地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

DL Yogisha 碓氷号を偶然撮る@高崎

2015-09-14 00:00:00 | 国鉄型車両


 上信ビール電車に乗った前日、「東武ん」補給と伊勢崎線完乗を兼ねて、敢えて伊勢崎~両毛線経由で高崎入りするという愚挙に打って出た私。伊勢崎からは115系1000番台に久々に乗り、「う~ん♪中央東線からもほぼ消えてしまった115系……やっぱMT54とボックスシートの組み合わせはたまらんのぅ~♪」と思いつつ高崎に到着し、ひとしきり115系で賑わう夜の高崎駅をスマフォでパチパチ撮っていたのですが (伊勢崎で115系に乗った時点で「一仕事終わった」という感じのヤル気無しモード ^^;)、何やら急激に周囲の鉄ヲタ濃度が上がってきたことに、異様な雰囲気を感じました。
 まさか……高崎支社から正式発表があったわけでもないのに、既に115系一斉離脱が焦眉の急に迫っており、内情を知っているJR系ヲタの皆様が雲集しているのだろうか……。それとも、上越国境越え列車と連絡した水上からの列車が到着し、18きっぱーヲタな方々が今のうちにと115系を撮りまくっているのだろうか……。それにしては、ホームにいるヲタな皆様の増加ペースがあり得ないくらい速い……。



 というわけで、何が何やらさっぱり分からないまま、取り敢えず腹も減ったので改札を出て、宿に入る前に晩飯にしようと思いまして、そのまえに用を足して出てきたところ……まさに増える一方のヲタな方々が、改札内コンコースに掲げられた電光掲示板を必死に撮影していました。「ん?……上野新宿ラインの表示とか撮ってもそんなに面白いかなぁ……」と思いつつも、まぁ一応、何を撮っているのだろうかと思い、私も目を向けたところ……何じゃこりゃぁっ! DL Yogisha 碓氷とは!! 要するに、こういう滅多に走らない列車を撮るために、入線時刻を狙ってヲタ急増中となっているのか……。
 そんな場面に居合わせたとなれば、JRネタ列車系ヲタではない私も、ヲタ精神を発揮して参戦しないわけには行きません。既に仕舞っていたEOS 5D MⅡとレンズを取り出し、高感度性能を活かして手持ち激写! ヲタ多数と言っても、さすがに高崎まで来ればパニックというほどではなく、そこそこまったりした雰囲気の中、久しぶりに罐+旧客という組み合わせを眺め、旧客消滅間際の東北線に乗りに行った中坊の頃を思い出したのでした……。嗚呼、スハフ32やオハニ36のニス塗りの車内からこぼれる夜光って、やっぱり良いものですね……。
 こんな感じで、激写闘争勝利!という気分と、旧客を眺めてほっこりした気分でシアワセいっぱいな中、ラーメンを食べて宿に入り、テレビをつけたところ……北斗星最終列車が上野駅を発車したというニュースが流れていました。「なるほどJREは、上野駅に雲集したものの北斗星の切符にはあぶれた人々をそのまま高崎に誘導して、別の夜汽車気分を提供したのか……。道理で、北斗星の上野発車からしばらく経った6時以後、急激に高崎駅のヲタ濃度が上がったわけだ」と納得したのでした。
 それはさておき、JRWは先般、SLやまぐち号用として「なんちゃって旧客」を最新スペックで新造する旨を発表したわけですが、新幹線や超豪華列車ではなく、こういう如何にも昭和な列車で旅をしたいというニーズは確実にあるはず。そこで、JRW新車の出来映えに期待するとともに、JREも12系が何時までも良好なコンディションであるわけでもなく、こういう客車(さらにはなんちゃって旧型国電希望!)を新造して頂けないかと思うものです。

第三ヤンゴン熱鉄記 (27) 貨車由来な簡易客車

2015-09-13 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 ミャンマーの客車形式写真のうち、先日は有蓋貨車に簡素なベンチを設置しただけの余りにもムリヤリな代用客車をご紹介しましたが、さすがにミャンマー国鉄も「客車が足りない中、こればっかりではマズいな」と考えているためでしょうか、やや「デラックス」な車両としてSMBDT 45000形もあります。その具体的な有様はご覧の通り、無蓋貨車の鋼体はそのままに (?)、窓つきのやっつけな側面と屋根を乗っけたようなシロモノです。あるいは、無蓋貨車改造ではなく、最初から貨車レベルのショボさの簡素な客車として製造されたのかも知れません。まぁ要は、嵯峨野トロッコや井川線を激しく簡素にしたような発想と言えましょう。



