
長らくの隆盛を誇った小田急顔の最後のホルダーである5000・5200形は、周知の通り省エネと下北沢地下化を踏まえた急激な世代交代の渦の中でここ数年来次々に姿を消して行きましたが、小田急公式HPによりますと、5200形の最後の編成となっていた5255Fが昨日の運用を以てついに定期運行から離脱しました……。
5255Fはここ4年来、一時的な4連の不足のため中間車2両を廃車として6連から4連に組み替えられており、たまに小田原口4連単独運用に入るほかはもっぱら10連急行の新宿方4連として用いられ、快速急行or急行幕も誇らしくホームに滑り込んで来るシーンに遭遇するたびに喜びを覚えたものですが、如何せん運用範囲が広いだけに「5555」のゾロ目を組み込んだ栄光の編成に出会う機会は極めて限られ……個人的に一番最後に乗ったのはたしか昨年秋だったでしょうか。そもそも昨秋の海老名イベント以後は田の字窓5000形を含めても小田急顔は2編成しかなく、たまに小田急顔を見かけるだけでも目の玉が飛び出るほどの驚きでして、あれだけの大所帯がこうして滅多に姿を現さないお隠れの身になって行く有様はまさに「偉大なるフェイドアウト」……。昨日は公式HPで最終運行が告知されたため沿線は激しく混み合ったようですが、私は既にそれなりの本数が走っていた頃に撮り貯めていましたので、そんな騒ぎに食傷するのではなく、心の中で定期運行からフェイドアウトさせることによっていつまでも現役の輝きを心に留めておきたい……と思いまして、別のところに出かけた次第です。

思い出してみれば、9000形の定期運行終了にあたっては、公式HPにて告知されることなく、江ノ島線を中心とした機織り運用に入った編成に、平日の3~4日間のみ神出鬼没でHMを取り付けたのみでしたので、沿線は極めて平穏そのもの。当時は鋼製の抵抗制御or界磁チョッパ車が首都圏各地にゴロゴロしており、9000形の定期運用離脱にはさほど注目が集まらなかったのかも知れません。とはいえ、9000形が小田急の一時代における看板的車両だったことも事実ですので、唐木田で開催されたさよなら撮影会は折からの涙雨の中、凄まじい人出だったものです……。
しかし時は移り、ヲタ心をグッと捉えて離さない昭和の車両が他の会社・路線でも激減してしまった結果、9000形よりも安く仕上げるために (?) 小田急顔と抵抗制御に戻り、窓のみ9000形に準拠したという、些か過渡期の中途半端な仕様 (?) であったはずの5200形でさえも、ここまで強い注目を集めることになってしまったのでしょうか? 5200形の6連が辛うじて走っていた頃は、沿線で5200を追いかける人影を他にほとんど目にしなかったものですが……。いやそもそも、5200形は登場して以来長らく、6連や10連で運行される列車の当たり前すぎる常連であり、編成替えの機会も晩年の4連化まで全くなかったため、ヘッドライトの変更や車内の全面更新がなされるまでは趣味的な話題の対象にすらならなかったような気もします (私も、更新前の5200形の床材は靴ズリによる傷が目立ち汚い色になりやすいものでしたので、外観が小田急顔の最終形として注目に値するものであったのとは裏腹に、乗っても余り面白くない車両でした ^^; →更新後は俄然評価が劇的アップ!でしたが。笑)。それが今やこうして惜しまれつつ引退するのですから、やはり一つの時代のラストランナーとしての運命を5200形は生まれながらにして持っていたのかも知れません。5200形最終増備からさほど間髪を置かずして登場した8000形は、既に多くの編成がVVVF化されて更に10数年~20年ほど延命するものと思われますので、そんな運命の分かれ目がなおさら5200形の「悲運の過渡期車両」ぶりを際だたせているような気もします。
そんな経緯もあって、小田急ファンは去りゆく5200形に一層心を揺さぶられるのでしょうか? 9000形のときでさえ上記の通りでしたので、5200形の引退イベントが今後もしあるとしたら大変なことになりそうな悪寒もしますが、何はともあれ長年趣味的に地味な存在だったはずが晩年になってクローズアップされた5200形、有終の美を飾らせてやりたいものです……。あるいは何もなく相模大野で解体かも知れませんが、それもそれで本来地味な車両の「偉大なるフェイドアウト」にふさわしいのかも……。