「呉範伝」に曰く。
212年、呉範(ごはん)は「2年後に劉備が益州を制圧します」と予言した。
その後、益州を攻める劉備と会ってきた呂岱(りょたい)は「劉備軍は苦戦してバラバラになり、死者も半数近く出ているから失敗するでしょう」と報告した。
孫権はこれを伝え呉範を難詰したが「私は天道について申し上げましたが、呂岱が見てきたのは人事に過ぎません」と答えた。
はたして214年、劉備は益州を制圧したという。
212年、呉範(ごはん)は「2年後に劉備が益州を制圧します」と予言した。
その後、益州を攻める劉備と会ってきた呂岱(りょたい)は「劉備軍は苦戦してバラバラになり、死者も半数近く出ているから失敗するでしょう」と報告した。
孫権はこれを伝え呉範を難詰したが「私は天道について申し上げましたが、呂岱が見てきたのは人事に過ぎません」と答えた。
はたして214年、劉備は益州を制圧したという。