個人的非鉄期の90年代を挟んで、中坊であった1980年代前半以来、購入する鉄道雑誌と言えば基本的にP誌、ごくたまにRM・DJという、何とも枯れ果てた私ではありますが、先日かれこれ30年以上ぶりにF誌を購入してしまいました。その理由は中身が雄弁に語るところであります。そしてふと、00年代に入って鉄道趣味の道に復活した頃合いとネットの急激な普及の中でのいろいろな出会いがまず私を神奈臨へと誘い、川崎市営埠頭で激写した輸出車両への関心がさらに東南アジア訪問の道へと誘い、そこでの更なる出会いがますます出会いを呼び……その結果、いつの間にかこのような超個人的ヘタレブログにもそれなりの情報量が蓄積しているのだなぁ~ということに思い当たりました。これもひとえに、わらしべ長者的な出会いの積み重ねの中でお世話になった皆様のおかげでございます m(_ _)m
というわけで、先日神奈臨の銀座線甲種をアップしたこともありまして、久しぶりに外付けHDの中の東南アジア輸出甲種画像のことを思い出し、約7年前に輸送されたミャンマー向け盛岡DCの第一陣であるキハ52 108・109の未アップ画像をレタッチしてみました。この2両は現在ピィンマナ機関区に所属し、ネーピードーを拠点に動いているようですが (転配が小まめにあるため、再びヤンゴン地区に舞い戻ってくる可能性もあり)、まだこの時点ではキハ52自身、厳寒の北上山地・八幡平界隈とはまるで違う暑熱の地に向かうことも、そして車高引き下げ改造を受けることも想像だにしなかったことでしょう。
あ~それにしても、まだこの頃は西群線ヤードに背の高い柵はなく、参集したヲタも最近の壮絶な混み具合が全く想像できないほど少なく、それなりにまったりと (?) 撮影したのを思い出します。同年12月の2度目の輸送は一気に10両ほど輸送されたこともあり、凄まじい人出ではありましたが……。そもそも最近のJRE車両の輸出は新潟に運ばれる習わしとなってしまいましたので、このような情景がもう展開されないだろうと思うと、些かの寂しさを覚えるのも確かです。