東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

徒然(トゼン)にたえかねヤーさんと

2006-06-14 10:22:59 | 社会経済

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料金受けがおいてあるあたりにマイクがささっている。マイクからは4,5本のコードがダッシュボードまでつながっている。カラオケタクシーかと思った。運転手は典型的なヤーさんのオーラを発している。とんがった頭はつるつるに剃ってある。こちらを向くと濃い緑色のサングラスをかけている。武闘タイプの前線要員というところだ。

「そこから煙が出てくるんだよ」

「ケッ?カラオケじゃないの。随分サービスがいいと思ったがな」

「タクシー強盗にあったら、ここのボタンを押すのさ」とハンドルの横をたたく。

「、、、、、、、、」あっけに取られているとまた後ろを振り向く。よく振り返る男だ。危なくってしょうがない。

そうすると、出てくるのは銀行や郵便局で強盗に投げつけると、色のついたコナが出てきて衣服に付着して取れなくなるマーカーみたいなものか、と聞くと

「カプサイシンさ、唐辛子のコナだよ」

韓国の暴力スリが捕まりそうになると警官に吹き付けるやつだ。そうとう危険なしろものじゃないか。こんなものを陸運局がよく認めるものだ。

この男はヤクザの親分の車を運転していたのだろう。ボディガード兼任で。こんなこともいった。聞きもしないのに得得としゃべる。そしていちいち振り返ってオイラの理解を確認する。よほど気があうと思われたらしい。それともヤクをやってハイになっていたのかも。

「右に思いっきりハンドルを回してから急ブレーキを踏むんだよ。客は反対側に飛び出すから」

「???、、、だってタクシーは止まっているんだろう」

「すぐに急発進できるようにしておくのさ。客が包丁を出したらすぐに急発進して右にハンドルを切ってから急ブレーキをかける。それから車外に出る」

なるほど、理論的だ。コマンドーみたいだ。コリャーどうしても親分のボディガード兼運転手だ。規制緩和でいろんな運転手が入ってきた。外人、リストラされたサラリーマンについても追々紹介しよう。

この男、小指の欠損はないようだった。背中のクリカラモンモンは確認出来なかった。いずれにせよ、この風貌では強盗もビビッて犯行を思いとどまるんじゃないかと思った。


三行ブログ:野球とサッカーは違うからな

2006-06-13 19:48:47 | スポーツ

ジーコは王監督のような魔力があるかということだ。緒戦に負けたので早くも一次リーグを突破する星勘定を他力本願でやっている。なんだがWBCで一次リーグを突破した時みたいになってきた。ただジーコはブラジル人だからな。多分ブラジルはオーストラリアやクロアチアに勝つだろう。日本がクロアチアに大量得点差で勝って、ブラジルが日本と引き分けてくれればWBCの再現だ。ブラジル人はジーコに対しては戦意がわかないらしいからな。そうなれれば、勢いがついて優勝は無理でもベストフォーまで突き抜けるぜ。

もう一つ気になったこと。昨夜の国歌斉唱はオーストラリアから始まった(ありゃABC順かね)。観客の歌う国歌はテレビの音声を通しても体が震えてくるような迫力があった。続いて君が代だが、心配したとおり元気がない。オーレオーレばかりじゃ駄目だよ。牛を追っているんじゃないからな。もともと君が代はマーチのようにドンチャカ節とちがってしんみりとしているが、腹のそこから皆が歌えば迫力が出る。サムライブルーの連中は最後まで歌詞を知らないんじゃないかな。戦争なんだから。国歌に気を入れないで勝つわけが無い。


三行ブログ:第二国会設立趣意書

2006-06-09 18:57:20 | NHK

シナの機嫌を取るために、靖国の代わりに新しい追悼施設を作る議員連盟まであるそうだ。そんなことより、第二国会、国会の代替施設を作るほうが先じゃないの。どの分野にも族議員というのがいて国民のための議論なんてない。

