正に、関西やなあと思えて興味深かった。

   この歌舞伎の封印切を見ていて、いつも思うのは、近松門左衛門の浄瑠璃本と、そして、それを忠実に舞台化している文楽と、八右衛門の扱い方が、大きく違っていて、このキャラクターの差が、芝居の印象をかなり変えてしまっていることである。
   まず、原作では、四代目竹本越路大夫が、八右衛門について語った「実際に友人思いの、人情のある男で、忠兵衛よりも一回り大きな人物。悪人ではない」と言うように、この「封印切」の舞台でも、忠兵衛のことを思って、遊郭や梅川から忠兵衛を遠ざけようとして井筒屋にやって来て忠兵衛のことを、50両の返金の代わりに焼き物の鬢水入れをよこした話を暴露したり悪く言ったのだが、それを立ち聞きして、頭にきた忠兵衛が、八右衛門に挑みかかって、金を返すために封印を切ってしまう、と言うことになっている。
   そして、梅川の身請けを争うのは、八右衛門ではなく、田舎の大人である。

   ところが、歌舞伎では、冒頭で、治右衛門が、井筒屋に来て、八右衛門に身請けが決まったと述べ、その後、、八右衛門が、身請けの金を持ってきてケリを付けようとして、金を持っていることを良いことに悪口雑言の限りを尽くして治兵衛の悪口を言う。悪人扱いに変わってしまっているのである。
   このようなストーリー展開になると、非常に、黒白がはっきりとして来て、おゑんが嫌って徹底的に罵倒するように、八右衛門が悪玉になれば成るほど、治兵衛の悲劇が浮き彫りとなり、封印切りへと一直線に上り詰めることとなる。
   八右衛門としては、元々、人の金しか持ち合わせのない飛脚問屋の治兵衛を苛め抜けばよいのであるから、大阪弁で、どんどん、テンションを上げて鉄砲玉のように悪口雑言をはいて追い詰めて行くと言うこととなり、このあたりの語り口は、やはり、関西オリジンの仁左衛門は非常に上手いし、翫雀などは、大師匠である親父の藤十郎を相手に思う存分捲し立てて本領発揮、気持ち良いくらいである。
  

   もう一つ興味深い差は、封印を切るタイミングである。
   歌舞伎の場合には、治兵衛は、親からもらった300両を持っていると言って懐に手を入れたので、八右衛門が、300両持っているのなら見せてくれ、音を聞かせてくれと追い詰めたので、火鉢の縁を叩いたり手荒く扱った拍子に封印が切れてしまう。
   ところが、文楽の方では、激昂した治兵衛が、懐に手を突っ込んで金を引き出そうとした時に、八右衛門が、その金は、公金であることを知っているので制止して、逆上せずに届けろと意を尽くして叱るのだが、女郎衆の前で言われ男が立たぬと封を切って叩きつける。
   それを見た梅川が涙を流して階段を駆け下りて来て、八右衛門の方が道理、私のため故忝いが、あなた一人なら身を売ってでも養って見せるのに、人の金に手を付けるなど情けないとかき口説く。
   茫然自失の治兵衛が、これを受けて、この金は、養子に来た時の持参金で他所に預けていたものだと言ったので、一件落着で、皆が納得し、八右衛門は金を受け取って帰り、梅川も喜びはしゃぐ。
   しかし、二人になった時、治兵衛は、梅川に向かって、わっと泣き伏す。
   悲劇の幕明けである。

   私は、近松オリジナルの文楽バージョンの方が好きで、前述の梅川の口説きのシーンなど、感激しきりである。
   大坂女の健気さ強さ逞しさと言うこともあるが、梅川は最下級の遊女ということだが、実に情の深い生き様が清々しく、この文楽版の方が、はるかに、梅川の魅力を浮き彫りにしているように思うのである。
   歌舞伎の方は、治右衛門が、八右衛門に身請けが決まったと言ったのに対して、治兵衛と添いたいので待って欲しいと懇願するところなど中々良いのだが、文楽の梅川の口説きのシーンの方が、梅川の生き様をすべて表出していて素晴らしく、前に観た簑助の梅川が忘れられない。

