私たちの世代は、手塚治虫と一緒に成長した気持ちでいる。幼いころは、学校で漫画は禁止されていた。それでも手塚の本だけは相当読んでいる。娯楽漫画に止まることのない、彼の漫画は感動巨編から哲学的なものも少なからずある。
今年は、彼の生誕80年になる。それを記念したBS放送の「週刊手塚治虫」を欠かすことなく見ている。今週は「三つ目がとおる」であった。最終回の場面は記憶から消えようとしていたが、番組からよみがえってきた。地球の大気と大地を汚す人間を滅ぼすために、三つ目族が人間をやっつけようとするのである。主人公の恋人が主人公(写楽保介)を抱いて、「もう少し時間をください。人間も悪い人ばかりではない」と懇願するのである。
それを受け入れて終わるのであるが、このテーマは「ワンダースリー」や「0マン」にも流れている。地球を汚す人間を、異星人や地底人が不要なものとして滅亡させようとするのである。これらの作品は40年も前に書かれている。0マンは50年も前である。手塚治虫の偉大さと先見性と普遍性をここに見ることができる。
翻って現実は、手塚の杞憂は外れることなく、いまだに延々と人類は地球を汚し続けている。それは先進国という怪物が、経済という巨大なモンスターを貪り食う姿でもある。環境破壊というと、ゴミを拾ったりペットボトルをかたずけてきれいにすることだと、矮小化することで満足するのはもう止めるべきである。
今回、鳩山政権の打ち出した、90年比25%削減は極めてシビァーな基準である。自民党政権下で、90年比8%もCO2を増加させているので、現実には33%削減である。財界の主張するように、経済成長を盾に反対するようでは、写楽やQマンが人類をせん滅しに来るかもしれない。