民主党の小西某という議員が安倍首相の米議会演説の英語を高校生並みとtwitterかblogに書いたので炎上しているという。マスコミにはでていなかったが、so-netでみた。
どうもちんけなヤツがいるな、と思って彼の経歴をみるとアメリカの大学に留学している。わたしは英語の演説を視聴した訳ではない。小西はNHKの中継をみたらしい。ご苦労なことだ。で、経歴からすると、一応英語はわかるのだろう。
なぜ、私がこんなことを確認したかと言うと、いうことがおかしいのでまったく英語の分からない男ではないかと疑ったからなのである。
わたしは小西のような暇人ではないからわざわざ首相演説の生中継をみたわけではない。日本時間の深夜だろう。国会議員というのはそんなに暇なのか。
とにかく、演説に対する反応を伝えるマスコミ報道をみると米国の議員達には完全に首相の意図は伝わっているようである。スタンディングオベーションも14回あったというし、外交辞令上拍手はどんな演説者に対してもするだろうが、14回というのはちゃんと伝わっていたとしか考えようが無い。
上位者になればなるほど、自国語ではない英語で話してやっているのだ、ということを相手に印象づけるために、わざとともったりたどたどしく話すことがある。吉田首相などはそのくちだったらしい。ようは正確にこちらの意図意志が伝わることが大切なのである。
インド人の英語等、聞くだけでインド人が話しているとわかる。イントネーション、アクセントがまったく違う。それでも相手にはちゃんと伝わる。そして会議等で相手から聞き返されることなどない。かれらも教科書英語を話そうと思えば話せるのだろうが。
大体、英語でペラペラやっても相手に感銘を与えることは無い。猿のものまねみたいにうまいね、とお世辞を言われるのが関の山である。巧言令色少なし人ということばもあろうが、小西君知っとるかね。
猿真似、通訳英語が高く評価されることが無いのは洋の東西を問わない。
民主党の小西君は国会議員をやめて通訳になりなさい。
文章となると、まったく、様相が違う。英語自国語であっても、良い文章を書ける人は少ない。だから外国人がきちっとした文章を書くと、いっぺんに相手を見る目が尊敬に変わる。ペラペラ英語を操る場合とはまったく異なる。
簡単なビジネスコレスポンデスでもびじっと決めるとあなたの評価は一変するだろう。
どうもちんけなヤツがいるな、と思って彼の経歴をみるとアメリカの大学に留学している。わたしは英語の演説を視聴した訳ではない。小西はNHKの中継をみたらしい。ご苦労なことだ。で、経歴からすると、一応英語はわかるのだろう。
なぜ、私がこんなことを確認したかと言うと、いうことがおかしいのでまったく英語の分からない男ではないかと疑ったからなのである。
わたしは小西のような暇人ではないからわざわざ首相演説の生中継をみたわけではない。日本時間の深夜だろう。国会議員というのはそんなに暇なのか。
とにかく、演説に対する反応を伝えるマスコミ報道をみると米国の議員達には完全に首相の意図は伝わっているようである。スタンディングオベーションも14回あったというし、外交辞令上拍手はどんな演説者に対してもするだろうが、14回というのはちゃんと伝わっていたとしか考えようが無い。
上位者になればなるほど、自国語ではない英語で話してやっているのだ、ということを相手に印象づけるために、わざとともったりたどたどしく話すことがある。吉田首相などはそのくちだったらしい。ようは正確にこちらの意図意志が伝わることが大切なのである。
インド人の英語等、聞くだけでインド人が話しているとわかる。イントネーション、アクセントがまったく違う。それでも相手にはちゃんと伝わる。そして会議等で相手から聞き返されることなどない。かれらも教科書英語を話そうと思えば話せるのだろうが。
大体、英語でペラペラやっても相手に感銘を与えることは無い。猿のものまねみたいにうまいね、とお世辞を言われるのが関の山である。巧言令色少なし人ということばもあろうが、小西君知っとるかね。
猿真似、通訳英語が高く評価されることが無いのは洋の東西を問わない。
民主党の小西君は国会議員をやめて通訳になりなさい。
文章となると、まったく、様相が違う。英語自国語であっても、良い文章を書ける人は少ない。だから外国人がきちっとした文章を書くと、いっぺんに相手を見る目が尊敬に変わる。ペラペラ英語を操る場合とはまったく異なる。
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