日本政府は、WTO理念推進のためには、ロシアが車の輸入関税を高くしたことを引き合いにして、規制緩和を批判した。グローバル化のためには、こうした規制緩和を認めるわけにはならないのであろう。しかし、ロシアが行った輸入規制は、国内企業を守るためには当然のことであろう。
他国の経済発展に寄与することなどないのである。ロシアは一時値上がりした原油価格の暴落で、このような内需を進める政策をとったのである。考えてみると、日本はこのような国内経済、産業の振興を一方的に海外に委ねることで、経済成長してきた。その犠牲になったのが日本の農業であり、林業である。
中国はひょっとすると、昨年起きた金融恐慌を最も望まれる形で乗り切ることになるかもしれない。内容はどうあれ、中国は社会主義体制と自負している。この国の主な5銀行は国営である。国民へのコントロールはお手の物である。道路一つ作るにしても、巨大なダムを建設するにしても、誰はばかることなくどんどん作っている。
その中国が、格差社会にどうやら取り組み始めたようである。農民の戸籍の移動を、かなり緩和するようである。さらに、内需拡大のために地方の人たちが電化製品を購入すると20%ほどの補助をするそうである。
世界の四分の一の人口を抱える中国である。内需拡大が成功すれば、中国は世界経済とかけ離れた存在になる。あるいは自主経済圏を構築することになる。
いま最も求められるのは、こうした経済圏の分散化である。WTOの唱えるグローバル化は、投資家やファンドマネーなどを肥大化させることにつながった。経済学者たちや財界人たちの言い分を聞く時ではなく、水や空気や動物や森を観察する人たちの声を聞く時である。
真のグローバル化とは、地球上のあらゆる人類が共有する、水や空気が汚染されないことを真っ先に取り組むべきである。食料やエネルギーなどを量的にも質的にも安全で安心なものを得るためには、WTOの理念を見直さなければならない。地域で生産されたものを優先して、国境を超えて遠隔地からの搬入を極力少なくするべきである。
現在の温暖化に限ることない環境の悪化を考える時、環境問題と経済のグローバル化は真っ向から反する。世界経済が多極化する中で、特定の国家あるいは少数の人たちの富の蓄積に貢献する制度は見直さなければならない。