   ところで、歌舞伎の舞台の冒頭で治兵衛が訪ねて来て、おゑんが、奥座敷に導いて梅川と会わせて語らせるしっぽりとしたシーンが、中々、絵になって面白く、三人の醸し出す雰囲気が上方歌舞伎の色合いを色濃く滲ませていて、この歌舞伎の創作は中々良い。
   また、八右衛門が、切った封印の切れ端を、手拭いを落としたふりをして、ほくそ笑んで、持ち逃げる蛇足とも言うべきシーンは、歌舞伎ならではのサービスであろうか。

   余談だが、何故、治兵衛が封印を切ったのか、近松の原作では、
   ”随分堪へてみつれども、友女郎の真中で、かはいい男が恥辱を取り、そなたの心の無念さを、晴らしたいとおもうより、ふっと銀に手をかけて、もう引かれぬは男の役、・・・”と言っており、縋り付いて泣いたので、梅川が、はあと震ひ出し、声も涙にかきくれてわなわな震えながら、何が命が惜しいものか、二人して死にましょう覚悟を決めてくださいと言う。
   どこまでも、治兵衛は優柔不断で好い加減、梅川は健気で芯の強い女なのであろう。

   藤十郎の治兵衛は、一寸イメージが違うが、平静を装うと必死に堪えながら、翫雀の軽妙な追い打ちに煽られて、徐々にテンションが上り詰めて行く心の軌跡の微妙な表現が実に上手い。 
   一直線に煽る翫雀に、メリハリをつけながら芝居にリズムを刻んでいて、流石に、人間国宝である。
   とにかく、80歳を超えた大長老と思えない若さ華やかさ、あの瑞々しい芸はどこから生まれてくるのか、もっともっと、近松を演じて芸の神髄を継承して欲しい。
     扇雀の梅川は、先月の山科閑居の父子共演の素晴らしい舞台の再現とも言うべきか、耐える薄幸のヒロインを、しみじみとした余韻を残しながら演じていて、感動的である。
   
   我當と秀太郎は、登場するだけで、雰囲気十分であり、舞台が一気に充実して、上方歌舞伎では、なくてはならない存在と言うべきで、私など、和事の舞台では、是非観たいと思って、何時も楽しみにしている。
  
   
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春の観光地の賑わい!

2014年03月09日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今日、鹿島から友人夫妻が訪れて来てくれたので、外出することにした。
   早いお昼に、鎌倉山のらい亭に出かけて、そば定食を頂き、庭を散策して、途中で、甘味所で午後の喫茶を楽しみ、穏やかな明るい日であったので、江の島に向かった。
   良く晴れていたのだが、残念ながら、高台からは、江の島の方が霞んでいて、富士山を見ることが出来なかった。

   龍口寺に入って、梅と桜が咲いていたので、少し眺めながら、小休止した。
   ここには、殆ど人はいなかったのだが、駐車場を出て、江の島に向かった瞬間、車が混みだして、進まなくなった。
   暫らく行けば空くだろうと高を括って前に進んだのだが、砂嘴上の橋に入り込むと動かなくなってしまった。
   結局、30分ほど、そのまま、車列に並んでいたのだが、諦めてUターンして帰ろうとしたものの、鎌倉へ向かう海岸道路134号線も混雑していて、わき道にそれるまで、車の渋滞に巻き込まれて大変であった。
   腰越から大船に向かう道路は、殆ど渋滞がなくスイスイだったのだが、あの江の島近辺の道路と鎌倉間の海岸道路の混みようは、以前にも経験しており、慢性的だと思うのだが、どうしようもないのであろうか。

