そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

こりゃ何が違うのか?

2008-01-08 | 政治と金

BS放送のヨーロッパなどの風景を見ていると、明らかに日本の風景と異なる。何が違うかといえば、まず看板がないことである。たまに見つけても毒々しい色やデザインの下品な看板がないことである。

その次に違うのが、高い建物がないことである。やたらと大きな建造物は、威Img_0766_2圧的で農村風景にマッチしない。たまに大きな建造物があっても、相当古いものが多い。時代を重ねて、風景になじんだものばかりである。

次に道路である。日本の農村の道路は、土建事業の格好の材料となって、野山を削り谷を跨ぎ図々しく、風景の真ん中に居座っている。無機質なコンクリートの舗装面と鉄骨の橋梁が、ささやかな田園風景を威圧している。

同じ無機質な石畳でも、時代を重ねて人々の生活を刻み込んで、どこにも違和感がない。少し時代を刻んだものは、強制的に破壊される日本の制度がおかしいのである。

日本に農村画家がいなくなった。たまに農村風景を描いた作品を見つけてもTv_2 、僅かに残されている、萱ぶきや数十年前の風景をモチーフにしたものばかりである。

農家の住宅も同様である。都会のサラリーマンが、長時間通勤して疲労困憊してたどり着くためにつくられた、大手の会社の住宅ばかりになってしまった。農作業を終えて、あるいは農作業の途中で体を休めたり、家族と食事するような、農民の住宅がなくなってしまった。

何が、この国の農村をこんなにしてしまったのであろう。一見新しいものが並んで看板が立派で目立ち、大きな新しい建物があるのに、日本の農村は疲弊している。農村を都会化することで、農村が生き残ると考えた政治屋とお役人と土建屋のためであろうか。

因みに、私たちのような田舎では、デジタル放送はBSしかない。地上デジタルが来るのは、まだまだ先のことである。

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もっとひいて考える

2008-01-07 | 政治と金

  複雑な社会の動きでも少し引いて考えると、あるいは大局的視点に立ってみると、見えてくるものがある。現在に至るまでの、社会の動きをエネルギーの転換とその功罪からから考える。

イギリスなど先進国の産業革命を支えたのは、石炭であった。加工の必要性Was_iraq_really_lost も少なく、採掘製品をそのまま使えたし、比較的使用国で産出されていた。

それが石油に代わって、産油国が中東などの遠隔地あるいは非先進国などMany_communities_in_kenya_rely_on_t集中していた。石油は採掘にも加工にも運送にも、高度の技術と資本が求められた。

あらゆる分野で、技術革新が行われた。超大国アメリカが石油利権を求めて、あらゆる分野でのグローバル化を、あらゆる国に求めるようになった。今では、石油は投機の対象にもなっている。石油の利用範囲、加工による利用範囲はきわめて広範に及び、エネルギー以外の利用も多岐にわたった。

その石油が、40年足らずで枯渇することが現実的なものになってきた。環境汚染の主役でもある。

現代は、石油文明の終焉を迎えたのである。温暖化やバイオエネルギーや自然エネルギーの開発などは、そのあがきが、世界各国で起きているとみれる。

そのように見ると、あらゆる面での多極化、地域化が起きているのである。世Image2562163g界を席巻する暴力機構ではなく、地域単位の特性をもった同盟関係が主流になり、農業などゼロエミッションの風土に根ざした小農や産業が求められることになる。

大企業が大量の商品を効率的に生産するシステムから、輸送を伴わない少量で廃棄物のない生産方式こそ、21世紀の産業の在り方であっるといえるのではないか。

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そりゃアメリカ人がおかしいゼ

2008-01-06 | アメリカ

新春のBS番組で、アメリカ人の学生とイラク人のエジプト在住の学生のディベートを見た。未だブッシュを支持し、大量破壊兵器の存在を明かさなかった、イラクが悪いと主張するアメリカの学生がいたのには驚かされた。

1188397603 注目したいのは、日本人の評論家を含めて、「これまでイラクに暴力的宗派間対立はなかったし、現在も存在しない」と複数の発言があった。存在するのは、政治抗争であるというのである。報道が煽って、アメリカの失政を覆い隠そうとしているいるにすぎないのである。

アメリカが侵攻して良くなったことは一つもない。フセインは相当悪いことをやったが、政治的に安定していたし、第一安全であったと懸命にアメリカの学生Gaza_fighting_signals_end_of_makkah に訴えていた。

アメリカの学生の中には、「アメリカはこれまで一度も暴力で民主主義を押し付けるようなことはしなかった」と、発言する者がいた。アメリカは単独行動をとっていないとも言っていた。事実誤認もいいところである。

イラク進攻も、多国間の合意で行ったというのであるが、国連決議も核査察もお構いなしに攻め入ったことを忘れている。アメリカの単独行動に同調した国々がいたことも事実であるが、アメリカの報復を恐れての追従行動でしかない。日本も同じである。

Memorialday_2 被害国であるイラクの学生が、冷静に事実を把握して発言するのに対して、アメリカの学生は大国のメンツを守るための発言が多かった。少数のアメリカの行動が間違っていたことを発言する学生もいたが、声は小さかった。

イラクの学生の中には、アメリカが利権を求めての武力行動で、イラクの国民が犠牲になっていると訴える者もいた。

これがアメリカの意見を投影しているかはわからないが、イラクはイラク人に任せてくれと発言は真の声であろう。

アメリカは理不尽な、あるいは少なくともイラク人を説得できないような、武力行動は即座に停止すべきである。

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石油は高いか?