なかでも郵政族というのはひどい。郵便局の問題でも大分サボタージュをした。もっとも小泉さんはうまく料理したようだ。最近ではNHKの現状維持に郵政族が蠢動している。片山おたふくなんていうのが幅をきかしている。

とくかく、靖国のかわりよりか、国会の代わりをつくることが焦眉の課題である。


三行ブログ:片山おたふく案

2006-06-03 12:45:53 | NHK

NHK改革案には他に自民党族議員によるものと、内閣府によるものがあるらしい。内閣府の提案はなかなか厳正で見るべきものがあるようだが、片山おたふくが率いる族議員の動きはひどい。政官業癒着丸出しだ。

今日の産経によると、片山参議院議員は竹中諮問案を批判している。『慎重に』という言葉で改革をつぶそうとしている。此れによって是を観るに(コレニヨッテコレヲミルニ)、NHK改革は国会内で決めてはならないということだ。


三行ブログ:新聞社はテレビ局を持つな

2006-06-03 08:19:25 | NHK

竹中総務大臣の私的諮問機関がNHK改革の提案をまとめた。ごく穏当なものである。下拙はかねてから政治家の私的にせよ、公的にせよ諮問機関の弊害を説いてきたが、この機関だけはなかなかいいことを言うと思っている。

もっと、抜本的な正論もあったようだが、結論はきわめて穏やかにまとめてある。柱の一つはNHKのチャネルを三つ減らせという微温的なものである。それにも読売新聞が反対している。よく説明が分からないそうだ。自明のことではないか。読売は日本テレビの免許問題に跳ね返ってくるのが怖いのだ。『社会の公器』(だそうだが)を私益に奉仕させる。許しがたい言動だ。

たまたま読んだのが読売だが朝日新聞もおなじ態度だろう。社会の木鐸を自認するなら免許事業に手を出すな。国に生殺与奪の権を握られる。総務省も次回の免許更新の際は新聞社系列のテレビ局には免許を与えるな。民間放送開始以来便々と無慮数十年反省もなく芸もなく免許を与え続けることは直ちに改めよ。


三行ブログ:トイレットペーパーは一家族二パックまで

2006-06-02 20:37:03 | 社会・経済

だって。スーパーでこんな張り紙がしてあった。先ごろ25パーセント値上げを発表したせいだろうね。30年前の石油ショックの混乱の再現だ。もっとも今回は原油価格の高騰で本当にトイレットペーパーやティッシューがなくなると考えているおばさんはいないだろう。100円ショップなどの安売り店が値上げ前の製品を買い占めて、値上げ後にも安く買えますよと売るつもりかな。『おばさん』にも困ったものだ。本当に棚はからになっていた。


美学の問題(2) 別名おわい屋談義

2006-06-02 07:25:30 | 社会・経済

医者といってもいろいろある。臨床医というのがある。我々が接するのはこの連中だ。開業医と病院に勤務している連中に分けられる。病理学者もあれば、厚生省などの役所の技官をしているのもある。余輩の一族には伝統的に開業医が少ない。したがって開業医のようにしゃかりきに子供を医者に仕立てようとしないから、医者にならないものも多い。

そんな一人に聞いたことがある。汚わい屋はやりたくないというのだ。家は代々の資産家で、親は有名な医学者だった。息子を医者にして金儲けのマシーンにする必要もないから自由放任だった。彼は哲学科を出て美学者になった。なるほど、美学の観点からは医者にはなりたくあるまい。

医者というのは特徴的な職業的バイアスを持っている。医者の中には美術の愛好家をまま見かける。小説家も時々いる。美醜のバランスを無意識にとっているのだろう。全くの守銭奴となるものもいる。賎業に携わる人種にひろく見られる精神構造のゆがみである。これがマジョリティである。パチンコ屋、金融業とともに毎年脱税業種のベストスリーに名を連ねる。