   この日、江の島の弁天様の方に向かって歩道を歩く人の波が続いていたのだが、前方もかなり混んでいるようで、実際に駐車場を見つけて歩き始めても、人ごみで散策どころではなかった筈である。
   以前に、鎌倉駅の江ノ電前の広場で、立錐の余地がない程観光客で溢れて、切符さえ買えずに難渋していた人々の姿を見たことがあるのだが、首都圏には、京阪神間のように歴史的な観光地が少ないので、シーズン中の鎌倉の混雑ぶりは異常となるのであろう。

   もう、少しすると、桜の季節になって、鎌倉の古社寺が華やかな桜で荘厳される。
   奈良や京都は、桜の名所が多いうえに、あまり知られていない古社寺でも、観光客が少なくて、風情のある桜風景が楽しめるところが結構あるのだが、鎌倉は、奈良京都と違って、何処も観光客で大変混むと言うことである。

   以前には、出張で、全国のあっちこっちで、満開の桜を見たのだが、殆ど、人さえ通っていないような土手道や河川沿いや鎮守の森等、色々なところで、美しいなあと感激しながら眺めたことがあった。
   今年は、湘南の桜風景が、どのようにうつるのか、楽しみながら、歩いてみたいと思っている。
   龍口寺の梅と桜の3ショットは、次の通り。
   
   
   
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映画「霧の旗」「遥かなる山の呼び声」

2014年03月07日 | 映画
   鎌倉芸術館で、倍賞千恵子が主演映画を語ると言う趣向で、山田洋次監督の古い映画作品「霧の旗」と「遥かなる山の呼び声」が上演されたので、見に出かけた。
   意識しなかったのだが、良く考えてみれば、この大船は、松竹撮影所があったところで、この芸術館のすぐそばで、『男はつらいよ』シリーズなど多くの名作映画が輩出されたのである。

   松本清張原作の「霧の旗」は、恐らく、倍賞千恵子、滝沢修主演の1965年のこの映画が素晴らしい所為なのであろう、1977年に山口百恵・友和、三國連太郎主演の映画が製作されただけなのだが、時代がテレビに移ったこともあって、名優揃いのテレビドラマが、8回も制作されている。
   ウイキペディアによると、「兄の弁護を断った弁護士に対する、女性の理不尽な復讐を描く、リーガル・サスペンス」と言うことで、
   九州の片田舎で発生した金貸しの老女の強盗殺人事件で、被害者から金を借りていた教師の柳田正夫が、犯人として検挙されたので、その妹の柳田桐子(倍賞千恵子)が、高名な大塚欽三弁護士(滝沢修)に弁護を依頼するのだが、多忙と資金面不如意のために断られて、兄が獄中で病死し、東京に出て水商売をしながら、執拗に大塚弁護士を徹頭徹尾追い詰めて葬り去ると言う熾烈な復讐劇である。

   今日の経済社会の常識から言えば、何の紹介もなしに、金の有り無しに拘わらず、多忙を極めているトップクラスの弁護士に田舎の殺人事件の弁護を依頼して断られるのは、至極当たり前で、断わられたからと言って怨み抜いて、徹底的に追い詰めて弁護士生命を葬り去ると言うこと自体が理不尽なのであるが、映画女優になったばかりの初々しくて真正面の直球勝負で一直線の倍賞千恵子であったから、これだけ、迫力のある社会ドラマになったのだろうと思う。
   それに、49年前の暗い映画なのだが、山田洋次監督が、隅々にまで神経を行き届かせて、実に丁寧に、人間ドラマを紡ぎ上げているので、救いのような淡いほっとした余韻を残しているのが良い。

   もう一つ、この映画で面白いのは、桐子が主役だとしても、弁護士の大塚が、河野径子(銀座の高級レストラン「みなせ」の女性経営者)を本当に心底愛しているからこそ、桐子の罠にのめり込んで行くのであって、もう一つの映画の三國連太郎と小山明子、TVドラマの、芦田伸介と草笛光子、三國連太郎と八千草薫、森雅之と岡田茉莉子、田村高廣と阿木耀子、仲代達矢と満田久子、古谷一行と多岐川裕美、海老蔵と戸田菜穂と言うキャスティングを見ても、この二人の演じるさらりとした愛の交感が見ものであり、この映画での滝沢修と新珠三千代の美しい人間関係の描写が、感動的であることである。

