よーし! スーパー小学生を超えるぞ!!!

新学期が始まりました。私は5年ぶりに中学年の担任をすることになりました。4年生です。長い教師生活の中で3回目の4年生です。

4年生を担任した過去2回は本当に良い思い出がたくさんあります。4年生という学年の子どもたちは、何をするにも一生懸命なんです。もう下級生という感覚ではない。かといって、上級生でもない。これからグングン開いていこうとする「つぼみ」のような存在だと私は感じています。

4年生という年代は本当に素直なんです。発達心理学では「ギャングエイジ」と言われるほど活発な時で、悪いこともたくさんします。それで良いのです。どんどん失敗して、失敗から学べば良いのです。大人が先回りをして、失敗させないようにするということがあってはなりません。とにかくノビノビと行動し、ノビノビと学ぶ。私はこういうイメージを4年生に持っています。


学級開き初日の昨日は、校庭での始業式の後、たった10分間の学級指導。それでも「ニュー井上軍団」の子どもたちは、新鮮な決意に燃える笑顔を見せてくれました。

そして2日目の今日、私は3月に卒業した子どもたちのために、中学校入学式に参列したので、担任不在の2~3校時。またまた指導時間が足りなかったにもかかわらず、私が入学式から帰ってみれば、廊下で会う先生全員にこんなふうに声をかけられました。

「井上先生、4年1組の子たちがすごく一生懸命に大掃除をしてくれたんですよ!『重いのはぼくが運びます!』とか『T先生が手伝ってくれるんだ!ありがとうございます!』とか。こちらが手伝ってもらっているのに、そんなふうに子どもたちに言われて嬉しかったですよ!」

やってくれましたね!!!
本当に昨日の3分間で激変してくれた4年1組井上軍団ですねっ!!!
だから4年生はすごいんですよ!
柔軟な頭脳の持ち主です!!!


クラスに入れず、指導する時間が全然なかったにもかかわらず、やる気満々の子どもたちなので、この子たちにとって新しいチャレンジである「マイ新聞」を書くことにも、すばやく取り組めました。目標としてクラスで「年間10000号」を発行することにしたのですが、「ぼくが500号書くよ!」「先生、新聞書きたいから紙を持って帰っていいですか?!」という発言が次々と。

ありがたいことですね!
一生懸命な子どもたちって輝いていますね!


これまで私は「スーパー小学生」を育てるという大きな目標をかかげて、絶対に妥協せずに自分がイメージしている子どもを育成しようとしてきましたが、今回担任する子どもたちを見ていて、イメージをアップしたいと思えました。スーパー小学生を超えるイメージを創ります。

「ウルトラ小学生」

この1年間はこれでいきます。
つまり人類レベルを超えて、本気で「宇宙で一番」を目指すということです。
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半分教師 第48話 「今は亡き教え子の遺した額縁」

新学期を控え、これまでの2年連続6年担任として使わせていただいた教室からお引越しのため、休日返上で荷物運びをしました。ということは、3年連続6年ではないわけですよ(笑)。そして、何年生の担任になるのかは、明後日に正式発表します。

今回も「井上再生工場」であることに変わりはありません。ただし卒業した6年生の時とは異なり、自分に課しているものは普通では信じられない感覚です。

「最初の3分間ですべてを解決する」

3分間といえばウルトラマンですね(笑)。そうです。ウルトラマンをイメージしているわけです。3分間で変えられなければ自分の命が危なくなる。だから必ず3分以内に学級を再生させます。というか、私が担任に決まった時点で問題はすべて解決していると言わせていただきます。(うわぁ~、大言壮語も甚だしい!ビッグマウスと言われそうだ!でも、そこまで言い切る自信があるわけで・・・・・)



さて、私には教室のお引越しをするたびに確認をしていることがあります。それは写真の額縁のことです。この額縁は、私が教師生活2~4年目、養護学校時代に一緒に学校生活を送っていたK君のご両親から、彼の卒業記念にいただいたものです。

K君は先天性進行性筋ジストロフィーという病気でした。この病気は、年々筋肉が衰え、最後は肺を動かす筋肉までやられて命を失うという悲しい病気です。私がK君を担任した高等部1年生の頃には、すでに全身の筋肉に病気が進行し、食べることと話すことしかできない状態でした。そして高等部3年生になろうという時、彼は肺不全を起こして緊急入院します。私が養護学校に赴任して3年目。実はたった3年の間に、同じ症状で命を落とした子がいたほどで、極めて危険な状態でした。

