地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

鉄コレ琴電1080形をN化する

2013-06-25 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 鉄コレによる地方私鉄シーンの再現可能性は、富山地鉄のみならず琴電でも実に目覚ましいものがあり、とりわけ第17弾における琴電旧型車のリアルさは驚異的レベルに達しているように思われ、未だに興奮が冷めやらないものですが、さらなる燃料補給として先月末に1080形新旧塗装が発売されたのは周知の通りです。個人的には台湾出張をはじめとしていろいろゴタゴタしていたため、N化作業及びその記念画像アップが後手に回っていたのですが、このたび富山地鉄と同様に突貫工事でN化を実施! 既に、年末の京急百貨店の陣において京急1000形分散冷房車が発売された時点において、琴電1080形も確実に発売されるであろうことは目に見えていましたが、今やこうして琴電用ジャンパ栓モールドまで整えて堂々と発売され、何とも美しい仕上がりとなっていることに、心の底からの喜悦を感じます (*^^*)。



 というわけで、1300形以外の全ての琴電車両はHLマスコンゆえ混結可能!という特性を活かしまして、現在日常に的に見られる1080+1100形の4連に加えて、1080+1000形の3連なんぞを並べてみました。もちろん日常的な営業運転では、長尾線用の1000形と琴平線用の1080形が組むことはほとんどなかったかと存じます。しかし、琴電が経営危機に陥り、新生琴電へと脱皮しようと必死の努力の日々が続いていた頃、とりわけ経営改善の一環として京急から700形改め1200形ならびに1250形が大量に導入され、そのあおりで廃車になって行く旧型車を動員してヲタホイホイな特別運転が結構頻繁に開催されていたものでした。とりわけ、個人的には参加が叶わなかったのですが、琴平線で1080形と長尾線用旧型車が組んで走ったことも確かあったはず……(1070形・1200形だったかも知れませんが ^^;)。そこで、そんなナマでの目撃が叶わなかった光景を、こうして机上で再現することこそいとをかし、といったところでしょうか (^O^)。
 ともあれ、こうして1080形が鉄コレ化された以上、今後は1200・1250・1300形の発売を熱望したいものですし、京急600形 (旧) とからめて1070形が発売されるならば、京急・琴電ヲタは鼻血大噴出間違いなしでしょう……!


雨の奈良線103まつり (上) みやこ路快速!

2013-06-24 00:00:00 | 国鉄型車両


 先日開催されたJRWの社長定例記者会見では、奈良線が有力な成長株の一つとして取り上げられ、平成に入ってから約2.5倍、国鉄からJRへの移行以来約3倍の利用客を数えるに至っている旨が紹介されましたが、そもそも人口密度が高い地域で気動車のチンタラ・間隔バラバラ運転を止めて (電化自体は国鉄末期の1984年に実施)、キビキビと走る電車によるフリークエントサービスに移行すれば必ず利用客が増えるというのは、東海道線を挟んで向かい側にある山陰線京都口も然り、ある意味で当然の成り行きというものでしょう。そこで奈良線ではこれまで周知の通り、一部区間の複線化・新駅設置・快速→みやこ路快速新設などの輸送力アップが進められてきましたが、最近は単線運転ではもうそろそろ限界では……と思うほど列車密度も上がり、ダイヤ乱れが発生する都度大幅な遅延が発生しやすいという弊害も頻繁に生じているようです。そこでこの記者会見の席上では、何と!京都~城陽間の完全複線化が発表されたではありませんか! まぁある意味当然でしょうか。



