地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ソウル撮り鉄新名所・水色車両基地の悦楽

2009-12-24 09:08:00 | 韓国の鉄道


 ソウルの中心街からアプローチしやすい車両基地・工場といえば、龍山と並んで水色[スセク]もオススメでしょうか。ここは韓国鉄道事情にご興味をお持ちの方でしたらご存じの通り、ソウルを発着する非KTX長距離列車の運行上欠かせない超重要車両基地でありますが(なお、KTXは幸信駅の先にある高陽車両基地)、京義線が今年夏に複線電化されるまで、水色駅から車両基地内の車両の撮影は、いろいろな障害物に阻まれてやりづらかったという……(CDCの車内から一瞥してスッパリ諦めておりました)。しかし、京義線複線電化の完成により状況は一変! まず、水色駅手前数百mの位置にオープンしたDMC[ディジトル・ミディオ・シティ→ハングルをそのまんま読んだ場合]駅からの眺めが素晴らしい……。駅の真横が客車だまりとなっており、湖南・全羅線方面へ向かう485系風 (?) 客車ムグンファのサボを眺めているだけでも旅情をかき立てられますが、時折入換中の大型DLがグロロロロ……とゆっくり通過し、背後の高層ビルとの組み合わせが何とも「ダイナミック・コリア」です (一体いつの観光キャンペーン・スローガンだよ……と。笑)。



 DMCからムン山行の電車に乗って1分、複々線化されて新装成った水色駅に到着しますと、今度は貨車も含めて夥しい数の編成を留置可能な大ヤードが目の前に広がっております(*^^*)。そして、確か機関区がさらにムン山寄りの位置にあることから、この位置でも入換中のDLを撮影することが出来ます(電柱が手前にカブる可能性が低い分、こちらの方が撮りやすいですね~)。太極旗カラーのDLでもまぁ別に良いのですが(単にアメロコ・デザインであるだけでなく、とにかく満鉄・鮮鉄サイズでデカい点が日本で味わえない魅力)、やっぱり旧塗装で水色基地撮り放題を楽しんでみたかった……と思うのは私だけでしょうか。仮に今すぐ南北直通定期客車列車がソウル=平壌間で運行されるとしても、機関車は都羅山か開城で交換されることになると思いますので、この位置でコメコン・テイストな北のDL(コメコンという言葉が死語になってからも20年経つのですなぁ) を撮影するのは夢のまた夢か……と (^^;)。
 それにしても、こうして撮影地ガイドをしまくったところで、絶対に撮り鉄が殺到することは予想できず、何時訪れても悠々と自分一人だけで極上スポットを独占できる……というあたりが韓国撮り鉄の魅力でしょうか。この日も、京義線の電化開業後最初の週末であったにもかかわらず、DMC駅で撮り鉄していたのは自分一人だけ(^^;)。これもまた、鉄道趣味不毛国・韓国らしい一幕ですが、逆になかなか趣味的に注目してもらえない韓国国鉄(及び、ごく僅かな韓国の鉄道ファン)に少々同情せずにはいられない気分です。

セマウル旧塗装動車、龍山で解体を待つ

2009-12-23 01:07:00 | 韓国の鉄道


 日本国内の鉄道事情は、先日発表された来年3月のJR各社ダイヤ改正によって一層激しく変わって行きそうですが、周りの国々もまた然り。『台湾鉄道網』が伝えるところによりますと最近台湾鉄路局は、2014年の花東線全線複線電化完成を見据えた新型車両購入計画を発表し、タロコなど自強用振子式車両136両(一部はDCで、南廻線に直通するものと予想)・通勤電車296両(!) を増備する旨を明らかにしましたが、これが予定通り執行されますと、5年後には現在の台鉄とは全く違った状況が……(@o@)。藍色普通車やDR2700といった非冷房車による定期列車は跡形もなく吹き飛び、キョ光・復興客車も大激減することは目に見えているという……(屏東線も潮州まで電化だしなぁ……と) 。そこで、これら新型車両の購入にあたっては競争入札にかけることとなったものの、韓国企業(ロテム?)が応札する予定であることに対して台鉄は激怒しているのだとか……。既に事情通の方はご存じの通り、台鉄は90年代に現代や大宇からPP自強用客車や通勤電車を大量購入したものの、ただでさえ故障が頻発しまくったのみならず、現代と大宇の鉄道車両部門が合併して発足したロテムは「そんなの合併前の話なので知らぬ存ぜぬ」とばかりに台鉄側のサポート要請を握りつぶしたという黒い歴史があります。そこで台鉄としては、韓国製車両など金輪際購入したくない……という激しい感情を抱いているものの、最近台湾は政府関連の競争入札にあたって如何なる国の企業をも差別扱いしない旨の協定を批准したとかで、結局国鉄である台鉄は韓国企業の応札を拒否できないという状況に……。いやはや、台湾と韓国の仲の悪さは(以下略 ^^;)。 