 基本的なスペックとしては、車内の中央に横長・背中合わせのベンチが設置されており、この点は先日ご紹介した有蓋貨車を用いた代用客車と同じですが、中にはボックスシートに改造された車両もあります (2枚目の45081)。トイレが車端部に設置されているのは、代用客車ではなく正式な客車であるという意思表示かと思われ、ドアの脇に「Ordinary Class」と記されているのがどことなく輝いて見えます (笑→ちなみに1990年代の中国に出現した代用客車列車=『臨棚』の場合、私は乗ったことがないので正確なことは分かりませんが、トイレの代わりにバケツ=「馬桶」が置かれていたとか。こんな列車も終点の大都会に近づくにつれて出稼ぎ農民で超満員になり、発狂者続出であったと側聞しますので、あ~、怖いもの見たさで乗らなくて良かった!)。
 それはさておき、ヤンゴン界隈でこの手の代用客車が用いられているのはバゴー鈍行(及びタラウォー鈍行?)であるわけですが、一番お手軽にまったりと、沿線の雰囲気も含めて楽しむことが出来るのは、マンダレー近郊のマダヤ線であると言われます。嗚呼……そのうち乗ってみたい。また、地方の鈍行でもこの客車が使われているのを目にしますが、さすがに日本からの短期間鉄ヲタ訪問でこの客車を求めてド田舎まで行く奇特な方はいらっしゃらないでしょう。

関鉄常総線の再起を祈る・2200/2300形

2015-09-12 00:00:00 | 地方民鉄 (関鉄系)


 かねてから予告されていた鉄コレ関鉄2100形新旧塗装の発売が、いよいよ来週か再来週に迫ってきました。個人的に、関鉄の2000系列・新型気動車シリーズは、キハ30・35と比べれば面白みがないため、撮影時にやって来ればハズレ扱いでしたが (^^;)、通勤用DCとしては非常に完成度が高く快適だと思いますし、基本的には1980~90年代的なノリのデザインで製造された車両ですので、決してキライではありません。というわけで、鉄コレの発売を今か今か……と待ち構えていたところ、当ブログでは2000系列をアップしたのは竜ヶ崎線のキハ2000のみだったということ、そしてあろうことか、関鉄自体が2008年に訪れたのを最後に全くご無沙汰になってしまっていることを思い出しました……(滝汗)。小まめに通っていた頃は圧倒的にキハ30・35やキハ0・300目当てでしたし、キハ30・35の運用がキハ2300・2400の増備によって急激に減ってからは、仕事の多忙や海外遠征などもあって、「関鉄は個人的に当面お腹いっぱいかな?」と思い、足が遠のいてしまったという……。



 というわけで、最新鋭のキハ5000も、そしてKanac塗装から脱した純粋ストライプの新塗装も未だに撮っておらず……(爆汗)。そこで、近日の鉄コレ正式販売を祝うべく、00年代に撮影した2000系列の画像をHDの中からゴソゴソと漁り、「そろそろ涼しくなることもあるし、久しぶりに常総線をフラッと訪れようかなぁ……。そもそも秋葉原から守谷までたったの30分で着くじゃねーか……」などと思っておりました。
 ところが何と……その矢先に鬼怒川の大洪水で常総線が壊滅的な打撃を受けてしまったとは……。殆どの現役車両は幸いにして新守谷以南に避難し、どうやら無事なようですが、水海道車両基地に取り残されたキハ101・102や (最近は営業運転したという話は全く聞かず、体験運転用に動員されたのかどうかも知らず、ほとんど車庫公開時の展示用オブジェとなっていたのではないかと想像……)、恐らく検査中と思われる何両かの車両は再起できないでしょう。そして何と言っても、水海道~下妻間の被害の程度が案じられます……。広闊な平原の中を、筑波山を望みつつ豪快にブッ飛ばす快速は、最高に魅力的な存在だと思うのですが……。
 何はともあれ、一介の鉄ヲタとして心よりお見舞い申し上げます。そして、鉄コレの売り上げにはささやかながら貢献させて頂きつつ、なるべく早期の全線再開を心から祈念するものです。

