地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

銚子電鉄・冬至訪問記 (1) 鉄子デハ1002

2007-12-23 12:09:45 | 地方民鉄 (銚子)


 去る11月に訪れた際には、満身創痍の状態でジャッキアップされていたデハ1002……その後果たしてどのような色になるのか、ずっと気になるところでした。もちろん、ゴリラーマンHMやコテコテした装飾が消えた現在の醤油色でも悪くはないのですが、銚電黒歴史を象徴するこの色に固執する必要も少ないわけで……銀座or丸ノ内線色 (後者は面倒 ^^;) か銚電旧塗装が良いなぁと思っておりました。
 しかし……フタを開けてビックリ! 「桃電」に次ぐタイアップ企画として、何と『鉄子の旅』の作者・キクチさんの考案によるデザインをまとうことになりました。関連HPによりますと、犬吠埼の海に朝日が昇る際の色、そして白い波濤をイメージしているとのこと。言われてみればまあ確かにそうかな、という気もしますし、ツートンカラーに近い雰囲気を維持してくれるのは有り難い限りだと考えることも出来ますが、正直……斜めラインさえなければ完璧だったのにぃ!! (泣) 



 でもまぁそれでも、桃電に比べれば全然安心して眺めていられますし (^_^)、あのゴリラーマンHMもついたコテコテ時代を思えば、こういう塗装におさまってくれたことは喜ぶべきなのかも知れません (と自分に言い聞かせております ^^;)。車号フォントや「CDK」のロゴもグッドですし……(^^)。
 この『鉄子』色デハ1002、銚電次長さんのブログを拝見していたところ「早ければこの週末にでも営業運転に入る可能性あり」と触れられておりましたが、私が訪れた昨22日の時点では未だ営業運転には入っておらず、検査の最後の仕上げとして念入りに洗車・窓拭きをしている段階でした。朝9時10分に銚子に到着し、さらに一駅乗って仲ノ町に着いたところ……ちょうど入換作業が始まるところに遭遇しまして、速攻で入場券を購入のうえ撮影許可を頂き、パン上げ姿を激写しまくり! (但し非常に暗かったですが……-_-) しかも、2枚目の画像を撮影して間もなく洗車に入り、終了後はパンタを畳んでしまいましたので、まさに早起きは三文のトク、何ともラッキーでした……(*^^*)。もちろん、この姿のまま運用に入ってくれればラッキーでもなくなるでしょうが、企画が企画だけに、ことによると横○氏の似顔絵入りのHMが取り付けられるという恐るべき (^^;) 事態となることも予想されます (果たして真相は如何に?!)。それだけに、検査上がり・営業運転前のまっさらピカピカな姿を記録できたのは貴重かも……と思うわけです。

 【補記】小学館『鉄子の旅』公式HPによると、12/26午後に御披露目運行がなされるとのこと。お祭り好きな方は行かれると良いでしょうし、出来るだけ静かな銚子を味わいたい方はこの日を避けるのが無難でしょう (^^;)。

銚子電鉄・冬至訪問記 (0) 青と黄の銚子路

2007-12-22 21:56:52 | 地方民鉄 (銚子)


 師走も押し迫った連休の初日は、さすが冬至だけあって薄暗く寒い一日でしたが、約1ヶ月ぶりにまる1日のんびりと出かける時間を得ましたので、先月訪れたばかりの銚子電鉄を再訪してみました (^^;)。今回も、天気の悪さは何のその、変化のさなかにある銚子電鉄の今を撮りたい!という一心で、ツボなカットを量産することが出来ましたが (^o^)、これからレタッチしますのでどうぞお楽しみに。
 まずは前座として、「桃太○電鉄」ラッピングのデハ1001の画像をお楽しみ下さい。派手なラッピングはイヤじゃと言いながらも、運用に入っている2両のうち1両がこれであれば、何のかの言って側面も撮ることになりますね (^^;



 そしてこちらはゲスト出演・幕張の211系。ふだん私は全く211系を撮らないのですが (205・211系以降の車両には被写体としての興味なし ^^;)、こ、この前パンはいったい……。銚電での撮影を終えて銚子駅に戻ってきたところ突如目の前に姿を現し、目が点になりました。一瞬、伊豆急8000系と同類か??と思ったのですが、やはり211系の場合は横幅が広い分、ちょこんと載っかっている前パンが何やら間抜けだと思うのは私だけでしょうか (笑)。改造目的は霜取りなのか、それとも離線対策なのか、そして他の編成に波及するのか……細かいことは全く存じませんが、何はともあれ珍車のかほりがそこはかとなく漂ってゐることは確かです。
 しかし……往路は千葉から銚子まで約2時間、211系のロングシートに座り続けるのは疲れました。帰りに乗った113系2000番台のボックスシートが余りにも快適で、ビールでほろ酔い加減なまま思わず居眠りしてしまいましたとさ……(^_^)。

さようなら、東急東横線8019F!