 そんな話に触れるにつけ、台鉄PP自強号のモデルとなった韓国PPセマウルのことを思い出すのですが (^^;)、韓国の場合はKTXの出現と拡充に伴いセマウルが削減されること数年。余剰となった中間の客車は最高に乗り心地が良いため、一部の車両がムグンファに組み込まれて特室扱いとなるなど活用されているのに対し、先頭の動車(一部は客室)につきましては使い道がなく、韓国独特の25年ルール(新造後25年で廃車にすべしというもの) もあってか、まだまだ手を入れれば使えそうな動車が大量に放置されてきました。去る7月のソウル訪問の際、余り撮り鉄する時間もなかったことから「お手軽コース」として龍山駅西側の陸橋に立ったところ……鮮鉄工場以来の由緒正しい歴史を持つ龍山工場の構内に、セマウル動車ばかりズラ~リと並んでいるという……。その数、軽く数えても10数両。既に離脱から久しいと見えて車体全体が汚れ果て、時速140kmで京釜線を駆け抜けた面影は薄れ……嗚呼もったいない!のひとことです……。
 その傍らには、京義線の複線電化で早速余った (?) CDCや、辛うじて旧塗装で残っている入換用DLの姿が。う~ん、まさにKTX開通前の韓国国鉄の姿が凝縮された最後の空間でありました……。
 ちなみに、いつもお世話になっております「ぱれっと」さんが先月、仁川空港でのトランジットついでに初めて韓国乗り撮り鉄を楽しまれた際、やはりここ龍山工場の眺めを楽しまれたのですが(と申しますか、私が事前にお手軽スポットとしてご紹介しました ^^;)、そのときには既にセマウル動車の姿はほとんどなく……やはり解体されてしまったようです。その代わり、京義線で余ったCDCをDCムグンファに改造するための工事が着々と進んでいるようでした。これからはKTX-2の増備や中央線複線電化・線形改良に伴うビチュロ用PP編成の新造、あるいはソウル広域電鉄で運用されている抵抗制御車1000系の置き換えが予想されるなど、韓国の車両動向も無視できないですね……。

長野電鉄薫風紀行 (6) 3500系O編成

2009-12-22 07:08:00 | 地方民鉄 (甲信)


 本日は冬至。冷える日も続く中、日が長く暖かい季節が恋しいですね。というわけで、これまでアップしそびれていた黄金週間明け撮影の長電カットをを年内にアップしてしまおう……という強引な企画の最終回です (^^;)。
 さて、長電にて長年活躍してきた3500・3600系は、周知の通り8500系の導入によって廃車が進んでおりますが、非冷房O編成の残存編成を差し置いて冷房車も廃車となるというあたり……端から見るとかなり異様に見えます (汗)。とくに夏場など、長野は標高が高いとは言え盆地ですから、涼しいというわけでもないはず。よくもまあ利用者サイドから「非冷房車ではなく冷房車を廃車にするとは何事だ!」という文句が殺到しないものだと思うのですが(それともやっぱりある?)、それでもN・L編成からも廃車が出ているのは、非冷房・閑散線区用ワンマンカーであるO編成と比べて走行距離が長く、ある意味で酷使気味であるためなのかも知れません (あくまで個人的な推測の域を出ません。悪しからず ^^;)。
 というわけで、あくまでマイペースな活躍が続く3500系のO編成、信州中野~湯田中間の区間運転および屋代線の運用に入っています。また、前者の送り込みとして、須坂~信州中野間でもO編成の営業運転が見られます。一応、なるべく客が少なそうな時間帯を選んでいるようですが……(^^;