   「遥かなる山の呼び声」も、何度か見ているのだが、昔のことなので、記憶は殆ど残っていない。
   倍賞千恵子と高倉健主演で、刑務所がらみの男と田舎の女の淡い、しかし、実に深い愛情をテーマにして、北海道の雄大な大地を舞台にして展開されるヒューマンタッチのドラマであるから、「幸福の黄色いハンカチ」にも相通じる山田洋次映画の決定版でもあり、素晴らしい映画である。
   「下町の太陽」から、スターダムに踊り出た倍賞千恵子の魅力満開と言った映画で、まず、北海道に行って牛の乳搾りや牧場の仕事を覚えてから撮影に入ったと語っていたが、SKDでチータカタッタ踊っていてスカウトされた変身ぶりも見事である。
   高倉健の魅力は、言わずもがなであるが、人の良いやくざ男を演じるハナ肇が、実に良い。

   それに、ラスト・シーンが泣かせる。
   美幌駅に停車中の急行列車(「大雪」号)の車中に網走刑務所へ護送される田島(高倉健)を虻田(ハナ肇)が見つける。そして民子が田島の座る席まで来るのだが、護送員の目を気にして声をかけられないでいる。そこで虻田は向かい側のボックス席に民子と座り、彼女が酪農を辞めて武志と中標津の町で暮らしながら田島を待っているということを民子との会話にして田島に聞かせる。そして民子は黄色いハンカチを田島に渡し、田島は涙を拭いながら窓に顔を向けるのであった。(ウイキペディアから)
   雪の網走平原を突っ走る急行列車の軌跡が実に美しい。

   私は、寅さん映画のファンで、全編、何回も見て勘当し続けているのだが、多くの名優がキラ星の如く登場して至芸を披露し、そして、当時の日本の社会と生活、懐かしい日本の風景を克明に活写した、謂わば、貴重な文化財である。

   貴重な思い出話を、倍賞千恵子は、淡々と語っていた。
   
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鳳凰祭三月大歌舞伎・・・「身替座禅」「勧進帳」

2014年03月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座の公演で、私が期待したのは、菊五郎と吉右衛門と言う人間国宝が素晴らしい芸を見せる2曲の松羽目もの、「身替座禅」と「勧進帳」であった。
   「身替御前」は、狂言の「花子」、「勧進帳」は、能の「安宅」が、夫々の原曲になっていて、最近、両方の素晴らしい能・狂言を鑑賞して、益々、歌舞伎の舞台が面白くなってきた。

   「松羽目物」とは、舞台正面に、能舞台の鏡板に描かれている老松を写した松のある羽目板を描いた「松羽目」とよばれる「定式」の大道具から付けられたためで、また、下手にある五色の「揚幕」、上手にある「臆病口」とよばれる出入り口も能舞台を模している。
   また、「長唄」の一節を謡曲風に唄う「謡がかり」や能の囃子を取り入れた「鳴物」の演奏など、格調高く表現するために音楽の面でも能や狂言の様式を取り入れていて、更に、三味線を取り入れている分、能・狂言よりも、はるかに、華やかさと音曲効果に豊かさを増している。
   揚幕から最初に登場する人物が、「名ノリ」をあげたり、せりふ回しも能・狂言風に重々しくなったり、また、衣装も、能や狂言の装束を基本としていているなど、多少、従来の歌舞伎の舞台よりは、高級志向を目指しているような感じである。

