いつも当ブログをご覧頂きまして誠にありがとうございます m(_ _)m
このたび当ブログは開設から8周年の節目を迎えました。2000年前後に約10年の非鉄時代から目覚め、撮り貯める中で腕もぼちぼち申し訳程度に向上し、さらにデジ一眼の普及と購入によって撮る枚数も増える中、ネット上で知り合ったごく限られた方々にまったりと自分の撮り鉄画像をお楽しみ頂くために(要は自己満足のために)深いことは考えず始めたのが当ブログの縁起でございます。しかし100万アクセスを機にブログ名を改め、小まめにネタを仕込んでアップする日々を続けているあいだにいつの間にか8年という時間が過ぎ、記事の数も約2400に達しているとは! (@o@) 飽きっぽく目移りばかりの自分 (だからこそ撮る対象は絞られずあちこち浮気……^^;)にしては信じがたい話です (笑)。今後も、アクセス数云々には一切関係なく、単純に個人的に気に入った鉄道車両の画像や気になる鉄道事情をめぐる駄文、そしてシコシコ作った鉄道模型 (←8年間における最大の変化は、模型にハマって自分で組むようになったことでしょうなぁ)の製作過程を備忘録的に綴って行くのみですが、そんな箸にも棒にもかからないような落書きを自己責任でご覧頂く皆様に多少なりともお楽しみ頂ければ幸いです m(_ _)m
というわけで今回は、去る9月2日にアップした上田の平面ガエル・クハ290画像と同じ日に撮影した、上田の古典的秘宝たるクハ252をアップしてみましょう~。
1986年秋に昇圧するまでの上田交通は、手持ちの電動車の制御方式が統一されていなかったことから、2連を走らせる際にはそれぞれの制御方式に対応するクハを用意するか、ぶら下がりサハを連結するかの選択を強いられておりました。大別するとHL車 (4桁車番の百の位が2)、AL車 (4桁車番の百の位が3) に分けられますが、かといってHL車の制御装置が琴電のように揃えられているということはなく、5250・5260・5270・5370形は結果としてそれぞれ相棒クハが存在し、運用上の都合で相棒クハを動員できない場合は、他の形式に対応するクハもしくは純粋なサハをぶら下げる……という、今日からみれば実に悠長な運用が展開されていたものです。勿論、制御装置が統一されず、それだけ様々なクハを用意しなければならないこと自体、お世辞にも効率的であるとは言えず、車両が老朽化を極める中では部品の融通も利かなかったわけで、それが結局86年秋の昇圧とクリームガエル化につながったものと思われますが、そんなローカル私鉄らしさ全開の風景が消えて行ったことは、当然の成り行きとはいえ返す返すも残念なことであります……(遠い目)。
そんな状況が展開していた上田交通別所線750V時代末期にあって、クハの主力は電動車最大勢力たる丸窓5250形に対応するクハ290となっていましたが、電動車の第二勢力である5370形に対応するクハ252も非常によく活躍する一両であったと言えましょう。信濃鉄道 (現・大糸線) の木造車をAL化し、さらに小田急クハ1650の車体を大改造のうえ載せたモハ5370が、神中鉄道DC→相鉄クハ1501を譲り受けたクハ252を牽引してガタガタと走る姿は、神奈川県央からやって来た半鋼製釣掛マニアな少年の心を鷲づかみにして離さなかったことは言うまでもありません……(*^^*)。しかもこのクハ252、半室運転台が温存され、ロングシートが最前部まで残っていましたので、前面展望は極上級! 別所温泉で最前部に陣取れば、クハ252・モハ5370の趣深いニス塗り車内や、モハ5370の野太い釣掛サウンドを楽しむ暇はなくなりますので、ある意味で究極の選択でしたね……。そこで私は、5370の車内とモーターを選択し、クハ252は別所温泉で車内の写真を撮るのみだったのですが、ちょっと勿体なかったですね (^^;)。
ちなみに、元長電の5261・5271には、それぞれに対応するクハ261・271という車両がありましたが、261・271は私の訪問時(といっても中2夏・中3卒業時・高1夏の計3回ですが……)には決まって上田か上田原に放置され、5261がクハ252を代用ぶら下がりサハとして従えているシーンも撮影したものです (汗)。モハもクハも1形式1両という状態では、上田や別所温泉での臨機応変な増解結に261・271を用いるのは面倒だという判断があったのでしょうか……。そんなレア (?) シーンは、また機会がありましたらアップしてみたく存じます。