 もっとも、ここに来てO編成の先行きに黄信号が点りつつあるような気もします。屋代線を乗り通しつつ、時折途中下車して駅撮りに興じていたところ、やって来たO1編成の幕が何と壊れており、代わりに貫通扉窓に大型のサボを掲示するようになっているという……。しかもこのサボ、その場しのぎの紙製ではなく、それなりにしっかりとしたプラ板製でした。要するに、O1編成はいずれ廃車が予定されているため、ムリして金を掛けて幕を修理するよりも、やっつけ仕事で作成したサボでやり過ごそう……という発想なのでしょう。  
 ちなみに、そんなO編成の天下となっている屋代線ですが、乗ってみた印象では……う~ん、千曲川河東地区で産出された農産物を信越線まで運ぶという当初の目的は失われて久しく、165系が駆け抜けたのも20年以上前の話となってしまったばかりか、超!年代物な駅舎も満足な補修を施されておらず(とくに松代駅は有人駅でもあるにもかかわらず、いつ崩壊してもおかしくなさそうな老朽化が進行しているように見えます)、強者どもが夢のあと。というわけで、屋代線の最大の存続理由はやはり、屋代の子会社工場&車両搬入口と須坂を結ぶ長大な連絡線としてなのだろうなぁ……と思ってしまったのでした (^^;)。長野を中心として放射線状に広がる人の流れと一致せず、その最も外延にある集落を結ぶだけという路線条件ではやはり先行き厳しいのでしょう (-_-;)。そして恐らく、将来遅かれ早かれやって来るであろう屋代線の転機が、O編成にとっての運の切れ目となるのかも知れません。
 それはさておき、果たしてO1編成の幕は修理されているのだろうか……と気になりまして (←ウソ ^^;)、今日は長野に少々出かけようか……と思ったのですが、急ぎの仕事が入ったため休みは取り消し。はぁ……(鬱)。

祝・神奈臨本牧線40周年!(下) DD601

2009-12-21 05:30:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 現在の本牧線を担っている2台の機関車は、神奈臨の現役最古参と最新鋭車両の組み合わせ(但し最も新しいDD602は塩浜所属)。しかもそれぞれ色違い。記念HMも全く異なるデザインが取り付けられています。そこで、どちらも首尾良く撮影出来れば……と思うのが人情というものですが、全ては運次第でうまく行くとは限らないのもまた事実。とくに私の場合、HMが取り付けられてからというもの、なるべく早期に両方を記録するべく、少しでも時間的余裕が出来れば(いや、無い時間をムリヤリひねり出して) 何度も何度も本牧へ通ったのですが……オーマイガー! 行く度ごとにDD5514が運用に入っており、DD601はクラの中でC56と一緒に睡眠中 (T_T)。嗚呼……本牧という場所の袋小路的性格もあり、何でわざわざここまで来たのにDD601にフラれ続けるのか……と、己の不運を呪ったのでした (^^;)。
 そういえば、DD601が川崎地区でデヴューした当初、一刻も早く千鳥線での濃いぃシーンを激写するべく足繁く通い、出退勤ついで鉄に励んだものですが、何度訪れてもDD5515ばかり現れ、DD601にはフラれまくった……という悲しいトラウマを思い出しました。そう、自分にとってDD601という存在は、求めても求めても永遠に手に入らない高嶺の花の美女……(んなわきゃぁないか。笑)。



 しかしこうなったら、何が何でもDD601のHM姿を撮らなければ気が済まないというもの。そこで、DD601に当たるまでは他の全ての撮り鉄対象に優先させて本牧に通うぞ!と決心したところ……5度目の正直(爆)にしてようやくDD601の運用に当たりました(*^O^*)。バンザーイ!!\(^O^)/  個人的には、国際埠頭線が陥落して以来の本牧訪問はなるべく明るい曇り日を選び、少しでも多くのカットを選びたいところではあるのですが、HM掲示期間である12月下旬までの残り時間がもうほとんどない中では贅沢も言っていられず、ドピーカンな日でも敢えて本牧を訪れた次第。そして、辛うじてド順光気味で撮影可能な限られたスポットを厳選し、事前に脳内でシミュレーションした通りに立ち回り、きっちりと撮って大満足! いや~蒼い車体に赤アクセントのHMが実に良く似合っています……(*^_^*)。背後のベイブリッジやコンテナ溜まりとの組み合わせも如何にも本牧っぽく最高です (2枚目は道路の柵越しに、58mm口径望遠ズームで撮影)。
 というわけで、今後の神奈臨本牧線に良き未来あれ……!と思う師走ではありますが、同時にいろいろと懸念材料が多いのも事実。まず、毎年恒例の期間限定カーパック輸送は、折からの世界金融危機のあおりを受けて全滅してしまいましたが (号泣)、果たして来年は復調軌道に乗るのでしょうか……。また、確か国交省の支援を受けて鳴り物入りで始まった本牧埠頭への海コン直通輸送も、どう見ても繁盛しているとは思えない……。それに、渋川行き工業塩の輸送で命脈が保たれていた国際埠頭線も、代わりになる輸送品目は見あたらない模様……。同じく定期貨物が消えた水江線はレール磨き列車が走っている一方、国際埠頭線は側線扱いゆえ完全に休止状態で、踏切も使用停止となって久しく、相鉄・相模大塚と同じような運命をたどりつつあると言えます(もっとも、国際埠頭線は除草が行き届き、相模大塚ほど荒廃した印象はないのですが)。さらに衝撃的なことに、本牧で撮り鉄する際の最大の楽しみであった横浜本牧駅1Fの食堂が撤退してしまい、メシを食うならわざわざ根岸まで戻らなければならなくなってしまったという……(ここのタンメン好きだったのにぃ!……号泣)。「環境に優しい鉄道貨物輸送」のはずなのに、それが全面的に活かされていないもどかしさを本牧の光景から感じざるを得ません。まぁ、関係業界とは縁がない一個人の撮り鉄としましては、見果てぬ繁華の再現を夢に見つつ、今後も折に触れてミナトの果てを訪れることにしたいと思います。