 そんな奈良線、基本的に快速は221、普通は103という役割分担が続いておりますが、昨年あたりはたまに訪れると103で来るはずの普通列車にも結構221が入っており、やはり103系もそろそろ引退か……と思わされたものです。しかし去る3月のダイヤ改正以後、基本的に普通は103系で来るようになった (交通新聞社刊『普通列車編成両数表 Vol.32』による) とは嬉しいことです……♪
 そして、たまに大規模なダイヤ乱れが生じると……ただでさえ単線中心の過密運転のためダイヤ回復が難しいうえに、221系の手配がつかないためでしょうか、103系が「みやこ路快速」を代走することもあるようです☆ 日常的に221系の快適さに期待して「みやこ路快速」を利用しようとする人々にとっては御愁傷様としか言い様がなく、ダイヤ乱れによる運用変更を喜ぶというのも些か後ろめたいものがあるのも否めませんが (爆)、とにかく遠来の103系ファンにとっては「当たりたい……しかし関西に住んでいるわけでもあるまいに、そんなチャンスに巡り会える可能性は低い」という、ココロ千々に乱れる恋しい存在であるのは確かです。
 しかし先日、ついに当たってしまいました……103系の「みやこ路快速」に♪♪ 先日、京都で夕方から開かれる会議に出席するために、午後3時過ぎに「のぞみ」で京都に到着し、約2時間の鉄活動フリータイムを確保してはいたものの、折悪しく台風に刺激された梅雨前線の活動が活発化して関西は土砂降り……。そこで、京都駅前で京都市バスを撮りバスして時間をつぶそうという気も失せつつ、新幹線のホームからコンコースへ下りていったところ……在来線乗換改札の奥に見えたのは何と!103系の「みやこ路快速」ではありませんか!! というわけで、城陽あたりまで乗り、ついでに写真も何本か撮って戻って来ればちょうど用務の時間となるだろうと計算し、いざ電動車の客となったのでした! しかも最高に素晴らしいことに……この日の「みやこ路快速」は計3運用が103系の担当となっており、往路の京都→城陽、復路の宇治→京都間乗車のみならず、1枚目のように土砂降りの中を激走するシーンまでも撮影出来てしまったという……(*^O^*)。とにかく露出を稼げず、滝のような雨で足下がビシャビシャになるなど大変な撮影ではありましたが、関東人にとっては当たりにくい103系「みやこ路快速」をこうして激写した喜びのみならず、とくに複線区間での激走ぶりを堪能するなど (さすがに常磐快速や武蔵野・京葉線ほどの壮絶な走りというわけではありませんが……^^;)、約2時間の103系三昧に浸ったのでした v(^O^)v

駿遠私鉄周遊2013春 (1) 静岡鉄道1000系

2013-06-23 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 富士山の世界文化遺産登録をめぐって、当初除外が勧告されていた三保の松原が大ドンデン返しで登録決定と相成り、今頃清水の街はお祭り騒ぎ気分といったところでしょうか。個人的な事前予想としましては「まぁ、海越しに富士山を望む海岸の風景というのは確かに絶妙なのだけれど、それだけでは文化遺産というのはムリ目だよなぁ……。とはいえその結果、三保の松原を擁する清水港界隈の魅力が減じるわけではないだろう。美味い魚然り、ち○○る子ちゃん然り……そして鉄ヲタ的にはギンギラギンにさりげない静鉄1000系然り!!」と思っていたのですが、とにかくまぁビックリです (笑)。
 というわけで、そんな決定が今週末の鉄コレ静鉄1000系の発売とタイミング的に重なったというのは、何かの偶然というには余りにも偶然過ぎます。とりあえず個人的にはこれまで「鉄コレで119系するがシャトルと静鉄1000系との清水~草薙間デッドヒート (?!) を再現出来るようになるとは……鉄コレ実に恐るべし (笑)」と思うにとどまっていたのですが、もうこれからは発売のタイミング自体が「三保の松原・一発大逆転」と連動した神がかり的なものとして語り継がれることになるでしょう (んなわけない ^^;)。
 いやしかしまぁ、三保の松原と鉄コレ云々も良いですが、乗りたかったなぁ……清水港線 (爆)。これを機に復活したりしないのでしょうか? 大井川鉄道に譲ったスハフ42・オハ47を取り戻して、DE10に牽かせて観光客殺到……(妄想が止まらないので閑話休題)。