2008-01-04 | 政治と金

新春早々、原油の値上がりが続いている。1バレル=100ドルを超えたそうである。

投機者の8割が国営企業である、WTIなる先物取引をやるところが実質的な原油価格を決めているとのことである。世界を動か原動になっている石油価格を、産油量や需要とは無関係のマネーゲーム屋が決めるのが納得できない。

ところで、石油は本当に高いのだろうか? 確かに高騰してはいるが、有限のこの恵みは後40年ほどで枯渇するとのことである。それに温暖化をはじめとする環境問題の根源的存在でもある。

Photo_2石油は世界的な経済活動の根源になっているといえる。こんな大切なものが、僅か100ドルであることとの方がおかしくないか。解りやすく、ガソリン価格と比較してみよう。

ガソリンは、リットル当たり155円になった。一年前の50%近くも値上がりして高くはなった。

比較が難しいのであるが、同様の液体でみると牛乳の市販価格が200円程度である。ジュースや炭酸飲料もほぼこれに似た価格である。

牛乳は、完全栄養品といわれながらも、スーパーなどでは目玉商品にされ、おひとり様一本などとして150円ほどで売られたりもする。何処かの湧き水などを詰め込んだものを"名水”などと称して200円程で、平気で販売されている。

中東から大量に運搬されてくるガソリンがキロ150円なら高くはないだろう。何割もの廃棄物になる、食料用の飲み物に比べて、ガソリンはほぼ全量使用される。

誰もが利用する車を動かし、電気を生産し道路の舗装に最後は使われる。工業に限らず、公共の乗り物や家庭で存分に使用されている。

ここで、一般の消費者が怒るのを承知で、敢て声高に言ってみよう。「石油は高くはない」。

今までの価格が、石油の価値に比べて安すぎたのではないか。安すぎたために、大量消費を平気で行なったり、気軽に消費しすぎたことが、温暖化の原因大きな要因にもなっている。

この程度かもう少し高い方が、地球にも優しくなれるし、新たなエネルギーを開発する力にもなる。石油は決して高くはない。価格をとやかく言うよりも、もっと大切に使うことのほうがよっぽど重要なことである。

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どこかずれた「非核」論争

2008-01-03 | 平和憲法

この国の住民の物忘れは甚だしいものがある。もうこりごりだと思った戦争が終わって、僅か60年しか経っていないのに、もっと上手くやっていれば勝てた戦争だったと言いだす連中がいる。

戦後僅か5年後の、朝鮮戦争ですでにそうした連中が台頭し始めている。そん典型が先ごろ政権を放り出した阿倍ボッチャマの祖父の、A級戦犯の岸信Photo介である。

とりわけ、唯一の被爆国の日本は広島・長崎を中心とした「非核」思想が根 底にあったはずである。

ところが、6者協議などを見ていると、新たな核開発に反対しているだけのようPhotoに見えてならない。つまり、アメリカなどの大国の核は容認して、そのおこぼれにあずかろうというのである。

これは、核兵器反対思想の放棄である。アメリカや中国の核兵器の存在をも否定しない姿勢は、被爆国の基本的な思想・ヒューマニズムの原点さえも放棄するものであるといえる。

毎年、元旦に核兵器廃絶を訴えて座り込む、長崎の人たちはその原点を失っていない。銃撃されながら一命を取り留めた、元長崎市長の本山さんは高齢を押して出席している。

原爆仕方がなかった放言の地元出身の元防衛庁長官も、見習ったらどうだろう。この国の政権内には、喉元過ぎれば忘れたしまう連中が群れをなしている。

阿倍ボンもそうであったが、日本核武装論を唱える連中が後を絶たない。大阪知事選に立候補するなどと言っている、弁護士タレントも同じことを言っている。

非核とは、特定の国核兵器を容認しながら、新たな国の核開発に反対するものであってはならない。あらゆる国の核兵器に反対することである。ましてや、北朝鮮のように管理すらおぼつかない国が、外交の取引として使われる現実を、認めてはならないのである。

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そりゃ当然だろ

2008-01-02 | 格差社会

政府・自民党は、地方法人事業税2.6兆円を「地方法人特別税」に改め、人口や面積に応じて地方に再配分する案を示した。

要するに、税収の多い自治体から困窮する地方に回すというものである。東京、大阪、横浜、名古屋などの大都市圏の知事がこぞって反対した。東京都55 の場合、3000億円を供出すると当初石原知事は反対姿勢を示したが、羽田周辺の開発などの代替えを獲得して黙ってしまった。

しかし、税収の中身を見ると当然のことでもある。ほとんどの大会社は、本社を東京に構えている。北海道も同じである。田舎をこせこせ回っている中規模以上の会社は、本社を札幌か東京に構えている。

この税制は構図として、地方の収益を都会で支払っていることになる。しかしながら、人の経済活動から外れたものを評価することのない姿勢は、そろそろ見直さなければならない。

地方は食料を生産するばかりでなく、水の供給や空気の浄化も行っている。これは全く評価されていない。唯一評価の対象になっていた、食料生産すらおぼつかない現状にある。それらのすべては、人が生きてゆくためには必ず必要とされるものである。

政府には、放置すると利潤を求めて暴走する経済行為を規制する義務がある。新自由主義とは、こうした行為を「規制」と称して、放任することの方が美徳とすることである。

小泉・竹中路線は、規制緩和がまるであらゆることを解決するかの錯覚をおこさせ、市場が問題を解決するとする訴えている。格差発生の原因がここにある。

今回の税金の地方移譲が、先の選挙で地方で大敗したことの修復であり、次回への選挙対策である限り、一時的なものでしかない。横暴な資本主義経済ではなく、利潤だけで社会を評価するのではなく、人のとって何が必要なのかを評価する思想が必要なのである。

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羅臼港

春誓い羅臼港