 かなりん社紋デザイン~♪
 前後同じHMであれば、ドピーカン・ド逆光の悩みはないのですが・・・。



 (おまけ)コキ50000形式写真 (爆)。いや、背後のコンテナの山にご注目。
 クラの中の秘蔵C56を引っ張り出して内輪の撮影会も開かれたとか……。

祝・神奈臨本牧線40周年!(上) DD5514

2009-12-20 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 昨日は横浜市内の某所にて、濃いぃ臨海鉄道・専用線大好き人間数名による忘年会が開催されまして、私も日頃の憂さを忘れてあれやこれやの話題に興じさせて頂きました(^O^)。幹事役のあまのじゃく様をはじめ参加者の皆様、楽しい時間をどうもありがとうございました~m(^^)m
 席上での話題のひとつは、当然のことながら地元を走る神奈川臨海鉄道。とくに、根岸駅から精油所の北を回り込むように横浜港へと延びている本牧線はこのたび40周年を迎えたということで、宴会は一応その祝賀を兼ねていた (?) のですが、国際埠頭線(正式には横浜本牧駅の構外側線)という激しく濃過ぎる空間が活きていた数年前までの本牧線を撮りまくった者にとっては、やはり一抹の寂しさを拭えない40周年であることも事実。さらに付け加えますと……むかしの横浜本牧駅には穀物ホキや車載車ク5000なども盛んに入線し、それはそれは繁華を極めていたことが思い出されます。幼い頃、根岸に住んでいる親戚の家を訪ねるたびに不動下バス停近くの公園のジャングルジムに登り、「闘争勝利!」「スト権スト貫徹」といったビラが貼られたEF15 (汗) に牽引された貨物列車が、小豆ベージュの旧塗装をまとった神奈臨DD55へと継走されて行くのを眺めたものです(残念ながら横浜本牧駅には連れて行ってもらっていないのですが、親も親戚も非鉄ですので、そんな濃いぃスポットのことなど知らないといふ……-_-;)。
 というわけで、40年間の変化の激しさを改めて痛感しますが、時代の流れに柔軟に対応して生き延びてきたこともまた本牧線の興味深さでしょうか。



 そんな本牧線は現在のところDD5514・DD601によって担われ(2~3年本牧でのお勤めをすると、塩浜機関区の別のDLと差し替えられます)、どちらかが1日の仕業を担当していますが、先月下旬からこの2台に40周年記念HMが取り付けられた!ということで、かなりんファンの血は自ずと熱くたぎらずにはいられません(笑)。個人的な本牧線とのお付き合いは、国際埠頭線の休止以来めっきり頻度が落ちてしまい冷め気味だったのですが (^^;)、久々に「ヒマを見つけ次第何度でも足繁く通いたいぜベイベー!」という気分になったのでした(^^;)。
 そこでまずは古株のDD5514から。思い出してもみれば、最近たまに本牧を訪問するとことごとくDD5514に当たり続けましたので、いささか撮り飽きたかの感が内心ありますが (爆)、同じ世代&同じ側面デザインの僚機であった12・13・15号機は既になく(12号機はインドネシアへ→そのうち要探訪。15号機は撮りにくさ地獄の東急車輌 -_-;)、かもめをイメージした旧塗装も今や少数派。というわけで、今回のHM姿は、そう遠くない将来に消える (?) 14号機と旧塗装の最後の晴れ姿なのだろう……と思いまして、気合いを入れて撮影した次第です(^O^)。
 ただ問題は、前後で異なるデザインのHMが装着されており、撮影しやすい横浜本牧駅以北の区間では「黄色地+コキ」デザインのHMを撮ろうとすると必然的に逆光になるということ……。というわけで、薄曇りの日と怪社の休みがうまく重なるのを狙って激写成功!! 1枚目の画像と同じ大踏切で撮っているのですが、立ち位置によって荷役クレーン林立シーンと港湾関係者向けマンションシーンの両方を楽しめるのがミソ(*^^*)。これだから濃い貨物線はやめられません(笑)。