 というわけで、そんな鉄コレ静鉄1000系の発売を記念して静岡を訪問……ではなく、去る4月の初旬、早いもので小学校高学年になってしまった甥っ子が「コンデジを親に買ってもらったので春休みに電車が撮りたい。新幹線に乗りたい……」などという贅沢なリクエストをしたものですから、ついつい叔父バカ丸出しで甥っ子を静鉄以西の駿遠地区私鉄漫遊に連れて行った際に撮影したカットを、世界遺産&鉄コレ発売記念ついでにアップして行きたく存じます。まぁ個人的にも静岡県の私鉄のうち、天険・由比の西側にある各路線を訪問したのは本当に久しぶりですので、叔父バカとは言っても結構楽しめた一日ではありました♪ (とゆーか、久しぶりに駿遠地区の現況を確認してみたくなったため、どこか連れて行けとせがむ小学生の甥っ子を丸一日ハードな撮影行に付き合わせたということでもあります。「こんな撮影&乗車プランを自分で考えて実践出来なければ、一人前の鉄ヲタにはなれないんだぞ?」と脅しながら。笑)
 早朝ゆえに空いているE231に揺られた後は、熱海にて313に乗り換えて「ロングシートだけど破格にデラックスな車両を入れるJRCは偉大だ」などと言いつつも、既に18きっぱーをここ数年来実践していないという点で自堕落なヲッサンと化した私は、これから中坊になったのち18きっぱーの苦痛を味わわなければならない甥っ子に対し「いいか?中学生になってから自分で、または鉄友人と一緒に鉄道旅行をするということはだなぁ~、《MLながら》を除けばロングシートの普通列車しか走っていない暗黒の静岡大陸をじっとこらえて横断しなければならないということだ」と強調しつつ、まずは草薙までじっとロングシートに座り続ける鉄スパルタ教育を実践したのでした (爆)。そんなこんなで草薙に着き、静鉄1000系がまったりと住宅街を行き交っている姿を目の当たりにしますと、大荷物軍団の混雑やら乗換の阿鼻叫喚ゆえに「女子供はすっ込んでろ」という言葉すら思い浮かぶ「東海道18きっぱー地獄」からしばし解放されたことと相俟って、東急ステンレスカー趣味の悦楽が心の底から湧き上がって来るようです♪ そんな静鉄のラッシュアワーに大はしゃぎしている私を尻目に、甥っ子もロングシートの長旅で疲れて弱音を吐くどころか早速手当たり次第にコンデジを1000系に向けまくっており、「末恐ろしや……」という言葉が頭の中を駆けめぐったのでした (つづく)。

富士急淡雪2013 (2) フジサン特急展望顔

2013-06-22 00:00:00 | 地方民鉄 (甲信)


 諸々の報道によりますと、現在カンボジアにて開催されているユネスコの会議において、本日午後にも富士山の世界文化遺産登録が決まるとか。あの膨大な数の登山者から垂れ流される物体の処理の問題が到底不徹底であるがゆえに、当初の狙いである自然遺産としての登録がフイになり、戦略を変えて山岳信仰や文化的インスピレーションといった側面をくっつけることによってはじめて世界文化遺産としての面目が立ったというオチではあります。
 何はともあれ、本朝最高峰が世界遺産に登録されたのは、日本国民のはしくれとして誠に目出度いと思う反面、「やれやれ、これでさらに登山客や観光客殺到かよ……@_@;;」と思うのも確かです。個人的には、リアル中坊のときに登頂を果たして以来しばらく富士登山とは御無沙汰ですので、丹沢塔ノ岳の頂上、あるいは三島~富士界隈を走る新幹線の車内から、富士山がドッカーンと聳え立っているのを眺める度に「登りてぇ……」と思ってはいるものの、結局毎年7・8月はあっという間に過ぎて行くという始末。しかしそうこうしているうちに、近年は所謂山ガール (最近山屋に復帰して以来、これは都市伝説ではないことを目の当たりにしてオドロキ……) の大量参入もあって富士登山は凄まじい人出となっているようで、これに加えて世界遺産登録記念登山殺到間違いなしでしょう。「これでもう吉田口と富士宮口からは登る気がしねぇぜ……須走口すら混み合いそうだ。イヤ待て。そういやぁ須走口は途中で吉田口と合流するんだった! つーわけで、ヲトコは黙って地獄の御殿場口から登るしかねぇべ」と思っているのは私だけでしょうか? 



