舛添氏が辞任したころ、「石原慎太郎の大罪?」という記事を載せた。だれが次の知事になるか分からない時期で、豊洲問題、東京オリンピックのコスト問題も話題になっていなかったころである。石原辞任がこれらの一大スキャンダルのきっかけになるのではないか、というカンから書いた。
石原慎太郎は2012年暮れに突然辞任したのであるが、理由をまったく説明していない(報道を見る限り)。いかにも唐突である。その後短期間で都知事が三人もかわる。そのころ舛添追求記事を毎週特集していた週刊文春に石原辞任の不自然さの背景を取材したら、と書いた訳である。文春はいまだに私の示唆を取り上げていない。きっと忙しかったのだろう。
辞任直後に石原は新党を結成し国政復活を表明、同年12月の衆議院選挙に立候補して当選するともう一つ手品を繰り出す。平成の天一坊橋下徹に抱きついた。田舎芝居もいい所だ。
そこで改めて文春に提案する。2012年石原の辞任まえ、そうね、一年ほどの期間の都政、都議会にまつわるスキャンダルの種を徹底的に調べて欲しい。勿論豊洲問題はそれより前から動いているのだが、なんらかの石原に都合のわるい事態が水面下で起こっていたのではないか。問題発覚につながるきっかけが可能性として2011−2012の間に有ったのだろう。
前にも書いたが石原慎太郎が辞任したのは問題が発覚した時に現職の知事として矢面に立ちたくないということと思われる。また、国政に逃げ込んだのは国会議員の不逮捕権を万が一にそなえて担保して起きたかったのだろう。橋下徹に抱きついたのも同じ理由に違いない。彼らの間には国防を始め共通の認識があるとは見えない。
以上は取材のための「仮説」である。実り豊かな成果を期待したい。それにつけても元特捜副部長が退職して自由な立場になったとはいえ、あれだけハッキリと都政の闇を選挙運動の期間、訴え続けたのはそれなりのソリッドな理由があると考えなければならない。すでに東京地検には石原慎太郎のファイルがあるとみなければならない。あとは時間との勝負だね。