石破農水大臣が、減反政策の見直しを掲げた。昨年6月に、福田内閣の町村官房長官の発言もあった。価格維持のために、農協関係者はこぞって反対であろうと思われる。
減反政策は政策としても、農業の論理としてもおかしな政策である。政策と言われるが、現実には立法などによるしっかりとした考えのもとにとられたものではないのである。言うならば、単年度ごとの方針・対策でしかないのである。
当初は価格維持のためにとられた「生産量」の制限対策であった。価格維持対策でありながら、市場価格には全無関心な妙な対策である。70年ころから行われてもうすでに、40年近くになる。(単年度の対策であるから始まりも判然としない)
生産をしない者に対して補助金を出す前代未聞の、あるいは世界史になかったような農業政策である。この40年ほどの間に、豊芦原瑞穂の国の日本の、農家の生産意欲は削がれ、農村の原風景は大きく変貌し、生態系は変化し、農村文化は失われてしまった。
そして何よりも、農村から人がいなくなった。担い手をなくした農村・へき地には限界集落と呼ばれる地域が400以上になってしまった。政策に忠実で減産・減収入であった農家と、不誠実に生産し続け増産・増収入の農家が出現する不合理性も払拭されていない。地域で取り組ませるため、農家の対立や不信を育む元にもなった。
減反政策を維持しなければ価格が維持できないと、農協関係者や大規模農家は主張するであろうが、こうして農村が失った数多くのものは、減反政策にあることだけは事実である。
細川内閣の時に自由化に踏み切り、高関税と引き換えにミニマムアクセス(MA)米として、一定量の輸入を義務付けられた。このいやいや輸入されるMA米は極めて、低品質であり食用としては販売するには無理があった。売れないMA米は不正の温床になって先ごろようやく摘発された。このような生産調整しながら、低品質米を輸入する矛盾も政策の禍根である。
生産調整をなくすと、どんどん生産されて価格が下がる。だから減反せよとの声もある。果たしてそうであろうか。疲弊した農村にそんな力があるだろうか。それよりも、どんどん下がる米の価格を横目に生産抑制される農家の方が苦しく無人に満ちているだろう。生産者対策として、消費者価格維持のための補助金を出せばいいのでないか。
石破大臣の提案は「幅広い論議を重ねる」ようであるが、世界的な食料問題が起きている中で、農家の生産を抑える矛盾はこれからも容認されるとはい思えない。