市場原理では、すべてのものは需要と供給のバランスできまる。そこでだ、正義の値段はどう決まると思うかね。
はい君、鼻垂れボクロの女性
正義は正しい理論で決まります。
君の名前は
森裕子です。
そうすると商品とは別のカテゴリーに入るわけか、メタだな。超越論的だね。大陸的だ。それで正しい議論と言うのは、どうして決められるのだね。
それは
一方が簡単に論破されればいいが、なかなかそうはいかない。それに議論なんてものの99パーセントは一方的な思い入れがあれば相手を説得することは不可能だ。
需要と供給で決めるとに抵抗があれば、どうだね、人数で決まるか、多数派が勝つか、これが民主主義といわれるね。あるいは暴力装置で決まるか、これが専制とか一党独裁と言われるね。
前にも言ったように知性と言うのは相手、自然を従わせるために発達した機能で対外的だ。振り返って自分を反省するという機能はなかった。それに対応する人体、精神のコンフィギュレーションの手直しもない。それでもごく一部の人には疑似能力としていくらか見られる。
したがって知性を反省的に使うというのは、極めてアクロバテイクな使い方である。時速100キロで車を後進させるようなものだ。チャイナで文化大革命と言うのがあった。この時には自分の意見に賛成しないものには暴力的に自己反省をさせた。
大体、反省と言うのは回帰的な作業だから自己なんてつけるのは語の誤用なんだけどね。
そうすると正義を決めるのは情念かもしれない。これも汎地球的なものはないから厄介なことには変わりない。なんだね、森裕子君
先生、もっと明るい話をしてください。
いや、これは失礼をした。では次回