歴史は勝者がでっち上げる。後年敗者が考証して糺す過程なくして『学』としての歴史学は成立しない。
その場面にいるのは勝者と敗者である。判定者、裁判官がいるわけではない。理想的な裁判制度というのは先進国でもないが(程度問題としてはあるが)、理想的に近いと言われる裁判制度でも誤審の可能性を排除出来ない。
いわんや勝者が敗者を裁くことに胡散臭さがつきまとうのは当然である。東京裁判で中立的な国の判事はいない。あえてあげればインドのパル判事くらいのものである。かれはイギリスの隷属国であったインド人だが、インドは対戦中イギリスに従属して日本と戦ったグループと日本の支援のもとにイギリスから独立を目ざしたグループに分かれた。そういう意味では純然たる戦勝国とは言えない。
その唯一、中立的立場に近いパル判事のみが「日本無罪説」を取ったことは有名である。
死刑廃止論者の最大の根拠はいかなる場合でも誤審の可能性があるから、というのである。いわんや、喧嘩を勝ったばかりの興奮しきった獣性をむき出しにした勝者が裁いた内容が未来永劫正しい等という理屈は幼児でも認めないであろう。
後世の修正動議を真正面から受け止めて、学問的検証の手順に耐えてこそ、勝者の主張は確立するのである。動議を提出する事自体を事前に押さえ込もうとする、忌まわしい策動のことを『ファッシズム』と言う。
その場面にいるのは勝者と敗者である。判定者、裁判官がいるわけではない。理想的な裁判制度というのは先進国でもないが(程度問題としてはあるが)、理想的に近いと言われる裁判制度でも誤審の可能性を排除出来ない。
いわんや勝者が敗者を裁くことに胡散臭さがつきまとうのは当然である。東京裁判で中立的な国の判事はいない。あえてあげればインドのパル判事くらいのものである。かれはイギリスの隷属国であったインド人だが、インドは対戦中イギリスに従属して日本と戦ったグループと日本の支援のもとにイギリスから独立を目ざしたグループに分かれた。そういう意味では純然たる戦勝国とは言えない。
その唯一、中立的立場に近いパル判事のみが「日本無罪説」を取ったことは有名である。
死刑廃止論者の最大の根拠はいかなる場合でも誤審の可能性があるから、というのである。いわんや、喧嘩を勝ったばかりの興奮しきった獣性をむき出しにした勝者が裁いた内容が未来永劫正しい等という理屈は幼児でも認めないであろう。
後世の修正動議を真正面から受け止めて、学問的検証の手順に耐えてこそ、勝者の主張は確立するのである。動議を提出する事自体を事前に押さえ込もうとする、忌まわしい策動のことを『ファッシズム』と言う。