地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

三陸の旅2011 (5) 三陸鉄道・宮古編

2011-09-08 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 小本駅にて切符を購入して階段を上って行きますと、ちょうど宮古からの列車が到着するところでした。小本駅の久慈方本線は臨時の留置・検修線となっており、36-100/200形が1両ポツンと置かれていましたが、宮古から着いた車両と増結したり車両交換したりするわけでもなく、そのまま折り返して出発進行! 小本~宮古間の運転は、恐らく田老付近の通信設備が津波で打撃を蒙っているため(そして車両数も最低限しか確保されていないため)、一の渡と田老の交換設備を使用せず全線を1閉塞とし、始発駅での手旗指導に従って発車するという、安全を担保しながらの営業運転としては本当にプリミティブな方法によっていますが、きびきびと振られる緑の手旗にも「少しずつでも着実に復興へ向けて走れ!」という意志を感じるのは私だけでしょうか?
 列車は田老に着くまで、田んぼの中の高架駅である摂待駅の前後を除いてひたすら長大トンネルを走りますが、制限30~40km/h程度でゆっくりと走るため、ある意味で非常に退屈……(^^;)。ディーゼルエンジン音も低速でグロロと唸ったかと思ったらニュートラル状態が延々と続きますので、ひたすらジョイント音を子守歌にするしかないという状態です (^^;;)。
 しかし、田老駅に近づくと……全国、いや全世界に伝えられた田老の惨状が目の前に否応なく広がり、嗚呼……という言葉が脳裏をグルグルと駆け巡るのみ……。既に瓦礫の撤去は相当進んでいるものの、街の本格的再建は遅々として何一つ始まっていない現実を見せつけられます。それでも田老駅からは多数の乗車があり、田老発車時点で車内は30人を優に超える客で大賑わい (宮古到着時には40~50人程度?)。そう……世界史上稀に見る打撃を受けた被災地にも生活が息づき、三陸鉄道は復興支援列車としての務めを立派に果たしているのです。



 その後列車はしばし海沿いを離れ、野鳥のさえずりと蝉時雨、それに清流が何とも瑞々しい森の中を進んで、佐羽根・一の渡に停車……。ごく当たり前のように真夏の光に照らされた緑の森が広がっていることが何と素晴らしいことか……と、ボックスシートに身を委ねながら思う私でありました。一の渡から長いトンネルをくぐり抜けますと、最近出来たばかりの山口団地駅に到着~。無傷な新興住宅街に囲まれたピカピカな駅の雰囲気は、突然どこか異次元世界にワープしたかのような心地すら感じられますが (^^;)、再びトンネルをくぐりますとやがてJR山田線と並走し、間もなく宮古駅に無事到着しました。久慈からの所要時間は2時間42分。震災直前の3月5日ダイヤ改正における最速列車は所要1時間半で毎日13往復運転ですので、震災によって生じてしまったこの激しい落差を埋めて元通りにすることが出来るのか否か……ということ自体が日本の国力の問題として突きつけられているのかも知れません。
 宮古到着後は、列車が運行される時間に合わせて沿線で撮り鉄したほか (1枚目)、駅西側陸橋とその下が格好の撮り鉄スポットとなっていますので、発車時間までのんびり佇む光景を撮影♪ また、三陸鉄道待合室に陳列されているグッズも購入させて頂きましたが、開業25周年記念誌は何よりの記念となりました☆ 壁には、和手拭いファンとしては垂涎モノの「鉄道むすめ手拭い」が掲げられており、所謂萌えキャラ趣味はなく思わず恥ずかしさを感じてしまう私ではありましたが (爆)、「う~む、ひょっとすると格好の記念として欲しいかも……」ということで (^^;;)、恐る恐る窓口業務担当のアテンダントさん (?) に訊いてみたところ……答えは「売り切れ」。う~ん、良かったのか悪かったのか……(笑)。