地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

台湾・屏東線の非冷房客車消滅……

2006-03-02 08:26:55 | 台湾の鉄道


 思い起こせば、去年の今頃は台湾一周撮り鉄三昧旅行をしておりました。初夏の南台湾で、客車の窓やデッキのドアを開け放ったりしながら、爽やかな風を全身に浴びて旧型客車の旅を満喫でき、もちろん夜は屋台攻略など、それはそれは楽しいものでした (^^)。
 そんな台湾には、一年に一度くらい行くと精神衛生上とてもよろしいので、出来れば今年の2月にも行きたかったのですが……結局まとまった時間がとれませんでした (-_-
 しかし、それがまさかとんでもない後悔のもとになろうとは……。昨日、台湾の鉄サイト「台湾○道網」を見ていたところ、かねてから去就が注目されていた屏東線 (高雄~屏東~枋寮) の非冷房客車鈍行がついに今月15日を以て消滅することになったとか……。すでに当ブログでも昨年夏に扱ったように、台湾における客車鈍行最後の楽園となっている屏東線では、旅客サービスのため西部幹線で余剰になっていた冷房客車を玉突き配置し、その代わりに老朽化が著しい非冷房客車を置き換え始めていたのですが、思いのほか置き換えのペースが早かったようです。
 まあ有り体に言って、屏東線はまさに熱帯の風景の中を走りますので、今や先進国である台湾にしてみれば、クーラーがある方が当たり前といえば当たり前なのですが、それでも椰子やビンロウの森が広がる中を青い客車がゴトゴト走る風景は「なごみ」そのものでしたので、もうそんな風景を永遠に見られないと思うと、日本国鉄から旧型客車鈍行が消えていったときと同じ喪失感があります……。

 でもまあ、いろいろと調べてみますと、このインド製非冷房セミクロス客車・TP32200型も、一応民国60年 (=1971年) 製ということで、既に35年走っていることから、まあ仕方がないのかも知れません。
 ちなみに、台湾全土で客車列車の縮小が相次いで、このインド製セミクロス客車が屏東線に集結するまでは、屏東線の主力は昭和30年代中頃に日本で製造したロングシート客車でした。90年代半ばにはじめて台湾を一周したときに見かけたそれらの客車は、メチャボロかったですなぁ……。多くの客はセミクロス車に集結していて、まさに80年代まで日本の各地で見られたキハ28・58とキハ30・35を混結した列車と同じような感じでした (どちらがガラ空きかは皆さんお分かりですよね ^^;)。そういえば今でも、昼間の近郊用E231はセミクロス車の方が乗車率が高いような気がしますし、18きっぷシーズンの只見線でも、ロングシート改造されたキハ40が運悪く組み込まれていたりすると、1両のセミクロス車→殺伐、もう1両のロング車→スカスカ、という事態になりますね……(^^;;)。おっと、だいぶ横道にそれましたので話を元に戻しますと、このロングシート客車の一部は現役で、台湾南北を結ぶ荷物列車の一部に代用荷物車として組み込まれています。まだ撮ってないですが……汗)。

 それはさておき、↑の画像は、田舎町の片隅にひっそりとたたずむ美しい小駅・竹田にて (日本統治時代の古い駅舎が見事な状態で保存されています)。ふだんは鳥のさえずりとバイクの音 (笑) だけが響く朝の静寂を突き破るように、轟音DLに牽引された10両編成が到着するシーンです……。
 ともあれ、改めて強調しておきますと、屏東線が大都会・高雄近郊に残された貴重な客車鈍行天国であり続けること自体は当面変わりません。非冷房車を置き換える冷房客車も、スハ44タイプの非常に重厚な客車 (SP2300型) ですので……(*^o^* 撮影は西部幹線・嘉義駅にて)。
 また、一部の鈍行は、日本で言えば客車準急・急行的存在の「復興」号になっていますが、これも冷房&回転リクライニングのビニールレザー張りシートがちょっと豪華なだけで、外観は日本の旧型客車風の切妻車体に14系風の窓配置、それに非常に古い客車の台車流用……など、それなりに味のある存在です。もちろん、ドアは走行中に手で開けることも出来ます (*^^*)。

 しかしそれも、屏東線が数年以内に電化されるまでの話でしょう。新幹線開業・883系「太魯閣 (タロコ) 号」の登場・台湾版E231 (交流電化なのでE721か ^^;) の新造など、台湾鉄事情は日本に劣らず急速な変化のまっただ中なので、とにかく乗車・記録は急いだ方が良さそうです。