東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

学問的評価に耐えうるほど戦争裁判資料が保存されているか疑問である

2015-05-29 09:47:06 | 戦争裁判
ニュルンベルグおよび東京の二つの戦犯法廷およびそれに付随し、それに続いた一連の裁判は、やっつけ仕事であった。間に合わせの仕事であった。

第一次大戦後、今後の戦争で「戦争犯罪」を裁判で裁くという問題が議論された。アメリカは反対したという。イギリスも不適当であるとした。ドイツの降伏が確実になると、1944年頃からこの問題が再び議論される様になり、アメリカはころりと態度を逆転したらしい。勝利者になることが確実になったからである。いつものことである。

イギリスのチャーチル首相は戦争裁判を非現実的、不適切と最後まで反対したらしい。もっともチャーチルの考えは戦勝国の判断で該当者を選んで即決銃殺するというものであったらしい。

それにソ連というタイプの違う戦勝国が加わった。欧州各国もそれぞれ意見があってまとまらない。本当に短い期間にバタバタと決まったようである。

如上の経緯からしても、事後学問的な検証評価を加えることは不可欠であるが、そんな成果があるのか。ないようである。もっとも歴史学や法学の専門家ではないから確かなことは言えないが、一般向けに読むに耐えるような業績はないようである。

大体、裁判資料がきちんと保存されているか疑わしい。やっつけ仕事の証拠となるような文書は戦勝国によって廃棄されている可能性が高い。また、証拠、弁論で戦争裁判の不備を指摘されるような資料は不採用、隠蔽ないし廃棄されたと考えるのが妥当だろう。

今年4月中央公論新社から「ニュルンベルグ裁判」という200頁ほどの新書が発行された。訳者は板橋拓巳氏。解説によるとニュルンベルグ裁判を要領よくまとめた類書は他にはないという。読んでみたが、あまり出来はよくない。強いて評価すれば当テーマについての索引として、それもごくおおまかな索引としての意味はあるのかもしれない。

これがその程度であるとすれば、解説者の言によれば、ほかには適切な書籍、資料がないということであろう。

東京裁判についても大分前にいくつか読んだ記憶があるが、判決をなぞりながら言い訳をするような論調でパンチに欠ける。読んでいる方が惨めな気分になるようなものしかない。

東京裁判については先行するニュルンベルグ裁判との比較で、また法廷成立までの戦勝国間の外交的やり取り、そして戦勝国国内での政治的うごきをフォローしながら、勿論裁判の経過を分析して結果としての戦争裁判の評価を示すものでなければならない。いまからでも限定された、廃棄隠蔽を免れたドキュメントを丁寧に分析するだけでも貴重な成果がえられるのではないか、と思う次第である。