各閣僚は口をそろえたように、あの悪夢の安倍政権の踏襲を口にする。折角安倍素晋三に従順だったのに、今更変えることなどできにのであるが、安倍晋三に忖度する面々とでも言っておこう。
アベノミクスの政権側から一方的な評価や、95%の憲法学者から違憲と言われたながら強行採決した安保関連法の問題もさることながら、それらの底流に流れる安倍晋三の倫理観の欠如した言動がこれからさきも引き継がれるとなれば、暗澹たる思いが拭いきれない。
古賀茂明氏のアエラの記事がすとんと落ちる。安倍晋三の倫理観の欠如がこの政権の悪行の根源であると思われる。政権期間に一貫して自己保全の根拠として納得のいくものがほとんどない。バレなければいい⇒ばれないために人事権を掌握する。
これまでの権力者は疑われる段階で辞任するか、何らかの形で謝罪するものであった。安倍晋三は、仮にばれても罪に問われない方法を求めた。公文書の破棄であり隠ぺいであり改竄である。そして処分するかに見せて、その実半年もすれば全員が栄転する。その結果バレても捕まらない構図ができてしまう。官僚や政治家から倫理観も正義感も奪ってしまう。
官僚に限らず議員たちも、忖度の度合いを披瀝しあうのである。安倍晋三が配偶者や腹心の友のために犯した犯罪は、バレバレであってもこうして隠蔽される。
本来権力の番犬であるべき報道の側とは、連夜の会食を重ねる。その結果国境なき記者団からは先進国ほぼ最低の報道の自由度の少なさを指摘される。全紙一斉に同類の報道が流される。記者会見ではあらかじめ決められた質問しか受けず、総理は用意された文章(フリガナ付きの)を朗読するだけである。
忖度された政権は何事もなかったように、犯罪行為をスルーしてしまう。罪悪感は全くなくなり、倫理観を問うものもない。菅政権はこうした負の遺産を継承する性質を強く持っている。その政権の顔であった官房長官が最高権力者になったからである。