 そんな中、最も鼻息が荒いのは、地元の公共交通網を一手に担っている富士急であることは論を俟たないでしょう。とりわけ、マイカー規制期間中の富士登山の足はかねてから富士急バスのドル箱であり、今後は山麓一帯でも渋滞を避け公共交通を利用するよう呼びかけが強まるごとに富士急の存在感も増すことは間違いなし。そこで、世界文化遺産登録が内定した云々というニュースが流れた直後、富士急の株が大幅にアップしたそうですが、さらに報道で伝え聞くところによると、かねてから話が出ては消えていた五合目までの登山鉄道建設にも富士急が改めて乗り気になっているとかいないとか……。しかも何と、決してラックレールや箱根登山並みの特殊装備を必要とするものではなく、あくまでも現在の富士急鉄道線の延長として (40~50‰程度の勾配で?) 建設可能であり、都心から五合目まで直通可能とか何とか……(@o@)。建設の過程では一時的に山腹の一部の環境をいじることにはなるものの、完成後は現在の道路を廃止することにすれば、確かに排ガスはゼロになって環境負荷が減るのも確か……。
 というわけで、そんな野心的な計画やら観光やらをめぐるカネが凄まじくうなり始める予感がする中 (爆)、去る2月に撮影した富士急雪見画像の続きとしまして (大幅に時間が開きすぎ……^^;)、165系パノラマエクスプレスアルプス改めフジサン特急2000系のうち展望顔の画像をアップしてみましょう。
 もともと165系がパノラマエクスプレスアルプスとして改造された80年代半ばの時点で、既に新造からはそれなりの年数が経っており、さらに約15年を経た2001年に富士急入線、それからさらに今日まで既に約12年が過ぎている……ということで、いつの間にかこの (どう考えても小田急7000を意識しているとしか思えない) 顔も約27歳の年増 (爆) となり、車齢全体でみれば40数年となってしまったわけですが、それでもフジサン特急を見かけると「ををっ」という気になるのは、ちょいとアレな塗装にもかかわらず堂々とデラックスな内装、そして何と言っても「165系であること」の重みの成せる技であると言えましょう。そして今回の世界遺産登録を機に、この夏はますます多くの観光客を乗せて急勾配を登り下りすることになりそうですが、しな鉄169系や日光線107系がついに引退した現在、果たして最後の現役165系たるフジサン特急2000系が何時まで持ちこたえるのか……とりわけ世界遺産商戦に伴う新型車両投入も今後は大いに視野に入りうるだけに要注目なのかも知れません。

ヤンゴンのDCが長大だった頃 (斎藤様画像)

2013-06-21 00:00:00 | 頂き物画像


 08.1.15 トウチャウカリー駅にて。両端のと+現地軽量客車2両。



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。出庫編成2本連結の堂々7連!!



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。コンピュータ大学支線の三陸+軽量客車。



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。キハ52先頭の強力 (これでも一応) 編成!

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 この3月に敢行したヤンゴン訪問の際に撮影した日本中古DCはせいぜい2両編成で、いささか拍子抜けしつつアップを続けていたところ、現代ミャンマー国鉄研究の第一人者でおられる、RP誌でおなじみ斎藤幹雄様から、こ~んな感じで超!垂涎モノな4連運行時代の画像をご提供頂きました! 以下、ご本人の解説です~。

 ヤンゴンの日本型DC最盛期は、JR東キハ52・58系20両が大挙して竣工した2008-2009年頃で、とにかくあとからあとから竣工していたのと、取扱いの簡便さが受けて、ヤンゴン運用において瞬く間に広がりました。支線区運用はもとより、一部の環状線運用まで賄っていたほどですが、これ以降地方への転属が相次ぎ、また保守用パーツの急速な払底で増備どころか通常の運用ですら保守できなくなり、凋落の一途をたどったことは周知のとおりです。
いずれも軍事政権下、撮影したもので、それぞれの解説です。

