どう見ても地震などの災害後の炊き出しに見える、年越し派遣村が大賑わいである。もちろんこれは天災などではなく、小泉・竹中改革路線が生み出した人災である。
大手電機会社に勤める友人が、大阪の本社を離れ北海道に5年ほど転勤して来た。20年ほど前の話である。転勤前には、同じ課にほんの数パーセントの「ハケン」社員がいた。本社に帰ってみると、それが30%近くになっていたそうである。
自分より年上の立派な社員でも20代の若僧でも、みな同じ日給8000円ほどである。いかなり優秀な人材もいたが、派遣される会社が一年で交代させる。労働組合は作れない。使う方が個人指名できないが、優秀な人材は指摘するといったん辞めた後でまた来る。
雇用関係は会社同士の間でなされる。派遣されてきた社員は、現実に勤めている会社には雇用関係はなく、文句はいえない。不満があると馘首(すげ替え)されるだけである。友人は、この 制度は日本を壊すと断じた。
1985年に労働派遣法が成立したが、この間に企業は人件費を大幅に削減できたために、内部留保に努める余裕がしっかりできたのである。派遣法は、企業家たちにとって厄介な労働組合法を飛び越える、福音の法律であった。
日本が壊れるには少々時間がかかったが、企業が潤い労働者たちがさまよう姿の原点はここにあった。
民主党は方針転換をして、共産党や社民党や国民新党との協議に入った。派遣法の廃案を提示するようである。今年中には、民主党を中心にした政府ができる。どんな内容になるのか注目したい。
しかし、もうすこし都会の橋の下や公園で暮らすホームレスや派遣村に目をやるのではなく、日本中を見渡してもらいた。この国の田舎には、400を超える限界集落がある。資源も手段も立派にある農地が放棄されようとしている。派遣ではなく担い手として、彼らをここにもってこれないのだろうか。