日本農業は、高度経済成長に合わせて1961年に「農業基本法」を策定した。良くも悪くも、この法律で多くの農民を2、3次産業へと追いやることになった。農民が人的に高度政調経済を支えたのである。そのことは、大量の兼業農家を生み出すことになったのである。
その結果、農村は疲弊し食料自給率を極端に低下させることになった。1999年に新しい農業基本法「食糧・農業・農村 基本法」が制定された。農業を食料を生産する産業として、農業の多機能を評価する画期的な法律であった。
法の制定後ほどなくだされた食糧自給率の達成目標は、2010年までに45%にまで上げるとする、極めてささやかなものであった。しかし、目標まで3年しかなく、すでに今年で現状の40%すら切ってしまった。ところで、この法律作成に奔走した、地方出身の政治家は、先の郵政選挙でほぼ全員が落選しまった。このことは、地方が何を求めていたのかが見えるものがある。
一方、今回の参議院選挙で大勝した民主党が掲げた、農家の所得補償制度であるが、自民党のおしゃべりな議員から、財源をどうするなどと聞かれて、行政改革でねん出できるなどと回答している。自民党と同じレベルで論議するべきではない。農業をどうするか、食料を質気にも量的にもどのようにするか、疲弊する農村をこのまま放置するのかなどという、基本的な論議がなされていない。
EUなどでも、何度も失敗を重ねながらも、所得補償政策の充実を試みている。事実、食糧を何とか域内で確保している。日本も、短期的な視点に立つことなく、あるいは多少の行き過ぎなども経験として捉えるような大きな視点を持って、農業政策を考えてもらいたいものである。
今回、阿倍政権が何度もすり寄るアメリカに、最新戦闘機F22を売ってもらえなかった。結局は、同盟を強めて(現実には従属関係)も、自国の防衛戦略上必要なものを、おめおめ日本などに売れないのである。食料も同じことである。晴れた凪の天候しか思いつかない、従属関係しか想定しないで、金のことに終始する論議から、この国の農業政策は見えてこない。
新しい農業基本法はほとんど履行されていない。農村の多機能のために中山間地と呼ぶ僻地に、目的不明の金をばらまいただけである。環境保全型の規定もあいまいで、お花を庭に植えるだけでお金をもらっている現状から、農業の本質的な動きが見て取れない。
食料を自給しない国家は、独立国家はいえない。車やコンピューターを必要としない人間はいるが、食料を必要としない人間は存在しないからである。