東武伊勢崎線末端800系を撮る@太田

2015-09-11 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 (※数日前、東武ネタを予約投稿でアップするよう仕込んでおいたら、何と日光線系統が大変なことに……。しかし、敢えて「東武頑張れ」という思いで、そのまま予定通りアップさせて頂きます)

 スカイツリー開業前後から何かとイケイケな東武は、伊勢崎線といい野田線といい、伝統ある路線名を敢えて使わず、飽きの来やすいキラキラ路線名を強調しているわけですが、伊勢崎線の場合は末端部における輸送量の低さゆえ、基本的に太田or館林~伊勢崎間の区間運転になってから早いもので数年を経ているわけで、浅草・北千住から終点伊勢崎まで達する列車は夜の「りょうもう」一本のみ……。これでは確かに、浅草口では一般的に「伊勢崎線?どこまで行くのそれ?」という齟齬を来してしまうのもやむを得ないことで、よりキャッチーな名称に使用という経営上の誘惑に駆られるのも無理からぬところでしょう。
 かく言う私も、○ソガキだった頃はDRCの圧倒的なイメージにつられて、浅草~日光こそが本線であると思っており、中坊になった頃に73・78系に興味を抱いて実際に東武初乗車を果たすようになって初めて、東武における本線格は伊勢崎線だったのだと気づいたほどです (時刻表のドコ見てんだよ……笑)。そんな伊勢崎線、乗りつぶし派でなければ確かに全線完乗の機会はなかなかなく、2000年代に入って撮り鉄の道に戻り、東武5050系を館林地区に訪ねたり、上毛やわたらせ渓谷鉄道を訪れるようになっても、太田~伊勢崎間だけは今ひとつピンと来ず、未乗のままとなっていました。しかし、四十路も半ばにして、東武ヲタのはしくれ中のはしくれと名乗るにも、これでは余りにも恥ずかしすぎるのではないか……と (当ブログは自虐と自嘲の備忘録です。笑)。



 そこで、上信ビール電車乗車というまたとない機会を活かして、ついでに伊勢崎線完乗を目指し、太田駅の広大なる高架ホームに降り立った私。お目当ては勿論、伊勢崎線末端部のヌシとなった800・850系であり、とりわけ前パン&幌が最高にシビれる850系を久しぶりに撮りたいなぁ~と思っていたのですが……850系は上手いことタイミングが合わず一枚も撮れず (苦笑)。また、太田駅の複雑な使われ方にも翻弄されました……。太田で乗り換えを強いられた客が、なるべく階段を使わずに乗り換え出来るようにするべく、長大な1~4番ホームのそれぞれ伊勢崎方が7~10番ホームと命名され、伊勢崎から到着する列車はそのいずれにも入る可能性があるほか、そのまま伊勢崎へ折り返すのではなく一旦館林方に引き上げて別のホームに入るという可能性もあり、常にアナウンスや駅掲示の時刻表に注目していないと全然撮れません……。太田駅は、上手くやればなかなか良い感じで、デラックスな高架駅と3連のアンバランスな組み合わせを激写出来るものの、いやはや、本当に疲れる駅で、撮り鉄には余り向いているとは思えません……。
 ともあれ、後追いも含めて800系を数カット撮って「まぁこんなもんかな」と思いつつ、いよいよ伊勢崎線完乗へ! 館林・太田地区のローカル線とは異なり、さすがこの区間は腐っても (失礼 ^^;) 伊勢崎線! 非常に線形が良く、線路も整備された中を、2M1Tの強力編成が沿線の緑を一瞬引き裂くようにブッ飛ばして行くのは、いや~なんとも言えない快感ですね! 途中何カ所か、撮り鉄向きな駅もあり、今後明るい曇りや雪の日を狙って撮りに来たいなぁ……と思ったのでした。朝や夕方であれば、佐野線よりも全然本数が多いですし♪ とまぁこんな感じで、最後は新伊勢崎~伊勢崎の余りにも豪華な高架線(しかも駅は6連対応)と地方都市の街並みの組み合わせに「遠州鉄道みたいだ……」と思いつつ、目出度く東武完乗を果たしたのでした♪

