総裁選出馬の記者会見でも、官房長官の言い回しと何ら変わらない。大手の決められた質問を受けるばかりで、フリーランスの志波玲氏が挙手したが受け付けなかった。そこで彼は、「公文書の改ざん隠ぺいをしないで下さい」不規則発言をした。司会に目配せしてすたこらサッサ。この人何も変わらない。
疑問に思うことを問われれば「問題ない」、都合が悪くなると「コメントする立場にない」、ではこうなればどうすると問われると「仮定の問題は答えられない」と言い放つ。時には東京新聞の女性記者の鋭い質問には「あなたに答える必要はない」と、まるで個人の資格で質問を受けたような人間への応答である。木で鼻をくくったような返答をしている。もっともどの質問でも変わらないが・・・。
テレビはワイドショウもニュース番組も、菅義偉の事ばかりである。まるで無風選挙の感すらある。いやむしろ報道は、菅政権はこれはどう取り組むということばかりを垂れ流す。
その象徴的な出来事が世論調査である。報道がこんな調子であるか当然の結果ともいえる。安倍晋三が辞任を決めた途端に、支持率が20ポイントも上がる。いくら考えても異常である。この男の評価は政治的な成果などではなかったといえる。「他よりましだから」とする支持理由がいつもトップであることからその事が推察される。更には安倍晋三はよくやったっという評価が7割もある。ある意味正しくはある。これほど知性も教養も即答能力も駄目人物にしては、よくやっているとは言えもする。
国が壊れていくときには、多くの人は気が付かないという典型である。その張本人が誰かというこだわりや思考すら放棄する。
それと何よりも、日本には先進国には珍しく、報道規制が平気で敷かれる。それに従順に対応する報道各社である。官邸派遣の政治評論家が、ありもしない功績を粉飾し評価を与える。その成果がこんな形で容を現し安倍晋三に評価を与えるのである。
更には、3月にはわずかに2%程度だった次期首相の菅義偉の指示が、40%に跳ね上がっているのである。寄らば大樹の陰というべきか、大衆迎合というべきか、お上に弱い国民性というべきか情けない限りである。つまり人物評価がされていないのである。
論議ができないが裏から手を回すことや、ポストなどを与えて支持者を広げる事には長けていたが、政治手腕についての評価は2%が正しかろうと思われる。派閥の支援を待って後出し立候補するのも、この男らしい。支持者が麻生と二階という160才コンビというのも滑稽である。
菅政権はそれがために、極めて短命に終わる。