地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

三陸の旅2011 (1) 八戸線の赤鬼キハ40

2011-09-04 00:00:00 | 国鉄型車両


 3月11日の大震災から間もなく半年。遅々として進まない後始末と復興の背景にあった政治の機能不全は、新内閣の発足によって果たしてどこまでマシになるのでしょうか? とくに、鉄道の復興にとっても大きな意味があるといわれる第三次補正予算の成立は焦眉の急……。あくまで首都圏南部に住む一端の愚民でしかない私ではありますが、日本国民の誰もが「震災で傷ついた国で暮らしている」ことを常に自覚して、何はさておき奮起することによってこそ、そんな努力の束がめぐりめぐって本当の復興につながって行くのだろう、と思います。
 そこで、大震災から半年となるのを前に、7月の十和田観光電鉄遠征の後に敢行した三陸北部・乗り撮り鉄&バスの模様を連載したく存じます。大変恥ずかしながら、個人的にこれまで三陸というところは訪れたことがなく、「いつかゆっくり旅したいものだ」と思っていたところ大震災が起きてしまいましたので、「被災地を高みの見物か」という批判は恐らく免れず、自分自身も果たして行くべきか行かざるべきか……という煩悶があったのも確かです。しかし、7月には基本的に非常時ではありながらも交通・物流は回復し、再開出来るものは再開しようという気運をニュースなどから得ることが出来ました。そこで、ここは折角北東北に行く以上是非三陸にも足を延ばし、交通機関や美味いものに直接金を落とすことで、ほんの僅かながらでも支援させて頂くと同時に、これまでメディアを通じて知るのみであった被災地の現実、とくに美し過ぎる風景と破壊の爪痕のギャップを生で見ることによって、「傷ついた国」で生きているという自覚を改めて確認したい……と考えた次第です。(以上についてのコメントはご遠慮下さい)



 そんな、私にとって初の三陸訪問……出発点として選んだのは八戸駅でした。その理由は、十和田観光電鉄イベントとの掛け持ちもさることながら、三陸鉄道不通区間の代行バスの本数が極めて少なく、明るい時間に最小限のタイムロスで久慈~宮古間を移動するならば、前日までに久慈に到着しておく必要があるからです。先日、八戸駅で青い森鉄道の701系を撮影したカットをアップしましたが、それはひとえに八戸発17:08・階上行の発車まで時間があったためでして……(^^;
 八戸駅2・3番線の先端で撮り鉄しておりますと、青い森鉄道の車両だけでなく、JR八戸線のキハ40・48もジャンジャン撮影することが出来ます。八戸線は最近「うみねこレール八戸市内線」という、ヨソ者にはナゾな愛称がつけられていますが、「市内線」の名称に違わず (?) 鮫までは本数が多く、しかも八戸運輸区と八戸駅のあいだの入換も多数 (?) ありますので、恐らくこれからハイブリッド車や燃料電池車の増加によって急激に減って行くであろうキハ40・48のモタモタした加速ぶりを何度でも楽しめてしまうという……(^O^)。そして今回は、約3年前の撮影時にはフラれてしまった「赤鬼顔」をゲット♪ 今回の大震災では仙台支社のキハ40・48が複数被災しているだけに、盛岡支社色キハ40・48の長寿を祈るととともに、撮影しながら「う~ん、果たしてこれらのキハ40・48は東南アジアに輸出されるかのぅ……?」という邪念に取り憑かれる私でした (笑)。
 その後は、臨時ダイヤで1日4本が設定されているのみであった階上行に乗り、いよいよ三陸の旅へ……。これまで八戸線は本八戸までしか乗ったことがないため (汗)、見るもの全ては目新しく……市街地がぷっつり途切れるところにある鮫駅を発車してすぐ左側にある蕪島に無数のウミネコが群れているのを見てようやく「うみねこレール八戸市内線」の意味を深くかみしめた次第です (汗)。階上までの線路は基本的に高いところを走り、それが早期の復旧の所以だったのかと納得。時折現れる海岸線は最高に素晴らしく、とくに種差海岸の奇岩と芝生の組み合わせには「これはスゴい・・」の一言。津波で海岸線が荒れた印象は、鮫から階上まで乗っている限り余り受けなかったのですが、津波の高さが他よりも低かったためか、後片付けが進んだためだったのか……(少なくとも蕪島入口の道は復旧工事中でしたが)。
 こんな感じで車窓風景に目を凝らしているうちに階上到着。ここから先の鉄路は赤く錆び付き、乗客は全員代行バスに乗換となりましたが、今では復旧区間が利用客の多い種市まで伸び、本数も7往復となって目出度い限りです。


 階上にて。1番線と2番線久慈方の線路が錆びており、これも記録の一つということで……。



 久慈にて。来年春にはこれらの車両も線路を走って無事八戸へ戻ることが出来るようです。