東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

平成橋づくし

2006-06-15 20:33:17 | 国際・政治

小泉純一郎は勝鬨橋あるを知って新大橋を知らず。福田某は白髭橋あるを知るも両国橋を知らず。

言葉は武器である。万能ではない。得手不得手がある。得意の領域で使い手よろしきを得れば原子爆弾となる。非言語的対応の心得なきものは早晩首を掻かれる。屋内戦闘で小次郎刀を振り回していては脇差に切り伏せられる。

日本の政治家は極端に走る。中間あるを知らない。靖国問題、シナのイチャモンに誠意を持って説明していくとおなじ事を繰り返す。哀れっぽくて間抜けな話だ。向うは最初から話を聞く気など無い。この正反対が戦前の政治家だ。戦争だ。これも手だが、コストから見て割が合わない。シナ人を相手に血を流してもばかばかしい。近衛首相は「蒋介石は相手にせず」といった。それはいい。しかし、こうストレイトにいうのは芸が無い。

戦後、これを根にもったシナは近衛の戦犯指定を強硬に主張した。福田某になるとベタ下りだ。これも極端なはなしだ。日本人というのは日本人同士ではかなりいやらしいことをするし、こすからい。様々な手練手管を使う。だから小生は日本人はどちらかというと嫌いで愛国者ではない。

ところが外国人となると極端に狆ころ化するか、横暴になる。中間がない。特に狆ころ化は危険だ。かってメキシコのなんとかいう王様がスペインの流れ者たちにコロリとやられて国が滅んだ。日本もそうなるよ。

中間に色んな言い方がある。アメリカ人なんかがいうGOOD QUESTIONなんていうのもそうだ。いやな事を聞かれた時にいう。結構なご質問でというのではない。こころは「なにをいってやがる」だ。馬鹿な日本人は質問を褒められたと思って返事を待っているが、いつまでたっても返事がないのでポカンと餌を待っているポチみたいに口を開けて待っている。

こういうグラデュエイションというか、陰翳があるのが文化とか伝統とかいうのではないかな。