08.1.15 トウチャウカリー駅にて。両端のと+現地軽量客車2両。
09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。出庫編成2本連結の堂々7連!!
09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。コンピュータ大学支線の三陸+軽量客車。
09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。キハ52先頭の強力 (これでも一応) 編成!
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この3月に敢行したヤンゴン訪問の際に撮影した日本中古DCはせいぜい2両編成で、いささか拍子抜けしつつアップを続けていたところ、現代ミャンマー国鉄研究の第一人者でおられる、RP誌でおなじみ斎藤幹雄様から、こ~んな感じで超!垂涎モノな4連運行時代の画像をご提供頂きました! 以下、ご本人の解説です~。
ヤンゴンの日本型DC最盛期は、JR東キハ52・58系20両が大挙して竣工した2008-2009年頃で、とにかくあとからあとから竣工していたのと、取扱いの簡便さが受けて、ヤンゴン運用において瞬く間に広がりました。支線区運用はもとより、一部の環状線運用まで賄っていたほどですが、これ以降地方への転属が相次ぎ、また保守用パーツの急速な払底で増備どころか通常の運用ですら保守できなくなり、凋落の一途をたどったことは周知のとおりです。
いずれも軍事政権下、撮影したもので、それぞれの解説です。
【1枚目】前年9月に発生した「ヤンゴン騒乱」のとばっちりを受けて、この年だけはどうしても撮影許可が下りず、やむなく軍や警察官がいない郊外の駅(トウチャウカリー)で”無許可”で撮影したものです。のと車(NT100形)を両端に配し、中間に現地製客車を2両挟んだ当時の標準的な4連で輸送力列車に使われていました。
【2枚目】大量の日本型DCを送り込み回送するため、運用編成を2本つなげた7連で、インセイン→ヤンゴンの朝間上り1本のみ設定されていました。手前より松浦+甘木+現地製客車+JR東+現地製客車+天竜浜名湖+のと、という卒倒しそうな編成です。
【3枚目】コンピュータ大学支線用に同年竣工した三陸レトロ車で、当初は2529と2530、2531と2532の間に現地製客車を2両づつ挟み、4連で使われていました。エンジンは先頭車1両のみ点火で、これで後ろ3両を引っ張るのですから、エンジンがオーバーヒートするのは時間の問題だったかもしれません。
【4枚目】JR東キハ52改め5011が現地製客車2両、それに天竜浜名湖車を挟んだ4連で、これもキハ52だけのエンジン稼働。但し3セクDCと違い、流石に2エンジンとあってグイグイ引っ張っていく感じでした。すでに天浜車はトレーラー扱いで、特にエンジン保守もしていないようでした。
また、先日の記事についてもいろいろ御感想・御教示を頂きました!
【イセ4 (RBE2524)について】これは貴重なカットですね。イセ4は2007年のMR導入後、それまでの自国製レールバスに代わってヤンゴンエリア所属車では唯一のVIP車(MR幹部の管内巡回用)扱いとして現在に至っているもので、富士重工製レールバスでは唯一、冷房も存置されたまま、車内も座席に白いカバーをかけ、車内というより応接室として徹底的に整備されています。
もちろん特別仕様車ですから定期運用はもたず、通常はインセイン車両基地内に留置されており、時折、基地内の入換やヤンゴン車両工場で整備された車両回送でヤンゴン-インセイン間を走行する程度。幹部巡回といってもそうそうあるわけでもなく、せいぜい月1-2回程度ですから、おっとっとさんが撮影したトウチャウカリー駅での撮影は極めて珍しいシーンといえましょう。おそらく、トウチャウカリーから先のティラワ支線(ティラワ港は同国最大の港湾施設がある)関連で、MR幹部を送り届けた帰路の回送か、松浦車とともに要検・全検直後に実施した試運転のどちらかでしょう。車内に人影がないことからも、まず間違いありません。(冷房付きのVIP車に一般旅客なんて乗せませんから)
【ランローイン支線】次に平成筑豊車ですが、このランローイン支線運用もよくぞ捕えたと思います。同支線運用ですが、最近では平成筑豊か松浦車のどちらかで運用され、基本的に単行です。早朝4時台にインセインから出発し、ランローインで折り返してヤンゴンへ戻りますので、おっとっとさんがネピドー急行車内から見たのはこの上り始発かと思われます。ただ毎日運転ではないようで、PC列車の場合もあるうえ、沿線にミャンマー陸軍の軍施設がある関係からか、ミャンマー人のみ乗車できる支線(同国内に数ある外国人乗車拒否路線/いまはどうか分かりません)扱いで、軍事政権時代はランローイン行きというだけで、かなり手前のトウチャウカリー駅でさえ、撮影しようとすると周囲に私服の軍人のような目つきの鋭い複数の男によって周囲をそれとなく囲まれていたのを覚えています。それが今では許可証なしで駅撮影でも咎められないような事態に驚きを隠せません。むしろ、インドネシアの方が相対的に厳しくなっていますから。とにかくどちらも希少価値のあるカットかと思われます。
……ををを、何とも懇切なご解説どうもありがとうございました! m(_ _)m いずれにしましても現状は、編成こそ短くなってしまい青息吐息の運用が続くものの、撮影については夢のようにラクになっているということなのかも知れません。撮影が厳しかった時代の貴重なカットに想いを馳せつつ、またいずれヤンゴンで撮り鉄しまくる日を楽しみにしたいものです……(^^)。