青ひげというのがある。青ひげ医者なんていうのがある。医は仁術なんていう。そんなことを言うのは医者のほとんどが守銭奴だからだ。おっと間違えた。赤ひげだった。

おそろしいのは、名誉欲が異常に強い連中が多いことである。どんなに無能でも先生、先生とあがめられ、手術となれば「先生よろしく」と、風呂敷に百万円を包まれる(最近の相場はもっと高いのかな)。気をつけなければいけないのは私立大学の勤務医である。無能なのが多いが、新聞に名前の出るようなことをしたいと患者をモルモットにして怪しげな研究をする。時々新聞に発覚する。J医大なんかあったでしょう。しかし、大部分の失敗は報道されない。

頭脳優秀な一握りの医者はどうなるか。異常なコレクターになる。難病、奇病に出会えれば世界の果てまで出かけていく。優秀な頭脳がチャレンジを求めるのである。頭脳優秀な医学者は金の儲かる開業医になるのを嫌がる。町医者になれば珍しい、難しい症例にぶつかるチャンスはほとんど無くなるからである。

そういう連中は、よんどころない事情から親の病院を引き継いだり、名誉はあるが珍しい症例に出会える機会がなくなる仕事、たとえば役所の責任ある事務職とか貴顕の主治医になったりすると、落ち込むことが多い。そして趣味の世界に逃避する。


横浜戦、審判団は不手際だが

2006-06-02 06:42:35 | スポーツ

昨日の横浜戦、三塁への内野ゴロの判定でもめてダブルプレー、ゲームセットになった件、テレビはファウルを間違ってヒットにしたと球審を責めているが、どうかね。

たしかに三塁塁審のセーフ判定と球審のヒット(イン・フィールド・ゴロ)の判定は割れたが、テレビのリプレイを見るとボールは内野ぎりぎりに落ちているように見える。三塁手が取った位置はファウル・エリアだが。

打者は三塁塁審の判定を見て走るのをやめたそうだが、この行為は褒められるのかね。とにかく一塁まで全力疾走すべきだろう。審判の判定が割れることはしばしばあることだ。自分に有利な判定にしめしめと走るのをやめるのはスポーツマンシップに反する。

リプレイを見ると三塁審判は三塁手の真後ろでボールの落ちた位置は見えなかっただろう。球審はよく見える位置にいる。直後に球審と三塁塁審が話し合って確認などしているのかな。あんな騒ぎになったのは審判団の試合の仕切りに不手際があったとは言えるかもしれない。

おことわり、テレビの世論と私が同じ意見ならなにも言わない。意味がないからね。違うからアップしてみたまでだ。


美学の問題(1) 別名おわい屋談義

2006-06-01 05:49:01 | 社会・経済

余輩の一族には医者が多い。ほとんど医者といってもよい。母方は東北の某藩の人間であったが、茶坊主、能役者、儒者、医者が多かった。今の言葉でいうとパラサイトであるナ。

いろんなのが居った。幕末維新のころは商才のある医者がおって、つまり患者のあしらいがたくみなのがおって、幕府高官、公家、大商人のもとに出入りしたのもいる。衒才もあった。医者というのはしらみのようなもので(最近ではしらみといっても分からんか。ウイルスとでもいうか)、主義主張、貴賎に関わりなくいろんな患者の家に出入りして情報ブローカーのようなことをやる。現代の政治記者みたいなものだな。商才、衒才が合い備わっていたわけだ。おまけに当時はやりだしたオランダ医学も使った。

その医者は血の気の多い、金が大好き、女はもっと好きという男であって公家や大名の屋敷に出入りしてずいぶんと政治向きのこともしたらしい。面白い話が伝わっておる。司馬遼太郎の書く維新のエピソードとは正反対のこともずいぶんとある。余談だが司馬遼太郎の小説はどうしてああ都合よく辻褄があっているのだろう。まあ、そこが小説を作る醍醐味だ。予定調和だな。推理小説ではないのだから、なにもかもうまくいったように作らなくてもいいとは思うがね。

閑話休題、医者は何故カネが好きか。その話ヨ。以下次号