2007-12-21 00:02:50 | 大手民鉄 (東急)


 東急東横線に最後まで残った8000系2編成のうちの1本・8019Fにつきましては、先日その最後の日常を撮影したばかりですが、思いがけず早くも別れの時となってしまいました。何と、去る日曜日にネットを巡回していたところ、8019Fが引退HMを掲げたという情報が! 
 そこで、「これは何が何でも8019Fの最後の勇姿を記録に留めなければならない」と思いまして、去る18日は午前中が休みだったのを活かし、個人的な原風景である白楽界隈を再訪してみました。17日の晩は忘年会で酒を飲んで深夜帰宅だったのですが、8019Fを撮るためとあらば体内時計もカチッと作動して朝5時に起床! まだほの暗い底冷えの白楽駅に到着し、渋谷方ホーム先端にて待つことしばし……27運行で8019Fが現れました! 冬至目前の朝7時過ぎということで、露出条件は前回以上に過酷を極めましたが、ここは執念、いや8000系への限りない誠意のあらわれとして撮影に成功! 「引退」の2文字と雪だるまの絵は、まさに師走の朝の別れにふさわしく、ひときわ胸に迫るものがあります……。



 その後は線路沿いを少々歩きまして、妙蓮寺へ向かって坂道を上る手前のカーブ脇で渋谷行の8019Fを撮影しました。ここは幼少時の思い出が詰まった白楽界隈の中でも、とりわけ記念すべき究極の聖地です。何故なら、当時はここのすぐ近くに住んでおりまして、暇さえあれば目を皿のようにして、このカーブを行き交う東横線の電車を眺めていたからです……。そこで、さよならHMを掲げた渋谷行を撮るのであれば是非、幼い頃の想い出が最も凝縮されたこの場所で……ということで、万感の思いを込めて完璧なカットをものにしたのでした……。
 私がこの界隈に住んでいた頃、東横線では最新型として8500系が就役しましたが、もちろん圧倒的多数は8000・7200・7000・5000系といった、今となってはすっかり古強者となった面々でした。したがって、まさに8000系の存在こそ、自分が東横線沿線で生まれ育ったことを今でも実感できる最後のよすが。そんな8000系がこうしてお別れHMとともに消えて行くのですから……後に残される私はただ、自分にとっての大事なルーツを失って呆然とするより他にありません……。

 いずれにしましても、HMつきの8019F、そしてこの日はHMがなかった8017F (26運行に入って通勤特急渋谷行に!) ともども、遅くとも年内いっぱい (?) となったその使命を安全運転で全うして欲しいものです。……と思いきや、その後ネット情報を見る限り、8019Fはこの日を以て運用を離脱した模様……。最後に素晴らしい姿を私の目の前で見せてくれて、本当にありがとう、ご苦労さま……という思いでいっぱいです。

雨の近江訪問記 (4) レールバスLE10形

2007-12-20 08:06:46 | 保存・園内・特殊車両


 近江鉄道ミュージアムの展示車両はどれも個人的にツボ揃いであることは言うまでもないのですが、とくに「これを保存対象に選んだのは何ともシブく、鉄道史的にみても貴重な選択だな〜」と思ったのが、レールバス・LE10形の存在です。何と言ってもこの車両……赤字ローカル線再生のため、1980年代に富士重工が提案し、またたく間に全国各地に勢力を広げていったレールバス・LE-Carの中でも最初期のタイプに当たります。基本的にLE-Carの多くは、当時の一般的な観光バスタイプの車両 (バスのことについては詳しくは存じません ^^;) と同じような窓を採用していますが、近江のLE10と、名鉄が八百津線etc.用に導入したキハ10 (後にくりはら田園鉄道) につきましては、富士重工が最初に公開した見本車両と同じような二段窓を導入している点で、非常に貴重であるだけでなく、なかなか良い感じだなぁ〜という気がしています (^^)。



