だって。スーパーでこんな張り紙がしてあった。先ごろ25パーセント値上げを発表したせいだろうね。30年前の石油ショックの混乱の再現だ。もっとも今回は原油価格の高騰で本当にトイレットペーパーやティッシューがなくなると考えているおばさんはいないだろう。100円ショップなどの安売り店が値上げ前の製品を買い占めて、値上げ後にも安く買えますよと売るつもりかな。『おばさん』にも困ったものだ。本当に棚はからになっていた。
だって。スーパーでこんな張り紙がしてあった。先ごろ25パーセント値上げを発表したせいだろうね。30年前の石油ショックの混乱の再現だ。もっとも今回は原油価格の高騰で本当にトイレットペーパーやティッシューがなくなると考えているおばさんはいないだろう。100円ショップなどの安売り店が値上げ前の製品を買い占めて、値上げ後にも安く買えますよと売るつもりかな。『おばさん』にも困ったものだ。本当に棚はからになっていた。
医者といってもいろいろある。臨床医というのがある。我々が接するのはこの連中だ。開業医と病院に勤務している連中に分けられる。病理学者もあれば、厚生省などの役所の技官をしているのもある。余輩の一族には伝統的に開業医が少ない。したがって開業医のようにしゃかりきに子供を医者に仕立てようとしないから、医者にならないものも多い。
そんな一人に聞いたことがある。汚わい屋はやりたくないというのだ。家は代々の資産家で、親は有名な医学者だった。息子を医者にして金儲けのマシーンにする必要もないから自由放任だった。彼は哲学科を出て美学者になった。なるほど、美学の観点からは医者にはなりたくあるまい。
医者というのは特徴的な職業的バイアスを持っている。医者の中には美術の愛好家をまま見かける。小説家も時々いる。美醜のバランスを無意識にとっているのだろう。全くの守銭奴となるものもいる。賎業に携わる人種にひろく見られる精神構造のゆがみである。これがマジョリティである。パチンコ屋、金融業とともに毎年脱税業種のベストスリーに名を連ねる。
青ひげというのがある。青ひげ医者なんていうのがある。医は仁術なんていう。そんなことを言うのは医者のほとんどが守銭奴だからだ。おっと間違えた。赤ひげだった。
おそろしいのは、名誉欲が異常に強い連中が多いことである。どんなに無能でも先生、先生とあがめられ、手術となれば「先生よろしく」と、風呂敷に百万円を包まれる(最近の相場はもっと高いのかな)。気をつけなければいけないのは私立大学の勤務医である。無能なのが多いが、新聞に名前の出るようなことをしたいと患者をモルモットにして怪しげな研究をする。時々新聞に発覚する。J医大なんかあったでしょう。しかし、大部分の失敗は報道されない。
頭脳優秀な一握りの医者はどうなるか。異常なコレクターになる。難病、奇病に出会えれば世界の果てまで出かけていく。優秀な頭脳がチャレンジを求めるのである。頭脳優秀な医学者は金の儲かる開業医になるのを嫌がる。町医者になれば珍しい、難しい症例にぶつかるチャンスはほとんど無くなるからである。
そういう連中は、よんどころない事情から親の病院を引き継いだり、名誉はあるが珍しい症例に出会える機会がなくなる仕事、たとえば役所の責任ある事務職とか貴顕の主治医になったりすると、落ち込むことが多い。そして趣味の世界に逃避する。
昨日の横浜戦、三塁への内野ゴロの判定でもめてダブルプレー、ゲームセットになった件、テレビはファウルを間違ってヒットにしたと球審を責めているが、どうかね。
たしかに三塁塁審のセーフ判定と球審のヒット(イン・フィールド・ゴロ)の判定は割れたが、テレビのリプレイを見るとボールは内野ぎりぎりに落ちているように見える。三塁手が取った位置はファウル・エリアだが。
打者は三塁塁審の判定を見て走るのをやめたそうだが、この行為は褒められるのかね。とにかく一塁まで全力疾走すべきだろう。審判の判定が割れることはしばしばあることだ。自分に有利な判定にしめしめと走るのをやめるのはスポーツマンシップに反する。
リプレイを見ると三塁審判は三塁手の真後ろでボールの落ちた位置は見えなかっただろう。球審はよく見える位置にいる。直後に球審と三塁塁審が話し合って確認などしているのかな。あんな騒ぎになったのは審判団の試合の仕切りに不手際があったとは言えるかもしれない。
おことわり、テレビの世論と私が同じ意見ならなにも言わない。意味がないからね。違うからアップしてみたまでだ。