運ばれたのは都立広尾病院。家族しか入ることのできないICU。私は「兄です。」と偽り、ICUに入れてもらいました。白衣を着て、帽子をかぶり、入室しました。K君は人工呼吸器をつけ、不安そうな表情を私に向けました。その目を見て、私はご家族の皆さんと共に腹を決めました。

「必ず退院させてみせる。自分が担任として“更賜寿命(さらに命を賜る)”の実践をする!」

「自分が毎日病院に通う!自分の命の躍動がK君の命に必ず伝わるはずだ。一歩も引かないで、必ず高等部卒業を勝ち取る!」

「ご家族の不安もすべて受け止める! 脱命の魔から必ず守る!」

そして半年間の病院通いが始まりました。お母さん、お父さん、お姉さんもまた、毎日病院通い。私はこのご家族と「同苦する」戦いをさせていただきました。

真剣でした。K君の命がかかっていたのですから。



嬉しいことにK君は命を取りとめました。気管切開をして、ノドから人工呼吸器を使った酸素吸入をしないとならなくなり、ご家族の負担は大変なものがありましたが、生まれてから18年間、必死に育ててきた我が子を亡くすことに比べれば、介護は大変でも生き続けてくれる方が何ものにも代えがたい喜びなのだと感じさせていただきました。



K君は、卒業式で、私たち高等部3年生担任が全員で生演奏するサザンオールスターズの楽曲「希望の轍」をバックミュージックに笑顔で巣立ちました。

その後8年も命を伸ばし、26歳で亡くなりました。亡くなった時のお顔も笑顔でした。



写真の額縁の中にある帆船は、私が彼を担任した3年間、毎週出していた学級通信「帆船・光丸の船出」をイメージして、K君のご家族が卒業記念に私に下さったものです。この額縁を見るたびに、今、目の前に担任している子どもたちに対して、こんなことを思うのです。

「勉強ができないなんて小さなことだ。言うことを聞かないことだって元気な証拠だ。生きていればいいじゃないか。元気であればそれだけでもいいじゃないか。明日死ぬかもしれない状態で学校に通っていたK君を思えば、何だって許せる。生きて生きて生き抜いていく心を持ってくれれば、それでいいじゃないか。」




彼は私に教師としての「原点」をプレゼントし、その使命を私に託し、一足先に逝ったのでした。
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卒業した君たちへ その4 「校長先生の式辞」

今回の卒業式で、私の心に最も沁み入ったのが、じつは校長先生のお話した「式辞」でした。校長先生は定年を迎えられ、この卒業式で教師生活から卒業されたのです。おそらくその胸中には、長い教師生活の楽しかった思い出や苦しかった思い出も含めて、たくさんのことがよぎられたのではないかと思います。

校長としてというよりも、一教師として「最後の卒業生」となるこの子どもたちに、どんな言葉を残してあげたら良いのか。何日も時間をかけて構想し、何度も練り直し、卒業式でお話をされたに違いありません。

卒業式が終わった後の、教職員の昼食会のおりに、校長先生に尋ねてみました。

「先生、今日のお話は素晴らしかったです。相当考えられて原稿を書いたのではありませんか? 子どもたちはみんな自分の抱負を力強く発表した証書授与の後で、それにピッタリ合った内容のお話だったので、私はすごいなと思いながら聞いていました。そして『この話は教師生活最後の、いわば“遺言”とも言えるような思いがこもっていると感じました。」

「実はその通りです。子どもたちがしっかりした夢を語るのが分かっていましたから、それに合うようなお祝いの言葉を残してあげたかったんですよ。」

「校長先生、ぜひ式辞の原稿をコピーさせていただけませんか。文字に直して、子どもたちの卒業アルバムにはさんで、残しておくようにしたいのです。」

「区議の方からもコピーさせてほしいと言われました。いいですよ。子どもたちのためになるならどうぞお使いください。」


というわけで、コピーをさせていただきました。

卒業生のみんな、保護者の皆さん、ぜひもう一度、目を通して下さいませ。


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 大きくふくらんだ桜のつぼみも、もう三分咲きになってきました。東側にある姫リンゴやアンズの花はもう満開になっています。すっかり春らしくなってきました。
本日、ここに、本校第八十八回の卒業生として、門出の喜びを迎える五十五名のみなさん、卒業おめでとうございます。