 【1枚目】前年9月に発生した「ヤンゴン騒乱」のとばっちりを受けて、この年だけはどうしても撮影許可が下りず、やむなく軍や警察官がいない郊外の駅(トウチャウカリー)で”無許可”で撮影したものです。のと車(NT100形)を両端に配し、中間に現地製客車を2両挟んだ当時の標準的な4連で輸送力列車に使われていました。

 【2枚目】大量の日本型DCを送り込み回送するため、運用編成を2本つなげた7連で、インセイン→ヤンゴンの朝間上り1本のみ設定されていました。手前より松浦+甘木+現地製客車+JR東+現地製客車+天竜浜名湖+のと、という卒倒しそうな編成です。

 【3枚目】コンピュータ大学支線用に同年竣工した三陸レトロ車で、当初は2529と2530、2531と2532の間に現地製客車を2両づつ挟み、4連で使われていました。エンジンは先頭車1両のみ点火で、これで後ろ3両を引っ張るのですから、エンジンがオーバーヒートするのは時間の問題だったかもしれません。

 【4枚目】JR東キハ52改め5011が現地製客車2両、それに天竜浜名湖車を挟んだ4連で、これもキハ52だけのエンジン稼働。但し3セクDCと違い、流石に2エンジンとあってグイグイ引っ張っていく感じでした。すでに天浜車はトレーラー扱いで、特にエンジン保守もしていないようでした。

 また、先日の記事についてもいろいろ御感想・御教示を頂きました!

 【イセ4 (RBE2524)について】これは貴重なカットですね。イセ4は2007年のMR導入後、それまでの自国製レールバスに代わってヤンゴンエリア所属車では唯一のVIP車(MR幹部の管内巡回用)扱いとして現在に至っているもので、富士重工製レールバスでは唯一、冷房も存置されたまま、車内も座席に白いカバーをかけ、車内というより応接室として徹底的に整備されています。
もちろん特別仕様車ですから定期運用はもたず、通常はインセイン車両基地内に留置されており、時折、基地内の入換やヤンゴン車両工場で整備された車両回送でヤンゴン-インセイン間を走行する程度。幹部巡回といってもそうそうあるわけでもなく、せいぜい月1-2回程度ですから、おっとっとさんが撮影したトウチャウカリー駅での撮影は極めて珍しいシーンといえましょう。おそらく、トウチャウカリーから先のティラワ支線(ティラワ港は同国最大の港湾施設がある)関連で、MR幹部を送り届けた帰路の回送か、松浦車とともに要検・全検直後に実施した試運転のどちらかでしょう。車内に人影がないことからも、まず間違いありません。(冷房付きのVIP車に一般旅客なんて乗せませんから)

 【ランローイン支線】次に平成筑豊車ですが、このランローイン支線運用もよくぞ捕えたと思います。同支線運用ですが、最近では平成筑豊か松浦車のどちらかで運用され、基本的に単行です。早朝4時台にインセインから出発し、ランローインで折り返してヤンゴンへ戻りますので、おっとっとさんがネピドー急行車内から見たのはこの上り始発かと思われます。ただ毎日運転ではないようで、PC列車の場合もあるうえ、沿線にミャンマー陸軍の軍施設がある関係からか、ミャンマー人のみ乗車できる支線(同国内に数ある外国人乗車拒否路線/いまはどうか分かりません)扱いで、軍事政権時代はランローイン行きというだけで、かなり手前のトウチャウカリー駅でさえ、撮影しようとすると周囲に私服の軍人のような目つきの鋭い複数の男によって周囲をそれとなく囲まれていたのを覚えています。それが今では許可証なしで駅撮影でも咎められないような事態に驚きを隠せません。むしろ、インドネシアの方が相対的に厳しくなっていますから。とにかくどちらも希少価値のあるカットかと思われます。

……ををを、何とも懇切なご解説どうもありがとうございました! m(_ _)m いずれにしましても現状は、編成こそ短くなってしまい青息吐息の運用が続くものの、撮影については夢のようにラクになっているということなのかも知れません。撮影が厳しかった時代の貴重なカットに想いを馳せつつ、またいずれヤンゴンで撮り鉄しまくる日を楽しみにしたいものです……(^^)。