阪神淡路大震災から、昨日で13年経った。亡くなった母は、燃え上がる神戸の街を見て「まるで空襲のようだと、戦争を思い出し訝しげに口にしたことを思い出す。
もうひとつ最近になって思い出すことがある。世界のメディアが、この震災の大混乱の中でも盗難や強盗や暴動の類が起きなかったことへの、驚嘆の声である。日本人は秩序正しく、温和な人種であると結んでいた。
日本に来た、欧米人に日本人の印象を聞くと例外なく、「kindly」(優しい・思いやりがある)と答えてくれる。このことの表現として、震災後の悲惨な状況にあっても、これをいったん受け入れて行動するのであろう。
これとおなじフレイズを最近聞いた記憶がある。社会保険庁の消えた年金問題の、「詐欺」「窃盗」に類する行為が発覚した時である。海外なら、暴動が生きるレベルの事件であるが、日本人は全く寛容であると、海外ジャーナリストが述べていた。
かつてはそんなことがなかったように思われる。例えば、ヴェトナム戦争という不条理な戦争に、学生や労働者が街に繰り出し反戦行動をしものである。ところが、現在はイラクなどでいかに不条理な戦争が起きても、ほとんど何もない。kindlyなのである。
ロックは、反権力・反体制の音楽であった。自由な表現と行動の象徴としてあったのであるが、今はだれもが同じように手を振りシンクロナイズする。kindlyな国民は、反体制側に立たなくなったようでもある。
「同盟国」アメリカに対しては更に、kindlyなようである。洋上給油でも、日本駐留の米軍に対しても「おもいやり」はたっぷりで、内容がない。とにかく言われるままである。
「kaindlyな日本人」とは結局、家庭的で反論しない言われるがままの状態のことを意味するように思われる。これでいいのか、kindlyな日本人たち!