 本日は、皆さんの小学校卒業をお祝いするために、江東区当局、江東区議会、江東区教育委員会、前校長先生をはじめ、日頃より、本校をご支援下さる大勢の地域、中学や幼稚園、PTAの皆様方やご来賓の方々が、大変お忙しい中、ご来校いただき、この式にご臨席くださいました。また、在校生の代表の四年生、五年生、そして、お父さん、お母さんもご列席くださいました。みなさんと一緒に、心からお礼を申し上げたいと思います。

 本日は、誠にありがとうございます。厚くお礼申しあげます。

 皆さんは、先ほど、在校生代表の四年生、五年生の心をこめた演奏と、ご列席の皆さん方の会場いっぱいの祝福の拍手に迎えられて、堂々と入場し、そして、この壇上で五十五名ひとりひとりが卒業証書を受け取りました。担任の先生が、感慨を込めて呼ぶひとり一人の名前と、希望に満ちた決意に、参列の皆さんが耳を傾け、卒業証書を受け取る姿をじっと見つめて、「おめでとう」「よく頑張りました」「立派な中学生になってください」という眼差しで祝福と激励をしてくださいました。
 今、しっかりと握っている卒業証書には、皆さんの六年間の生活の歴史と、努力が満ち満ちています。また、ご両親や先生方の限りない愛情が込められています。その卒業証書は、香取小学校の卒業生であるという証明書ですから、一生大切にしてください。

 さて、卒業生のみなさん、いよいよ中学生になりますが、中学生から三十歳までは青年といっていいでしょう。青年には夢があります。理想に燃え、実力に富んでいます。みなさんも意気揚々と青年期を迎えることと思います。

 人間には、特に青年期には、四つのやらなければならないことがあります。

 一つは、自分自身に尽くすことです。先祖代々からもらった自分の能力を最大限に発揮し尽くすことです。エジソンのような天才でも、「天才は1%の才能と99%の努力である」と言われます。天才でさえそうです。努力してください。

 二つは、親、兄弟に尽くすことです。両親ほどみなさんのことを考えてくれる人は、他にはいません。甘えてもいいですから、心配させないようにしてください。

 三つは、社会に尽くすということです。地域の中のバレーボールやサッカーの練習を見れば、いかに地域の人がみなさんのためにやってくれているかがわかります。吹奏楽部の人が一生懸命に練習している姿を見て、地域の人からみかんを一つずついただいたことがありますね。こういうことを「無償の行為」といいます。みなさんは、どうすればよいか。「ありがとう」と言えばいいのです。自分も大人になればこうしようと思うことです。

 四つめ、最後は日本の国のことを思うことです。毎週全校朝会で必ず季節の変化のことを言いましたが、それは、美しい日本の自然を感じ取ってもらいたかったからです。平和で美しいこの国を大切にしてほしいと思います。

 むかし、江戸時代に外国から使いが来て、二つの国がつきあうのに、その国の方が先生にあたる国だから、その礼をもってつきあうようにと言ったそうですが、新井白石という学者が応対して、「外交というものは、本来、対等のものでなくてはならないものです。」と説いて、ついに対等な条件にしたという歴史があるそうです。そして相手の使いは、白石の学力と人物にうたれ、国王の土産に白石の作った詩をもって帰ったと言われています。

 これはほんの一例ですが、日本の国の名誉を守るために、昔から大勢の人が努力してきたのです。

 日本の国の発展を考え、世界に飛躍する卒業生となってください。

 最後になりましたが、保護者の皆様、お子様のご卒業、おめでとうございます。皆様には何かにつけ、学校にご理解、ご協力いただき、ありがとうございました。どうぞこれからも、健康に気をつけ、明るい家庭を築かれ、お子様の成長を見守っていただきたいと思います。

 六年生の皆さんは、今日から中学校を目指して出発します。この晴れの姿を支えて下さった多くの人への感謝の気持ちを忘れないでください。今までたくさんの人が、皆さんを支えてくれました。これからも、多くの人と手を取り合って、自分の道を切り開いていくことを期待して、式辞といたします。
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