   さて、「花子」だが、
   洛外に住む男が、東へ下った時に、美濃の国野上の宿で花子と言う女性と馴染みになって北白河に宿を取ったので来てくれと言う。逢いたくて仕方がないのだが、嫉妬深い妻が許さないので、妻を騙して、一夜だけ持仏堂に籠って座禅をすることを認めさせて、絶対に、途中見舞いに来るなと約束させる。太郎冠者を脅して、代わりに座禅衾を被せて花子に逢いに行く。ところが、心配した妻が見舞いに来て、座禅衾を剥ぐと現れたのは太郎冠者なので怒り心頭、太郎冠者に代わって衾を被り夫の帰りを待つ。そうとは知らずに、花子との至福の一夜を明かして夢心地でかえって来た夫は、花子の宿を訪れた冒頭から後朝の別れまで、のろけ話を滔々と喋り、太郎冠者への語りももうよかろうと、衾を取ると、形相を変えた恐ろしい妻が現れたので、びっくり仰天、平謝りになって逃げ出して行く。

   昨年、80歳を超えた人間国宝野村萬の素晴らしい狂言「花子」の舞台を観た。
   ”「思うに別れ、思わぬに添う」と。あの美しい花子に添わいで、山の神に添うというのは、ちかごろ、口惜しいことじゃなあ。”と言って、これも人間国宝の山本東次郎の妻の座禅衾を剥ぎ取るのだから、結果は、決定的。
   狂言の女と言うか、妻は、殆どと言ってよい程、わわしい(口やかましい、気がつよくてうるさくてこわい)女と相場が決まっているので、この曲も同様で、それを受けて、歌舞伎では、厳つくて醜女のいでたちで登場するので、立ち役が演じている。
   狂言では、さらりとした表現だが、歌舞伎では、花子に聞かれたのでこう説明したと言って、徹底的に妻の醜女ぶりを示して見せるのであるから、正に、喜劇そのものである。

   歌舞伎も、殆ど、狂言のストーリーを踏襲しているのだが、能楽師と歌舞伎役者の表現方法が大きく違っていて、狂言の場合には、前半は台詞主体で進んでいて、それ程違いはないのだが、後半は、ほろ酔い機嫌で登場する夫の冒頭のセリフから小歌で、花子との対話も小歌と言う、正に、小歌を多用して、露骨になることを避けて、情感を豊かに情趣本位に表現し、濃艶にしかも品位を持って演じなければならないのであるから、難曲中の難曲と言う最高秘曲だと言うことである。
   それに対して、歌舞伎の方は、リアルそのもので、菊五郎など、冒頭の花子から来てくれ来てくれと言って来るのだと言う表現から、上ずった女言葉になって相好を崩してしまっており、もう、これでもかこれでもかと言うくらいに、夫・山蔭右京の正直な男の浮気心や心の内を、吐露しているのだから、非常に面白い。
   これを受けて、久しぶりの女形を演じる吉右衛門の奥方玉の井が、真面目をよそおって受けて立ち、滑稽味を増幅させているのだから、実に、楽しい舞台である。
   又五郎の太郎冠者は、今回も秀逸で決定版であろう。
   それに、歌舞伎の創作で登場する侍女千枝の壱太郎と小枝の右近が、実に、初々しくて良い。

   午後の部の「勧進帳」は、もう、何度も観ているので、殆ど暗記したような舞台で、役者によるバリエーションを楽しむと言う感じになっている。
   久しぶりの吉右衛門の弁慶と菊五郎の富樫なので、実に、熱のこもった迫力のある素晴らしい舞台を楽しむことが出来た。

   勧進帳と安宅の違いについては、前にこのブログで書いたので、蛇足は避ける。
   能では、安宅の関での、義経一行と富樫たちとの対決は、力を尽くして押し切るかどうかと言う一触即発の命懸けの対立が基調なので、非常に緊迫感があって凄い舞台展開となる。
   尤も、観世清河寿宗家は、山伏の一行が到着した時から、それが義経主従であることを見破っていて、弁慶の読み上げる勧進帳がおかしいことも分かっていたと言っているし、宝生閑は、弁慶のシテの心境によってワキ富樫の対応を変えており、富樫が弁慶に心酔したからこそ、酒宴を催したのだと言っており、多少のブレがあるのが興味深い。
   そのために、歌舞伎では、義経だと分かっていて通行を許す富樫の武士の情けと、弁慶と富樫の男のロマンが主体となるストーリー展開へとアウフヘーベンして面白くなったのであろう。

