BS放送のヨーロッパなどの風景を見ていると、明らかに日本の風景と異なる。何が違うかといえば、まず看板がないことである。たまに見つけても毒々しい色やデザインの下品な看板がないことである。
その次に違うのが、高い建物がないことである。やたらと大きな建造物は、威圧的で農村風景にマッチしない。たまに大きな建造物があっても、相当古いものが多い。時代を重ねて、風景になじんだものばかりである。
次に道路である。日本の農村の道路は、土建事業の格好の材料となって、野山を削り谷を跨ぎ図々しく、風景の真ん中に居座っている。無機質なコンクリートの舗装面と鉄骨の橋梁が、ささやかな田園風景を威圧している。
同じ無機質な石畳でも、時代を重ねて人々の生活を刻み込んで、どこにも違和感がない。少し時代を刻んだものは、強制的に破壊される日本の制度がおかしいのである。
日本に農村画家がいなくなった。たまに農村風景を描いた作品を見つけても 、僅かに残されている、萱ぶきや数十年前の風景をモチーフにしたものばかりである。
農家の住宅も同様である。都会のサラリーマンが、長時間通勤して疲労困憊してたどり着くためにつくられた、大手の会社の住宅ばかりになってしまった。農作業を終えて、あるいは農作業の途中で体を休めたり、家族と食事するような、農民の住宅がなくなってしまった。
何が、この国の農村をこんなにしてしまったのであろう。一見新しいものが並んで看板が立派で目立ち、大きな新しい建物があるのに、日本の農村は疲弊している。農村を都会化することで、農村が生き残ると考えた政治屋とお役人と土建屋のためであろうか。
因みに、私たちのような田舎では、デジタル放送はBSしかない。地上デジタルが来るのは、まだまだ先のことである。