 RP誌2000年5月増刊号(関西地方のローカル私鉄特集)によりますと、長らく電車を走らせていた近江鉄道が1986年に突如LE-Carを導入したことの背景には、いくつかの美味しい利点があったようです。まず、当時電車には冷房がなかった中、冷房装備で一気にサービスを図れること、次いで導入コストが電車の1/5で済むこと、そして何と言っても閑散時に無駄なくローカル輸送をこなせること……が大きかったとか。それに加えて、近江鉄道は貨物用のスイッチャーを保有しており、運行・メンテナンス技術面でのハードルも低かったようです。
 しかし、LE-Carが投入された八日市=貴生川間を利用されたことがある方でしたら即座にお分かり頂ける通り……この区間は意外と客が多く、朝夕はLE10を2連としても相当ツライという現実がありました。そこで、より適正な大きさの車体を持った220形の登場と入れ替わりで、早くも1991年にはLE10の離脱が生じ、近江での活躍は10年間で幕を閉じてしまったとか。それでも、「彦根廃車体魔境」に長年放置されたことがかえって今や貴重なものになった初期LE-Carの「再発見」にもつながり (?) 目出度くミュージアムでの展示と相成ったというわけですから、世の中何がどうなるかさっぱり分かりません (^^;)。
 個人的なLE10との付き合いは……もちろん、半鋼製電車に狂っていた当時だけに、全くございません (^^;;)。ホントにただただ、そんな浅薄さを恥ずかしく思いつつ、早くも鉄道遺産の仲間入りを果たしたLE-Carをしみじみと眺めるのみです。

雨の近江訪問記 (3) 命脈尽きた500形

2007-12-19 11:49:20 | 保存・園内・特殊車両


 砂利&セメント産業路線、そして西武つながりということで、しばらくぶりに (^^;) 近江鉄道ミュージアム訪問記の続きと参りましょう。
 11月25日まで開催されていた近江鉄道ミュージアムでは、超貴重な古典電機の数々はもとより、近江鉄道オリジナルの電車・500系も入口付近に鎮座していました。500系は複雑な車歴を持つ旧型車に、さすが近江らしく自社工場製の車体を組み合わせたもので、台車も一応新しいものに交換されているなど、非冷房車ながらもそこそこ洗練された (?) 雰囲気の車両だなぁ……と昔は思っておりました。特に、現存する501Fと506F (506Fのみ車籍あり?) については、ドアがステンレス製のものに交換されており、やけに小洒落た (??) 佇まいを醸し出しています。しかしこういったことが、逆に半鋼製車に狂っていた10代の頃の私にとっては「面白くない電車だなぁ」という印象にもつながっており (湘南顔の小型車・1系も同様)、結局釣掛車全盛時代の近江を目的地として撮りに行くことはありませんでした (汗)。彦根駅のホームから、貨物現役時代のED14をちょこっと眺めたのみ……(^^;



 しかし、約10年のブランクを経て撮り鉄に復活し、どんな車両だろうが出来るだけ多くのローカル私鉄を訪ね歩こうという方針のもと、数年前に初めて近江を訪問しまして……そんな10代の自分が如何に浅薄だったかを思い切り思い知らされたのでした。何故なら……500系は見かけによらず最高にワイルドな釣掛音をかき鳴らし、車体を激しく揺らしながら湖国を駆けめぐっていたからです! そのド迫力たるや……大してスピードも出さない八日市線で、このデンジャラスな走りは80km/hくらい出ているのか??と錯覚するほどでしたので……(*^^*)。
 ただ、そんな500系とのひとときも一度きりで、やがて西武401系改め800系の増備のため引退してしまったのは何とも寂しい限り。ああ……なくなる間際にもっと通っておけば!と激しく後悔したのでした。それでも、501Fはこうして現役時代の雰囲気を保ったまま保存され、506Fも取りあえずは彦根で現状を維持しているという点で、この電車はまだラッキーな方なのかも知れません。うーん、こんな立派なミュージアムが出来るのであれば、湘南顔の1系も何故保存せずに解体されてしまったのだろうか……と思います (何を今さら……ですが ^^;;;)。