第七ジャカルタ炎鉄録 (5) ランカス鈍行車両変化

2015-09-10 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 インドネシアの鉄道をめぐっては最近、ジャワ高速鉄道の日中両案をキャンセルしたという話題が駆け巡ったばかりですが、もちろんジャワ島の重要インフラ一般が全てキャンセルされたわけではなく、民間企業主導で採算がとれそうな案件についてはジョコウィ政権も積極的にゴーサインを出して行くようです。
 その典型的な事案として、先日ジャカルタ市内のLRT建設が正式に始まったとのことですが、これはジャカルタ市内の超重要路線については大型車両のMRTで建設する一方、必ずしも輸送量は重大でなくとも是非とも必要な鉄軌道路線についてはライトレールとして建設するということのようです。具体的なイメージとしては、マニラやクアラルンプルの高架軽軌道(どちらも行ったことがありませんので、リンク頂いている西船junctionどっと混む様をご覧下さい)を考えているのでしょう。これなら、高架の強度ランクを下げ、道路交差点上空の急カーブも難なくこなし、用地買収の費用もなるべく省いた安い費用で迅速に (?) 鉄道網を整備できるという皮算用なのでしょう。とゆーか、マニラやクアラルンプルよりもはるかに大都市なジャカルタで、何故こういう輸送手段の整備を怠り、トランスジャカルタ程度で満足していた (?) のかと……。



 というわけで、そんなジャカルタにこれまで大手を振ってスルポン=バンテン線の客車鈍行が走っていたのは、ある意味では交通政策上の失敗としか言い様がない話ではありますが、別の意味ではこの上もなくマニアックで貴重な話であったわけで、その消滅がランカス電化で間近に迫っていることを寂しく思うものです。
 ところが、今回改めてランカスまで鈍行で往復した際、「あれ?」と気づいたことがありました。何と……消滅の間際になって客車がグレードアップしている……。同じKAIの3等エコノミ客車といっても、従来のスルポン=バンテン線客レの場合は、激しいラッシュ輸送にも対応するためロングシート化された車両や簡易プラスチックボックスシートの車両が投入され、さらに一部の車両は地獄のKRD改造通勤客車であったわけですが、KRD改造客車は冷房化とともに運用から外れ、前者のチョロいスペックの両端デッキ客車は、申し訳程度の小型クーラーを取り付けられて、クーラーの吹き出し口周辺を除けば依然としてムレムレという状況が続いていました。それが一転、今回乗った際には、ロングシート車も姿を消し (私が乗った列車だけかも知れませんが)、その代わりに大型クーラーと背の高いボックスシートを装備した「デラックス」な客車が多数投入されていたではありませんか……(クーラーの効きはキンキン♪)。これもひとえに、3等エコノミが引き続き大量新造されて長距離客レに投入され、玉突き的にランカス鈍行に回された結果かと思われます。実際、ランカスで下車する前にデッキに立ったところ、東ジャワのクディリを拠点に運行されている伝統の長距離列車「ブランタス」「カフリパン」の路線図が掲示されたままでした。
 さて、これらの客車……ランカス電化の後は恐らくバンドゥン地区にでも持って行かれることになるのでしょうか。否そうではなく、余りにも本数が少ないジャカルタコタ~チカンペック・プルワカルタ間の鈍行本数増に回してやってくれ……と思うのは私だけでしょうか。


 観音開き扉の08年製(登場時は「葉っぱ」塗装)も、ランカス鈍行に投入されるご時世に。KalimayaやBanten Exp.との兼用かも知れませんが。



 同じく08年製の新塗装。結局、「葉っぱ」も旧塗装も、この08年製にとっては短命に終わるということのようです。



 屋根が異様に高い東ドイツ製 (?) もランカス鈍行に流入! しかしこの車両、東独製1等車が50年代製であるのとは異なり65年製……。



 荷物車にも東ドイツ製 (?) 参上! 車番はB 0 58 04。雨樋無しで屋根まで真っ白となり、白い海坊主ってか……(笑)。



 屋根が高い東ドイツ製 (?) 客車の車内。クーラーが無かった頃は、果たしてどれだけ広々とした車内だったのか……。



 ランカス鈍行のデッキに残っていた「Brantas」「Kahuripan」の運行ルート図。東ジャワに遊ぶヒマが出来るのはいつのことやら……。