
6月中旬の話で、だいぶ時間が開いてしまいましたが (^^;)、大阪出張鉄で南海をひとめぐりした際の記録の第3弾として、汐見橋線を取り上げてみたいと思います。
本来は高野線の一部分であり、大阪環状線内に一応地下鉄千日前線との乗り換えが出来る始発駅を持っていながら、ラッシュ時でもせいぜい20分間隔、そして昼間は30分間隔でしか電車がやって来ない……そんな、「西の鶴見線」とでも呼べる雰囲気が時刻表から匂い立ってくる (いや、鶴見線はラッシュ時頻繁運転ですので同列には扱えないかも知れませんけど ^^;) のに惹かれて訪れてみた汐見橋線ですが、これははっきり言って強烈でした……。
岸里玉出駅の片隅につくられた、2両分しかなく「正式路線名・高野線」とは全く名ばかりのホームに、既に高野山急行の運用から撤退してワンマン化改造されたズームカー・2200系が到着しますと、1両あたり数人~10人ほどの客がパラパラと乗り込んで発車しました。そして、高架化された新しい線路が途切れると、複線ながらも長年全く放置されてきたかのような雰囲気の区間に突入……。しかも、西天下茶屋、津守の二駅でほとんどの客は降りてしまい、「環状線内=汐見橋へ向かうにつれて客が増えるのだろう」という、関東人の浅はかな予想はあっさりと裏切られてしまったのでした (^^;)。津守で撮り鉄のため下車してみましたが (↑の画像が津守駅)、雰囲気は「ディープ・ミナミ」そのもので、純粋に工業地域を走る鶴見線と比べて、何だか都市の加齢臭みたいなものが強烈に感じられますなぁ……。
次の木津川は……果たして利用者はいるのだろうか、駅の外には外界へ通じる出口はあるのだろうかと思うほどの未体験ゾーン……。芦原町でも乗り降りなし。そして終点の汐見橋 (↑の画像は汐見橋を発車して行くシーン) では、一応有人駅なのに昭和30年代で完全に時間が止まっている雰囲気に圧倒されました (改札上のあの路線図、ほとんど文化財モノです……)。かつて市電が駅前を往来しており (?)、高野線からも直通電車があった (?) 頃にはそこそこ利用者もいたのかも知れませんが、今では駅前は商圏としての雰囲気が全くなく、地下鉄 (しかも一番使い勝手が悪い千日前線 ^^;) の乗り換えも決して快適ではないことが、汐見橋線の命運を決めたのではないかと思いました。(しかし南海はどうしてこう採算がとれなさそうな路線を残しておくのだろうか……謎です ^^;)
というわけで汐見橋線は、環状線の内側へ向かうほどに客が減って行く、意外性のカタマリのような路線であり、同時に大阪の一つの側面を知ることが出来る路線だと言えましょう。強くお薦めするわけではありませんが、一度くらいは見聞・参考のために乗ってみるのも悪くないかも知れません (^^;)。2200系2両編成の活躍を大阪の近場で撮影したい方にはかなりお薦めですけど……とりあえず長いレンズがあったほうが吉だと思います。