そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

本当は何が一番強いか

2012-01-03 | マスコミ報道

新春の番組で、一番強い動物は何かというのをやっていた。ご多分に漏れずトラだのライオンだのが候補に挙がっていた。

これと同じ問題を、子供たちに投げかけたことがある。子供たちからは、番組と同じようにライオンやトラなどが候補に挙がった。子供たちに再度質問をしてみた。

「ライオンがそんなに強ければ、ライオンだらけになってしまう。だけど、ライオンよりも弱いはずのレイヨウのほうが、断然多い。どうしてかな?」と問いかけても、困った顔をするだけである。

ライオンやトラは強いのではなく、食べ物を獲る手段として、強靭な肉体や牙や爪を持っているだけなのである。彼らは単に食物連鎖の頂点にいるの過ぎないそんざいである。

だから本当は、武器も何もないシマウマやレイヨウのほうが強いのだと、子供たちには説明をするのである。しかし、人間の社会は全くこの逆である。強いものはほんの一握りである現実を受け入れている。

絶滅危惧種のほとんどは、こうした食物連鎖の頂点に立っているものが該当しているのである。強靭な武器を持っている弱者は、レイヨウやシマウマの数に左右される。

旱魃が起きると、彼らは10万頭の個体数を半減しても、生き残ることができる。しかし、ライオンはレイヨウが半数になると、捕獲が困難になり半数の半数を大きく下回ることになる。レイヨウの個体数によって、ライオンの種は制限されるのである。

食物連鎖の頂点にいる動物は極めて危うい位置にいる、とても弱い動物なのである。トラやシマフクロウなどは、その典型的な例である。

人の社会は、ライオンがレイヨウを食べる行為を、弱いものは肉になり強いものがこれを食べる、「弱肉強食」と表現するが、それは真理ではない。

しかも多くの社会学者はこれを、経済原理に当てはめる。弱い企業は食われて当然というのである。この場合、食う方も食われるほうも人間である。

弱肉強食の現実は、ライオンという種がレイヨウという種に対して行われる、種を超えての行為である。同じ種で殺しあうのは、「人間」という種だけである。

それは、これまで戦争という形で、もっと身近には企業間の競争によって、あるいは個人的な競い合いで見られるが、同一種内で行われている行為である。

勝ったとしても実に危うい存在であって、普遍的に存在する圧倒的多数の労働者層に怯える位置いるのである。

最も強いものは、大量に存在する、一見弱者に見える、レイヨウや労働者階級なのである。競争社会はそれらに対する、評価基準がないだけなのである。

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