
先日165系アルプスさんより、古いネガを整理していたらこんな懐かしいシーンが出てきた……ということで、暑中見舞い画像を頂きました。なな何と!戦後の京急を支えてきた立役者のひとつ・400系ではありませんか! しかも場所は京浜蒲田駅 (この頃は「京急」ではなく「京浜」でした) の空港線ホーム! いや~これは懐かしく素晴らしい、ということで、相鉄2000系をアップしたついでに、神奈川県内大手私鉄の半鋼製釣掛駆動車つながりとしてご紹介してみることにしました。
個人的な記憶の中での400系は、もう既に本線の特急運用は勿論、普通運用からもほとんど撤退し (1000系が主力となって以降、加速が命の京急本線系ダイヤでは釣掛車ではアレですし)、同じく釣掛車の500系とともに、京急の中では地味な位置づけの新町 (一部川崎)~逗子急行や空港・大師線などの運用をこなしていました。特に、新町~逗子急行はなかば400・500系の独壇場だったような印象があります。しかし、小学校1~2年の頃杉田に住んでいた私にとって、上大岡で普通に連絡するわけではなく、しかも (親戚が住んでいる) 横須賀方面に行くわけでもない400系急行は、実際のところほとんど縁がなく、一度か二度逗子海岸に行くときに乗った程度で、あとは不揃いな編成が「グォォォ~」と走り去って行くのを線路端で口惜しげに眺めるだけでした (既に6~7歳にして釣掛式電車マニアだった私 ^^;)。その後800系が大増備されると400系はあっけなく消えてしまい、カメラを使いこなせる年齢になった頃にはもう遅し、でした (TT)。
というわけで、辛うじて400系の活躍を記録できている165系アルプスさんがうらやましい限りでございます……。しかも、今日の空港線の大隆盛ぶりを思えば、あの非常に中途半端な盲腸線だった空港線は何だったんでしょうね……(^^;)。そんな記録としても非常に貴重だと思います。

そしてこちらはちょいと「歌合わせ」という感じで私の画像を……(^^;)。400・500系なきあと、長らく新町~逗子急行や支線運用の主力をつとめた700系も、いつの間にか残り僅かとなってしまいました。もう本線系の運用はなく、大師線で昼間に1本入っていれば御の字という状態です (日によっては700系が全く来ず、代わりに1500系なんぞが走っていることも……@o@)。
今や快特に代表される速くて華やかなイメージの京浜急行も、実は扉を多くして素早い乗り降りを可能にした普通列車や、出来るだけ客が快速特急や特急に集中しないように補完的な役割を担った急行の存在があってはじめて成り立ってきたわけで (快速特急が快特に変わり、日ノ出町~伊勢佐木町界隈の商圏としての地盤沈下が進んだ段階で、新町~逗子急行もなくなってしまいましたが……) そういう裏方さん的な役割を担ってきた400系や700系に思い入れてしまうのは私だけでしょうか (^^;)。
そんないろんなことを思い出させてくれた165系アルプスさんのご投稿に、改めてお礼申し上げます~m(_ _)m