常紋トンネルを知る人は少なくはない。日本最大の心霊スポットと言われている。私は霊とか心霊とか霊能力者などという、非科学的なものは信じていない。しかしここ常紋トンネルは別格である。北海道開拓の負の遺産が凝縮されたところであるからである。常紋トンネルは、常呂と紋別の頭文字をとったた、常紋峠にありこのトンネルは、大正元年から僅か3年で作られた。100年以上前のことである。
いわゆるタコ部屋でほとんど無賃の労働者がこの常紋トンネルで、200名近く死んでいる。殺害されたといってい良い。食べものも賃金もなく苦役で働かされるだけ働かされた人々は、本州でかき集められた浮浪者たちである。街の浮浪者を甘言で北海道で働き口があるからと専門の業者がかき集めて、更に下請けの手先なんかに売り飛ばす。住所氏名のない浮浪者は、いくつか雇用元を移されて現場に来る、これを他雇用(タコヨウ)という。これが縮めてタコとなり、これがタコ部屋と呼ばれる元の意味である。寝床が蛸壺のようだというのは俗説である。労務者もタコと呼ばれるようになる。
私がタコ部屋の事を知ったのが、小林多喜二の短編、「人を殺す犬」である。タコ部屋から苦役に耐えかねて逃げた労務者(タコ)を、大勢のまえで犬に襲わされる話である。
何のことない、他雇用・タコは派遣社員、非正規雇用の事であって、小泉・竹中が雇用者・企業を守るために作った制度そのものである。明治時代の国策手法を小泉は登用したのである。人権などどこにもない。
1968年の十勝沖地震でトンネル内の壁がはげ落ち、頭に傷がある丸々人体の骨が出てきてたことは聞いてはいたが、此処だと知ったのは最近である。その後周辺から多くの人骨が、時には一気に50体も出たり、気動車の運転手がトンネル内で死者を見たとか、国鉄の職員に不幸が続いたりとかが続き、1970年に近くの金華小学校の廃校跡地に慰霊塔を行政などが建立するまでになっている。
霊能力や心霊スポット愛好者にとって、縄文トンネルは国内最大級の場所となっている。氏名はもちろん氏素性も解らない人たち(タコ)については何の記録もなく、風評と風聞でしか知ることができない。死亡者は150名以上200名になるといわれている。北海道開発を至上命題にしてきた国家にとって、タコは好都合な存在である。負の遺産を闇に封じ込めてきた。現在でも人骨を見つけることがあると聞く。
網走や標茶の刑務所の受刑者も労務に駆り出され、道路や鉄道建設に従事させられたが、少なくとも記録はあるし氏名も解っている。タコ部屋の多子達にはそれがなく、食べものもなく素掘りの穴に放り込まれたようである。
北海道が広大な自然を抱えているとか、大陸的風景だとか言われるが、この150年は急速な近代間向けてなりふり構わず開発してきた、その負の遺産を見直す時期に差し掛かってきている。アイヌ人の抑圧や戦いなも、本ブログでは取り上げてきた。イスラエルのようにそっくり戻せとは言えないが、教育でしっかり取り上げるなどをして、民族の歴史を教えるべきである。中国の民族浄化政策を批判はできない。