   もう一つ、山川静夫によると、歌舞伎では、「勧進帳」の主役は、義経(藤十郎)だと言うことだが、能「安宅」では、義経は、子方が演じている。
   歌舞伎では、義経と弁慶との主従の感動的な交感シーンが、見せ場でもある。

   小山 観翁が、良い弁慶とは、去り行く弁慶の姿の中に、情ある関守への、感謝の心が読み取れるかどうか、この芝居の神髄は、関守への感謝の有無で、それこそが、芸の厚みを決めるのだと言っている。
   吉右衛門の弁慶は、見送る菊五郎の富樫一行に幕が引かれて、一人花道に残ると舞台に向かって、感極まった表情であろう万感の思いを込めて静かに、頭を下げていた。

   武士の情けで、義経一行の通行を許した菊五郎の富樫が、踵を返して座を立つ時、一瞬、キッとした表情で中空を仰いで去って行く姿も印象的で、本当の武士の魂を弁慶に見た感動と頼朝に背いた死の覚悟の入り混じった心境を表して余りある。
   見送る吉右衛門の弁慶も、軽く富樫に向かって頭を下げてほっとした表情をしたのだが、この時の弁慶は、正に、富樫への感謝よりも、最大の難局を突破した安緒感が先に立ったのであろう。
   この勧進帳は、藤十郎の素晴らしい義経は勿論のこと、四天王を演じた歌六、又五郎、扇雀、東蔵たち助演陣の協力もあって、決定版とも言うべき舞台であったと思っている。

   
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リンカーンの意に反した奴隷制の維持

2014年03月04日 | 政治・経済・社会
   アカデミー賞の季節になると、過去の受賞作品が放映されるのだが、WOWOWで、あのスピールバーグの「リンカーン」を見て、アメリカの民主主義の軌跡をあらためて実感して興味深かった。
   しかし、問題は、あの映画を見ると、奴隷制が廃止された非常にエポックメイキングな歴史上の出来事だと言う印象を受けるのだが、先日、コメントした「国家はなぜ衰退するのか」で、アセモグルとロビンソンは、実際には、その後、逆転現象が起こって、奴隷制度に近い形の経済社会制度が継続したと、興味深い議論を展開している。
   南北戦争の敗北後、武力で経済と政治の抜本的な改革が行われ、奴隷制が廃止され、黒人に投票権が与えられるなど大きな変化があったので、南部の収奪的な制度が包括的な制度へと大々的に変換して経済的繁栄を齎す筈だったが、そうならなかったと言うのである。

   収奪的な継続形態として、南部にジム・クロウと言う人種差別的な法律が制定実施される等黒人差別が継続し、大改革となる公民権運動がおこるまで100年程も続いた。
   黒人の地位や南部の政治経済が変わらなかったのは、黒人の政治権力と経済的自立が弱かったからで、戦争中に、解放された奴隷は、奴隷制が廃止された暁には、土地40エーカーとラバ一頭が与えられると約束されていたが、ジャックソン大統領が反故にしてしまい、プランテーション制度と奴隷制は一体のものなので、昔からの上流階級の農業の基盤が変わらずに温存されたために、古くからの南部の土地持ちエリートは存続したのである。
   南北戦争で60万人以上が死亡したが、所有している奴隷20人につき奴隷所有者一人が兵役を免除されたので、大規模プランテーション所有者と息子たちは徴用されずにのうのうとしてプランテーション経済を確実に存続させたのだと言う。
   風と共に去りぬやジャイアンツなどの映画観も、少し、変わって来るかも知れない。

   奴隷制が廃止されても、安価な労働力によるプランテーション農業に基づく経済制度が、地元政治の支配や暴力の行使を含めた様々な手段によって維持されて、正に、南部は、黒人を怯えさせるための武装キャンプそのものと化したのだと言う。
   奴隷制を廃止し、黒人に選挙権を与えたが、プランテーションを所有するエリートが広大な土地を支配し、結束している限り、奴隷制の代わりに黒人差別法などの別の法律一式を策定するなど、あらゆる抜け道を駆使して、同じ目的を達することが出来た。
   この悪循環は、リンカーンを含めた多くの人間が思っていたよりもずっと強力で、20世紀に入っても、収奪的な政治制度が、収奪的な経済制度を維持して、黒人の市民権は剥奪同然で、長い間無視され続けたのである。
   

