野田首相は中間貯蔵施設の設置を、双葉町に要請した。双葉町の井戸川町長は野田首相に対して、「双葉郡民を国民だと思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」と詰め寄った。
現状を見ると、井戸川町長の言うことはその通りである。政府、東電は中間貯蔵施設さえ持っていなかったのである。原発は、小出氏によれば、常時大小の事故は常時発生しているというのである。国家の稼動という至上命題の元で、多くのものは現場処理か無視されてきた、と言うのである。
事故はその都度処理される可能性はあるし、教訓化することもできる。しかしながら、放射性廃棄物はとめどなく排出されるのである。しかもその処理方法は、未だに確立されていない。原発が、「トイレのない高級マンション」といわれる、所以である。
双葉町は長年そうした事実を訴える人たちに耳を貸すことなく、原発推進に協力してきた。その恩恵も十分享受している。原発安全神話の製作者悪人説ばかりでは説明つかない。
放射性廃棄物の処理の予備調査さえ断った、主産業が漁業の過疎の寒村もある。双葉町が、ひたすら被害者の側に立つのは、信条としては理解できるが、原発への知識不足を反省するべきでもある。
放射性廃棄物は拡散させるべきではない。封じ込めるのが、物理学的な対処方法であり、処理法である。双葉町は、そうした意味での最も相応しい、中間廃棄物処理施設の設置場所候補地である。
ひたすら原状回復と帰宅を訴える心情的感覚は理解できるが、それは放射性廃棄物の本質の理解が、原発誘致にみせた姿勢同様に足らないからである。
双葉町の住人には申し訳ないと思うが、安易な妥協や根拠の薄い希望など持つのではなく、放射性廃棄物の封じ込めに協力するべきである。