私の住むここは北海道の東の果て、日本で最も遅く開拓のクワが入ったところである。初期の入植は、昭和5年前後そして戦後である。とりわけ、戦後開拓農協が設けられて、海外にいた人たちを受け入れた。当然遅れた土地の人たちほど、条件の悪いところとなる。
とりわけ、満州開拓者たちを受け入れた開拓農協もあったが、ここは満州で挫折した人たちが、身を寄せ合って、木を伐り土を耕し、牛を導入した。満州開拓の人たちとは、牛の診療を通じて以外でも、個人的にかかわってきた。
正月から、NHKで「開拓者たち」の4部作となるドラマが放映された。これまで、悲劇の満州開拓は、数多くのドラマや小説それにアニメもあった。どれもが、悲劇の物語である。
しかし、いくら装っても侵略には変わりない。傀儡国家の幻想を信じた農民たちは哀れであったが、侵略者としての側面を拭っての表現は難しかった。開拓団の人たちは、ことあるごとに満州の豊かさや広さを語り、匪賊の恐ろしさを訴えていた。
今回放映された”開拓者たち”は、そのあたりへの配慮もあったし、当事者の証言もドラマに挿入させていた。匪賊と呼ばれた人たちは、元の土地の所有者ということもしっかり表現していた。戦後、多くの技術者を八路軍(中国共産党解放軍)に、留用された人たちを取り上げたのも驚かされた。
医師や看護婦それに飛行機や工業技術者を、八路軍が最大限利用した。建国に少なからず貢献したのである。その後のことはあまり扱われていなかったが、残留孤児も含め文化大革命で悲惨な目にあっている。
満州開拓者から、自らの子供を土に埋めたり海に投棄したりした話を数多く聞いた。ちょっとしかことがあり、証言者がたくさん登場した栃木の千振も訪れたこともある。中国側から見ると侵略者であっても、夢を抱いて開拓のクワを握った彼らに罪があるとは思えない。しかし、それも日本側の言い分でしかない。
国家が誤ちを犯したときには、必ず被害をこうむるのは底辺にいる現場の人たちである。こうした国家の不条理、歴史的な負の遺産を忘れてはならないが、彼らも高齢となり次世代へと引き継がれ、多くのものが消えてしまいそうな現実もある。