   さて、民主主義国家の権化のようなアメリカでも、このような状態であるから、歴史を紐解けば、鳴り物入りで実現された大改革や革命的な政治経済変化が起こっても、すぐに、反動勢力によって、過去の制度や伝統が蘇って維持継続されて、元の木阿弥に終わるケースがきわめて多い。
   ロシアや中国が、民主主義から程遠く、中近東の革命改革が一向に進まないのも、あるいは、中南米の多くの国が、植民地時代の政治経済体制から脱却できずに、いまだに前近代的な制度に呻吟しているのも、アフリカの国々が、最貧困状態から脱却できないのも、そのような、歴史の皮肉な惰性の成せる業かも知れないと思うと、ある程度納得が行く。

   多くの問題を惹起し続けているにしても、イギリスやアメリカの民主主義社会が、人類にとって、如何に、素晴らしいことか、その影響を受けてか日本社会の伝統の成せる業かは別にして、歴史を読んでいると、平穏無事に、日本人として、生活できることを、つくづく、幸せだと思うことが多い。
   実際に、長い間海外で生活していてもそう思ったし、世界史を勉強すればするほどその実感が強くなり、時空を越えて、同じ人間に生まれながら、幸不幸がこれ程大きく違うのか、ウクライナに思いを馳せるだけでも、痛い程、実感する。
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ひな祭りの家族の集い

2014年03月02日 | 生活随想・趣味
   もう、30年以上も前になるが、ブラジルへの赴任を終えて帰って来た翌年に、長女のために、日本橋に行って、久月で、五段飾りのひな人形を買った。
   その後、5年くらいは、毎年、2月には、このひな人形を出して、和室に飾って、ささやかなお祭り気分を楽しんでいた。
   
   それから、ヨーロッパに赴任したので、他の家財一式と会社の保管所に預けていたので、10年くらいは、ひな人形なしの生活を送ってきた。
   尤も、出張で帰国した時に、小さな卓上型のひな人形を買って帰っていたので、3月3日には、それを飾って、節句を祝った。

   帰国してからは、娘たちも大きくなっていたので、それ程、熱心ではなくなり、夫々、娘たちが独立して家を離れてからは、ひな人形を出せない年もあった。
   しかし、孫たちは、男の子なのだが、やはり、五月の端午の節句は、それなりに祝うとしても、やはり、五段飾りのひな人形を飾るのは、結構、華やかな感じで、家族のイベントとしては、格好の機会なので、家族が集まる良い機会でもあると思って、毎年、娘たちを主役にして、節句の集まりを楽しんでいる。

   明日の三月三日は、残念ながら、孫の学校や現役の娘たち夫婦の都合で一堂に会せないので、今日の夕刻に時間を合わせて、一家8人が集まって、会食をして、記念写真を撮った。
   その後、上の中学生の孫が、百人一首が好きなので、全員で、カードを囲んだ。
   私などは、やったことがないので、途惑ったが、結構、良く知っている歌などが、ポンポン飛び出してくるので、何となく懐かしさを感じた。

   皆、鎌倉に住んでいるので、集まるのは簡単な筈だが、夫々のリズムで、夫々の生活をしているので、時間を合わせて、集まるのは、結構難しい。
   私たち、老夫婦も、それなりに親たちとの生活の中から伝統やしきたりを引き継いで生きて来ており、正月がどうだとか、節句とは何かといったような詳細には触れなくて、全く、我流だと思うのだが、何らかの形で、そのような生活のリズムのようなものを、子供たちや孫たちに伝えて行ければ良いと思っている。

