「呉範伝」に曰く。
呉の呉範(ごはん)は風気(風占い)の名手で、様々な技を究めた8人の達人「八絶」の一人に数えられた。
207年、孫権が父の仇の黄祖(こうそ)を討伐しようとすると、呉範は「来年になれば黄祖の主君の劉表(りゅうひょう)が死に滅亡します」と反対した。
孫権は構わず討伐したが敗北した。
翌年、再び討伐に向かうと呉範も「必ず勝てるでしょう」と賛成した。
戦いには勝ったが黄祖は夜間に逃走し、孫権は取り逃がしてしまうのではと心配した。すると呉範は「遠くには行っていません。生け捕りにできます」と言い、的中した。
年内には劉表も死に、領地は曹操・孫権・劉備によって分割されたという。
呉の呉範(ごはん)は風気(風占い)の名手で、様々な技を究めた8人の達人「八絶」の一人に数えられた。
207年、孫権が父の仇の黄祖(こうそ)を討伐しようとすると、呉範は「来年になれば黄祖の主君の劉表(りゅうひょう)が死に滅亡します」と反対した。
孫権は構わず討伐したが敗北した。
翌年、再び討伐に向かうと呉範も「必ず勝てるでしょう」と賛成した。
戦いには勝ったが黄祖は夜間に逃走し、孫権は取り逃がしてしまうのではと心配した。すると呉範は「遠くには行っていません。生け捕りにできます」と言い、的中した。
年内には劉表も死に、領地は曹操・孫権・劉備によって分割されたという。