佐藤栄作元首相の二男の、元通産大臣であった佐藤信二氏がよく見たら机の中にあったと、沖縄返還に係わる密約文書を見け関係機関に提出した。何とも不自然で、都合のよい見つかり方だ。時あたかも政権交代を受けて、岡田外相が調査を指示しほとんど終息に向かいつつあるときである。
私文書と思っていたとのことであるが、どう見てもこれまでひた隠しにしていたとしか思えない。
この文書の表題は、「1969年11月21日発表のニクソン米大統領と日本の佐藤首相による共同声明に関する合意議事録」とある。 緊急時には、沖縄に核を持ち込んだり通過することを、日本は遅滞なくこの要件を認めるとするものである。ニクソンと佐藤栄作のフルネームのサインがある。岡田外相の、調査委員会でもこの合意議事録が見つかっていなかった。
「核抜き本土並み」の返還は行われていなかったのである。その後、何度沖縄に核が持ち込まれたか通過されたかは解っていない。この時すでに非核三原則を破っていた、佐藤栄作はノーベル平和賞を、どんな感情で受け取ったか知りたいものである。
核の密約を抜きにしても、沖縄の現状はとても「本土並み」とは思えない。あの狭い沖縄に、日本の米軍基地の75%が居座っているのである。
鳩山内閣は、普天間の移転を前政権の約束をすんなりと、政権交代を理由に破棄すればよい。沖縄のすべての小選挙区で、最低でも県外移転を訴えた民主党が勝利した。鳩山党首もこの意向を組んだ発言を繰り返して、沖縄の民意をくみ取り総選挙に勝利した。
沖縄の米軍基地の存在は、返還時の密約の延長上にある。普天間基地を、海外に移転するのは、政権交代した今しかできない。沖縄県民は鳩山の決断を待っている。