   それに、正月や節句や孫たちの誕生日など、何かの記念日には、意識して写真を撮っているのだが、これが、一種の定点写真となって、家族の生活の変化などが克明に分かって興味深いのである。
   今日も、楽しい家族の集いを送れたので、また、明日から頑張ろうと言う気持ちになれたので、生活のリズムを刻むと言う意味からも、非常に良いチャンスだったのである。
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わが庭の歳時記・・・春の鼓動が、もう、そこまで

2014年03月01日 | わが庭の歳時記
   毎年見慣れていた千葉の春とは違って、全く、新しい環境での春への息吹には、思っていたよりも、大きな違いがあって面白い。
   折角、鎌倉に移ったのだから、観梅の為にも、北鎌倉へなど出て少し歩くべきかと思うのだが、寒さのために億劫になって、まだ、その機会がない。

   さて、わが庭だが、タマグリッターズが綺麗な花を開き始めた。
   花弁が白縁の玉之浦が親木で、アメリカで作出された八重咲きの豪華な椿で、私の椿は、玉之浦のように真ん中に蕊がまとまっているのは少なくて、丁度、フルグラントピンクの花のように、蕊が、八重咲きの花弁の間に分散していて、華やかな感じがして良い。
   しかし、その分、結実は難しいので、増やすには、挿し木の方が良さそうである。
   千葉の庭には、大きな玉之浦の木が一本植わっているのだが、綺麗に咲いているだろう。
   この木は沢山花を付けて、必ず結実するので、下には、すぐに、小苗が生えて来るのだが、雑種となるので、どんな花が咲くのか分からないのが面白い。
   
   

   フルグラントピンクも、八重の小輪で、沢山の花を付けて豪華に咲く。
   この花も蕊が分散しているので、殆ど実はならない。
   木もか細い感じで、藪椿のように野武士のような強さがなく、やはり、鑑賞用の椿で、庭植えにすると、どのくらいの大きさに育つのか、大きくなれば、梅や桃くらいの豪華さには、なりそうである。
   ピンク賀茂本阿弥が、まだ、繰り返し咲き続けている。
   独特な斑入り葉の雪椿で、花は、小輪の赤色で一重咲き、小磯に似て凛とした花の越の吹雪も、もうすぐに開花しそうである。
   
   
   
   
      

   暖かい日が続いたので、バラの芽が動き始めた。
   黒星病などの予防のために、二回、裸の苗木に薬剤散布をして来たのだが、中旬には、ベニカなどを散布して、5月の花季に備えたいと思っている。
   先月、軽く、置肥を施したのだが、これからが本格的なので、もう少ししたら、しっかりと肥料をやりたいと思っている。
   動き出した芽の状態は、ノバーリス、ベルサイユの薔薇、ファルスタッフは、次の通り。
   
   
   

   芍薬のピンクの芽も、大分しっかりとしてきた。
   牡丹は、イエローの株を3株持ってきて移植したのだが、まだ、芽の動きは鈍い。
   門の外の花壇に植えたガーデン・シクラメンやパンジー、ビオラなどは、園芸店で買ってきた苗を移植しただけで、私の庭で今咲いている草花は、水仙とクリスマスローズだけなので、少しさびしい。
   しかし、春の花は、もう、一か月もすれば、咲き乱れる筈で、少し遅い牡丹、芍薬、バラ、ユリなども、一気に成長を始める。
   
   

   今朝、タキイから、注文していたエレガントみゆきと言う桜の苗木が届いたので、庭植えした。
   埼玉県産の最新品種で、晩秋11月~春4月頃まで咲き続ける桜だと言う触れ込みで、面白いと思って購入したのである。
   花は濃紅の八重咲きで、花つきが良く、紅花が群がるように咲き、梅と桜の交配種であるから、紅梅の様な花が咲く桜だというのだから面白い。
   ガーデニングと言うのは、それなりに、大変だが、花木や草花たちは、健気にも、裏切らずに世話に応えて、綺麗な花を咲かせて楽しませてくれるので、その感動を噛みしめるだけでも幸せである。
 
コメント
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