政府・自民党は、地方法人事業税2.6兆円を「地方法人特別税」に改め、人口や面積に応じて地方に再配分する案を示した。
要するに、税収の多い自治体から困窮する地方に回すというものである。東京、大阪、横浜、名古屋などの大都市圏の知事がこぞって反対した。東京都 の場合、3000億円を供出すると当初石原知事は反対姿勢を示したが、羽田周辺の開発などの代替えを獲得して黙ってしまった。
しかし、税収の中身を見ると当然のことでもある。ほとんどの大会社は、本社を東京に構えている。北海道も同じである。田舎をこせこせ回っている中規模以上の会社は、本社を札幌か東京に構えている。
この税制は構図として、地方の収益を都会で支払っていることになる。しかしながら、人の経済活動から外れたものを評価することのない姿勢は、そろそろ見直さなければならない。
地方は食料を生産するばかりでなく、水の供給や空気の浄化も行っている。これは全く評価されていない。唯一評価の対象になっていた、食料生産すらおぼつかない現状にある。それらのすべては、人が生きてゆくためには必ず必要とされるものである。
政府には、放置すると利潤を求めて暴走する経済行為を規制する義務がある。新自由主義とは、こうした行為を「規制」と称して、放任することの方が美徳とすることである。
小泉・竹中路線は、規制緩和がまるであらゆることを解決するかの錯覚をおこさせ、市場が問題を解決するとする訴えている。格差発生の原因がここにある。
今回の税金の地方移譲が、先の選挙で地方で大敗したことの修復であり、次回への選挙対策である限り、一時的なものでしかない。横暴な資本主義経済ではなく、利潤だけで社会を評価するのではなく、人のとって何が必要なのかを評価する思想が必要なのである。